昨日は「文化の日」でお休みでした。「茶道具を語る」(平成20年発行・河原書店)を読みました。大阪で江戸時代から続く茶道具商の戸田博さんと大阪の表千家の茶家に生まれ、戸田さんとは同級生、専門は中世日本文学と茶道文化論の生形貴重さんとの対談集です。楽茶碗に始まり、国焼の抹茶茶碗、掛物、花入れ、釜、水指、棗、茶杓など、茶道具のほとんどすべてについて、現物の写真入りで、分かりやすくお話しされています。また、最後には、楽家の15代当主も交えての鼎談になっていて、おもしろく読みました。
私自身はお茶の心得はまったくありません。せいぜいが京都に勤務していたときに、三千家の初釜にお邪魔したり、藪内家の国宝の茶室・燕庵で夕方から、お家元も交えての気のおけない人々との茶席を経験し、いわば「夜咄の茶席」のような雰囲気を味あわせていただいた程度です。お茶をどう飲むかなどの作法も知らずに濃茶や薄茶をいただいていました。
そして、ひょんなことから、茶道具を引き取ることになり、その整理をする中で、お茶道具の面白さに魅かれ、淡交社などから出ているお茶の歴史の本などや道具関係の本を読み漁っている、いわば”畳の上の水連”のようなことをやっている人間です。また、骨董病になったものの、最初はあまり焼物には関心がありませんでした。
そんな人間が、こんな文章を書くのはおこがましいのですが、やはり、骨董をやっている以上、茶道具は、その本流です。避けて通っていては、骨董の本当に面白さはわからないと思います。
数年前に惜しくも50代の若さで亡くなられた直木賞作家の山本兼一さんの小説で、直木賞を受賞したきっかけとなった「利休にたずねよ」があります。さらに、骨董屋の若夫婦が主人公で、幕末の京都を舞台にした「とびきり屋見立て帖」という小説があります。主人公は老舗の茶道具商に拾われて育てられた捨て子と、老舗のひとり娘で、幼いころから、いいものばかり見て育った目利きのお嬢さんが、親の反対を押し切り、夫婦になり、古道具を開業、誠実に働くうちに、最後は楽茶碗を扱ったり、利休の茶杓を扱うまでになるというお話です。茶道具を身近なものとして感じられなかったときには、あまり面白く感じなかったのですが、茶道具の整理をしたあとで、再読してみると、きわめて面白く読めました。
山本兼一さんご自身は、茶の湯を習われながら、「利休にたずねよ」「とびきり屋見立て帖」を書かれたようです。
考えてみれば、今は骨董店とか古美術店とかいいますが、そのお商売の歴史を振り返ってみると、古道具屋、古着屋、茶道具商、刀剣商という区別は江戸のころからあったのではないでしょうか。古道具屋は今でいえばリサイクルショップでしょうし、古着屋は今もあります。それに対して、茶道具商と刀剣商は、別の職種だったのではないでしょうか。
「素人は茶道具と刀剣には、安易に手をだしてはいけない」という方がいます。箱書がものをいうことや、その真贋が難しいことなどが理由なのでしょうか。また、お値段も二桁、三桁と違います。
先日の靖国神社の骨董市で、刀剣を扱っている業者さんと話しました。刀のこしらえの話をしたのですが、鞘、鍔、柄などは、茶道具と同じで様々な職人さんの手になるものです。これは茶道具と共通しています。本身の部分も玉鋼を叩いて叩いて、強靭でしなやかな刀身を作りあげていきます。そして、山本健一さんの小説では「おれは清麿」とか虎徹を描いた作品があります。
私も刀剣は好きです。小林正樹監督の「切腹」は好きな映画の一つです。しかし、刀剣は、残念ながら、ご縁がありません。というか、薄い縁はありました。京都時代に親しくしていた骨董商さんは、もともと、刀剣収集から、この道に入った方でした。あるとき、虎鉄の脇差を勧められたことがありました。鞘から本身を抜く抜き方や刀の見方などを教えていただきました。東京の代々木にある日本刀剣協会の保証書もついていました。また、前の持ち主が大切にしてたらしく、部品はすべて分解して、その部品ひとつひとつ収納するために箱まで作って保存してありました。値段もとんでもない値段ではありませんでした。しかし、譲ってもらうのは遠慮しました。そこまで踏み込む自信がなかったからです。また、虎徹は人気があり、贋物が多いともいいます。新選組の近藤勇と虎徹の話は有名です。
茶道具と刀剣は骨董の二大双璧だともいわれます。茶道具はひょんなきっかけで我が家にやってきました。ご縁があったということでしょう。果たして、刀剣はどうでしょうか。そんな埒もないというか都合のいいことをことを考えています。誠に骨董というものは、はまるとアリ地獄にはまったようなもので、欲望にきりはありません。
如庵