骨董亭如庵 第49回 | michael-thのブログ

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 昨日、雨の降る靖国神社の骨董市で、譲ってもらった抹茶茶碗の正体がわかりました。私が勝手に「疾風」と銘をつけたピンク色がかった枇杷色の抹茶茶碗です。萩焼だろうという推測はあったのですが、宇田川聖谷という1940(昭和16)年生まれといいますから70代後半の陶芸家の作品です。三輪休和の弟子にあたる吉田萩苑に師事して陶芸を学び、1972(昭和47)年に朝鮮半島に行き、現地でさらに腕を磨き、1973(昭和48)年に帰国、丹妙山窯を萩に開いています。そのときに「聖谷」という号を名乗っています。1991(平成3)年に京都・相国寺の管長、梶谷宗忍老大師から「玄翁」号を拝領しています。同じ相国寺の有馬頼底管長からも認められているそうです。最近、有馬頼底管長の「『臨在録』を読む」という新書を読み始めましたところでしたが、有馬管長、銘「疾風」というのは如何?
 
 萩焼は、秀吉の朝鮮出兵の時に、連れられてきた陶工たちの影響が強いようです。ひょんなきっかけで、この夏に我が家にやってきた茶道具の中にも裏千家の先代の玄室・鵬雲斎さんの箱書きのある田原藤兵衛の萩茶碗や、稽古用の同じ藤兵衛さんの萩茶碗や箱書きなしの高麗茶碗、さらには萩茶碗にルーツをもつ出雲焼の茶碗などがあり、私の好みでいえば、黒楽茶碗は別格として、好きな茶碗たちです。そうしたこの夏にやってきた茶碗にも負けない魅力が聖谷さんの茶碗にはあると思います。高い高台、そして斜めに切った「切」、ピンクがかった枇杷色に、ところどころ入った黒色の筋、さらには高台の部分は土色が見えています。ややもすると萩焼は女性的な感じもしますが、この聖谷さんの茶碗は、強さを感じさせます。今時は、女性のほうが強いなどというと、世のLadyの皆さんの反発を受けそうですが、我が家がそうですし、NHKの連続テレビ小説「朝が来た」が高視聴率をとっているのはなぜでしょうか。

 さて、同じく昨日、李朝が好きな業者のSさんから譲っていただいた李朝の小壺、昨日はあまり感じなかったのですが、藍色の染付でくっきりと花や葉を描いています。Sさんは高台の砂がまぶしてあるのが魅力だと言っていました。つまり、窯から出して、まだ熱い小壺を冷やすために、砂利を敷いて置き、その上において冷えるのを待つ間にできるのだそうですそこが見どころだといいますが、私はその曲線に色気を感じるようになりました。やや青みがった白磁です。高さは10センチほどでしょうか。上に行くにしたがってふくよかな曲線を描きます。Sさんからは、この前に李氏朝鮮のしかるべき女性がもつ、それは両班の娘さんかもしれませんし、ともかくチマチョゴリを着た朝鮮の女性が懐に持っていたであろう懐刀、といっても長さは15センチ弱、銀の鈴が可憐な音を響かせます。この懐刀の鈴の音と青みがかった白磁の小壺のふくよかな曲線に「朝鮮の美」を感じています。
 亡くなった作家・山本兼一さんの「利休にたずねよ」では、掌にすっぽりとおさまる緑釉の平壺が、物語の重要な役割をはたしています。私ごときがそんなことをいうのは烏滸の沙汰ですが、銀の鈴の音とふくよかな曲線をもつ小壺がいとおしいと思えるようになってきました。
 
 須恵器から青磁や白磁への変遷、さらには李氏朝鮮が1392年から1897年と600年も続いたこと、それは日本史では室町、戦国、安土桃山、江戸、明治に当たります。その驚きとなぜそんなに長く李氏朝鮮が続いたのかという疑問が出てきます。まずは、淡交社から出ているカン・ギョンスク教授の「韓国のやきもの」を読んでみることにしましょう。

 今夜はがらにもないことを書いてしまいました。遅れたやってきた”韓流”のマイブームといったところでしょうか。

如庵