昨日2015年11月19日付で書いたブログは第52回目でした。したがって、今夜は第53回になります。もっとも、このブログを偶然、目にされた方には関係ない話ですが。
さて、今夜は、最近、骨董市で知り合ったおばさまの業者から譲ってもらった芹沢銈介さんの暖簾の話から始めましょうか。
芹沢銈介さんは、人間国宝にもなった方ですので、その知名度はかなりなもので私などが、どうこういう話ではないかもしれません。簡単にいえば、1895(明治28)年生まれ、静岡のご出身で、1984(昭和59)年に亡くなった染色工芸の大家です。柳宗悦とも交流があり、沖縄の紅型も学び、重要無形文化財の「型絵染」の保持者として人間国宝となり、20世紀の日本を代表する工芸家です。
骨董市でそのおばさまの業者から紅茶を勧められ、あれこれ雑談していて、ふと目に留まったのは「せりさわ」というひらがなでした。聞けば芹沢銈介さんとのこと。たまたま、その直前に、骨董関係のエッセイを読んでいて、その中に無欲な芹沢さんのエピソードが記されていました。染色工芸の大家という程度の知識しかありませんでしたが、その温かみに魅せれれ、2枚の暖簾を譲ってもらった次第です。
また、芹沢さんは民芸を中心にコレクションされました。日本の着物、たとえば「津軽こぎん」や「刺し子半纏」など、アジア各地の家具や民具、漆器、民族衣装、アフリカの仮面、中南米の土偶や土器などです。今は、東京・駒場の日本民芸館で、そのコレクションが展示されていいるそうです。そうですというのは私が民芸館に行ったのは学生時代で、40年も前のこと、記憶にほとんど残っていません。
私にとって、芹沢というお名前は銈介さんよりも、お子さんの考古学者の芹沢長介さんのほうが、なじみがあります。
というのは、私の親戚が群馬の桐生におりまして、その近くの岩宿遺跡からアマチュアの考古学者・相沢忠洋さんが石器を発見しました。太平洋戦争が終わってから4年後の1949(昭和24)年のことです。相沢さんが納豆売りをしながら、岩宿遺跡で石器を発見したという実話は、子供向けの本にもなっていて、私が小学生のころか中学生のころに、その本を読みました。親戚が岩宿遺跡の近くに住んでいることもあり、石器、岩宿遺跡、相沢忠洋の3つのキーワードは私には近しいものでした。相沢さんの石器発見を受けて、当時、明治大学の学生だった芹沢長介さんや杉原壮介さんが調査団の一員として発掘に携わっています。
その後、芹沢長介さんと杉原荘介さんは学問的な対立もあったらしく、芹沢長介さんは東北大学へ赴任します。そして、日本の旧石器時代の発掘や研究を精力的に進めます。芹沢長介さんたちが発掘した石器については自然石ではないかという見方もあったようですが、前期・中期の旧石器を発掘し、彼の考えは学会の主流になりました。ところが致命的だったのは、芹沢長介さんの調査に協力した中に、ゴッドハンドといわれたFさんがいたことです。「旧石器捏造事件」です。記者がFさんの行動に不信を感じたことがきっかけとなり、石器を地中に埋める写真をスクープします。この事件を詳細にまとめた本が出たのは数年前になるでしょうか。
話が民芸の話ではなく、考古学の話や、「旧石器捏造事件」などという生々しい話になってしまいましたが、生々しい話は、骨董の世界にもあると聞きます。有名なのは「永仁の壺事件」でしょうし、本物か贋物かという本はいやというほどでています。その手口も巧妙というか、あきれるほどの技術です。ですから、本物か贋物かは私は気にしませんし、贋物かどうかは、譲っていただくお値段でわかります。
欲が絡んだ骨董や古美術の話を小説にしているのは、直木賞作家の黒川博行さんです。「文福茶釜」「放れ折紙」などは、舞台が大阪や京都で、会話が大阪ことばや京ことばですので、私には、より生々しく感じられます。ほんまに関西の言葉は使う人によっては、ドスのきいたことばになりますよって。
さて、明日から3連休です。温泉や室内プールのある保養所で英気をやしなってきますので、明日とあさっては、このブログはお休みです。23日にまたお会いしましょう。えっ、勝手に言ってろって、だーれも、こんなブログは読んどらんてかっ。おう、よう言うたな、わしはなあ、骨董や民芸が好きやから、勝手に書いとるだけや。かなり、投げやりになってきましたなあ。ほな、月曜日の夜にお会いしましょ。みなさんも楽しい3連休をお過ごしください。
如庵