など 大関氏との出会いについて、前回に続いてのお話しです。那須地方の歴史的遺跡や古刹めぐりをしていたのは私の中学生時代です。中学生のわりには年寄りじみた趣味かとも思いますが、私は一人っ子ですので、結構、わがままな性格です。したがって旅も一人旅を好みます。自分の思い通りに行動できますので。ただし、那須地方に注目していたのは、亡き父親でした。
さて、「明治100年」というのは、昭和43(1968)年ですから、私の中学生時代です。その年に八溝山地の山麓沿いに位置し、町の中央を那珂川が流れる黒羽町を訪ねました。大雄寺と黒羽城跡を訪ねました。大雄寺は曹洞宗のお寺です。萱ぶき屋根の本堂が印象的でした。また、黒羽城は土塁しか残っていませんでした。今どきは町おこしに、城跡などは格好のシンボルになるのでしょうが、当時はそうしたことはなく、人っ子ひとりいなかったと記憶しています。町の本屋さんに立ち寄りました。初めての町を訪ねた際に、その町の本屋さんを訪ねると、その地方の出版社が出している本のコーナーがあり、面白い本を発見することがあります。そのとき、発見したのが、栃木の地方新聞社が出版した本でした。「下野の幕末」だったか「下野の明治維新」だったか、ともかくも「明治100年」を記念して、下野=栃木の100年前の歴史が書かれた本でした。その本は今は手元にありません。その後、進学したり、社会人になって引っ越しを繰り返すうちになくしてしまったようです。宇都宮城や江戸幕府の聖地ともいえる日光・東照宮をめぐる西軍(つまり薩長土肥を中心にした官軍)と旧幕府軍の攻防、そこで活躍した新選組の土方歳三のことなど、水戸の天狗党が引き起こした騒動の数々など、古屋佐久衛門のことが書かれていました。
今の若いひとには昭和でさえ、遠い昔のことと思うかもしれませんが、私の年代ですと、曽祖父や曾祖母が生きた時代にあたるので、そんなに昔とは思えないのです。さて、その本で、一番、かっこいいと思った人物が大関増裕という黒羽藩の洋学大名の写真でした。髪は総髪、洋風の軍服、長靴をはき、足元には洋犬がたたずんでいます。函館戦争で戦死した土方歳三の洋装の写真が有名ですが、あの服装を想像していただければと思います。容貌は細面で、かといっていわゆる殿様顔ではない、ひとことでいえばスポーツで鍛え上げたような、それでいて知的な感じのする顔です。
大関増裕の生涯を簡単に振り返ると、遠州・横須賀藩の殿様の息子に生まれ、江戸で洋学を学び、黒羽藩の殿様として迎えられ、幕府の若年寄りとして講武所や陸・海軍の近代化に尽くす一方で、1万3千石だったか1万5千石だったかのちっぽけな外様大名である黒羽藩の軍事力も整備しますが、京都・二条城で大政訪奉還のあった同じ日(だったかと思いますが)に黒羽藩の領地で趣味の狩猟中に謎の死を遂げます。30代の若さでした。その死のタイミングが、あまりに劇的なので、銃の暴発による事故説、自殺説、暗殺説などが当時からささやかれていたようで、今に至るも明確になっていないようです。専門家によれば、決定的な文書などの証拠がでてこない限り、その謎は永遠にわからないだろうといわれています。ただし、彼が亡くなったとときに来ていた血染めの軍服は今も保存されているようです。ヒーローになるひとつの条件に若くして劇的な死を迎えるというのがあると思います。坂本龍馬がそうでしょう。増裕を失った黒羽藩は、増裕がとりたてた時勢のよくみえる若い家臣たちによって、戊申戦争では、いちはやく西軍=官軍につき、会津戦争では、西軍の一翼を担います。
明治に入り、黒羽藩の家臣だった小林華平という人物が、「大関肥後守増裕公略記」という本を限定で自費出版しています。この本を10年ほど前に入手して読みましたが、中学生時代に読んだ「下野の幕末」だったか「下野の明治維新」だったかの本の大関増裕のことを書いた章は、すべてこの小林華平の本に準拠していることがわかりました。
幕末の江戸幕府で活躍した蘭学者あるいは洋学者の代表といえば勝海舟があまりに有名です。次には悲劇的な最期を遂げている小栗上野介も有名ですが、幕府の海軍や陸軍の近代化に尽くした勝海舟の上司にあたるといえるのが大関増裕です。最近の幕末の江戸幕府に関する研究では、その出身階級にこだわらず、幕府は蘭学や洋楽に秀でた才能を積極的に登用したといいます。増裕が活躍できたのも、黒羽藩は外様であるにも関わらず、彼の生まれが横須賀藩の西尾家という譜代の出身だったからでしょう。また、これは不思議なのですが、増裕の実父は西尾家の嫡男として生まれますが、横須賀藩の殿様になっていないことです。その辺は今後の課題です。
さて、増裕が殿様となった黒羽藩の大関家、その家系は鎌倉時代にまでさかのぼります。鎌倉以降の大関家のことや大関増裕のこと、増裕以外のおもしろい殿様もいたり、ある偶然から増裕のお墓がどこにあるのか調べてみたら、我が家から歩いて30分ほどのところのお寺にあった話などは、また別の機会にお話ししましょう。
如庵