骨董亭如庵 第23回 | michael-thのブログ

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 今夜は焼物の色彩について、私なりの思いを書きたいと思います。骨董病にかかったころは、焼物といえば須恵器や弥生土器、あるいは縄文土器の破片、さらには城好きとあって、城の瓦の破片などに関心がありました。どちらかといえば、古代のものがお金を出せば手にはいるという驚きでした。焼物の主流とでもいうべき日本の茶道具、有田焼、九谷焼、六古窯あるいはそば猪口などなど、あるいは中国の陶磁器や、李朝陶磁などはあまり関心はありませんでした。しかし、骨董に関する本などを読んでみると、骨董の7,8割は焼物だと知りました。
 そういえば、今になって笑ってしまう思い出があります。安土城の瓦だと称する瓦がありました。金箔ならぬ、安手の黄色い色が塗ってありました。そんなものも、洒落だと思って手元に置いていたこともあります。
 須恵器ばかり買っていた時期があり、部屋の中に並べては面白がっていました。須恵器の形の面白さに魅せられたのです。その中には新羅土器もあったかと思いますが、須恵器と新羅土器の区別などはナンセンスでしょう。須恵器の技法そのものが朝鮮半島から渡ってきたものです。では果たして、土の質で、これは朝鮮半島のものだ、これは日本のものだなどということがわかるのでしょうか。須恵器と新羅土器の研究者ならばともかく、骨董を愛するものには、その由来などは関係ありません。その形や土色を楽しんだり、内側の明らかに手で形を整えたとおもわれる痕跡に、私たちの遠いご先祖様のことを偲んだりすればよかったのです。須恵器関係の本で読んでいて、須恵器を作っていたのは女性たちだったと書いてあり、その内側に残された手の痕跡に古代の女性を思ったりもしました。
 古代の土器の次に関心をもったのは中国の青銅器でした。京都には泉屋博古館という住友財閥が収集した中国の青銅器を展示した美術館があります。何度か通ったものです。青銅器と見れば買っていた時期もあります。もちろん本物か贋物かは関係ありません。オブジェとしての面白さに魅かれたのです。
 なかなか、焼物の色彩に話が行きませんが、焼物に関心を持ったのは、京都に住んでいた最後のころ、今から10年近く前になるでしょうか。普段遣いできそうな焼物や「都をどり」の記念の小皿、あるいはそば猪口などを買うようにまりました。縁がかけていたり、ヒビがはいっていると、100円からでも買えます。そして金繕いをする楽しみも覚えました。もちろん、素人がやることですし、不器用なのでうまくはできませんが。また、お茶の家元の初釜でいただく干支の小皿などです。こうしたものは見て楽しむというよりも、使うものでしょう。
 焼物の色彩に魅せられたのは、やはり淡路の珉平焼や赤絵の犬山焼だったかと思います。それは、珉平焼のあの現代的な色使いですし、犬山焼の赤絵のすばらしさですが、時代は幕末から明治のころでしょうか。たぶん、その頃の庶民にとっては、身近でない色使いのすばらしさを思いました。今の時代は色彩が氾濫していますから、珉平焼や犬山焼の色彩には驚かないかもしれませんが、当時は驚きの色だったのではないかと思います。ただし、有田焼の色彩は、私の好みではありません。あれは、海外に向けての輸出用の色使いかと思いますし、大名同士の贈答品の色であって、庶民に身近な色彩ではないように思います。一方で九谷のぼってりとした色遣いは許せる気がします。また、たぶん、明治ごろの九谷かと思いますが、私のてもとに小型の馬上杯があります。絵の精緻な感じ、さらに器に中に描かれた漢字、どうしてこんな手の込んだものを作ったのかと思います。底には「大日本九谷北秀製之」と書かれています。縁に1か所、欠けがあり、薄くヒビが入っていますが、渋い赤色を基調に精緻な絵が描かれています。縁には金繕いしました。
 そんな私にとっての驚きは、この夏、ひょんなきっかけで引き取ることになった茶道具の山でした。2か月間ほどかけて整理しましたが、枇杷色の出雲焼の抹茶茶碗、古萩の抹茶茶碗、茶人手びねりの赤茶碗、古伊賀の水指の見事な釉薬の盛り上がり、黒楽茶碗の数々、古信楽の茶入れなどなど、これらは、すべて私にとっては衝撃でした。つくられた色彩ではなく、そのものを作った人と土と火が織りなした色彩です。茶道具そして茶道のすごさを知らされた思いでした。また、この我が家に縁あってやってきた茶道具を、一生涯かけて集め、使った茶人の凄さを再認識した次第です。また、茶道具は種類が多く、焼物だけではありません。茶杓などの竹でできたもの、軸といわれる禅僧たちの書や絵画、漆工芸の粋ともいえる茶入れなど、さらには懐石料理の器の数々、茶道が総合芸術岩といわれるゆえんを、茶道具たちは、私に教えてくれました。
 それ以来、土ものの色彩にも魅かれるようになりました。そこで、つい先日、手元にやってきたのが、古備前の小壺です。これなどは、蓋をあつらえれば、見事な茶入れになると思います。

 なにやら、焼物の色彩の話とは違ったお話しになってしまったようですが、骨董の魔力は果てしないものがあり、空恐ろしくなることもあります。ある程度、ジャンルが決まっていればいいのでしょうが、何せ私の場合、ジャンルがなんでもありなものですから、きりがない、したがって、このブログもはてしなく書いていきたいと思います。また、安易に画像に頼ることなく、文章で、骨董の魔力や魅力をどれだけ表現できるかだと思います。まずは無理でしょうが(苦笑)。

如庵