レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで | 20031214153606

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月5本くらいを目標に・・・

837.レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで 2月2日(月) 映画館レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット主演、監督はNo.506『アメリカン・ビューティー』のサム・メンデス。原作は1961年に書かれた小説で、50年代アメリカ東海岸を舞台に、美しい若夫婦の夢と崩壊を描いている。なかなか面白かった。多分原作がそうなのだろうが、男女の描き分けがはっきりしていて、古典的な印象も受けるが判り易くて良かった。主演2人の演技は抜群で、50年代アメリカを示す舞台や小道具も完璧。映画の世界観という点では素晴らしく質が高い。ちょっと序盤が判り難くて、特に舞台劇と家探しとディカプリオの誕生日の場面の繋がりが。以降の筋は一本道なのだが、あれだけで序盤の設定を説明してしまうとは驚いた。ウィンスレットはどこか夢見がちで、自分たち、特にディカプリオが才能に溢れ、こんなつまらない郊外での会社員などに納まってはいけないと思う。毎日繰り返す空虚な毎日に、女優の夢の挫折も加わり、これからの人生に絶望を感じている。その空虚な絶望というのはディカプリオも同じで、毎日繰り返す単調な仕事にうんざりしている。そこで妻は夫に、パリに行って貯蓄を使いながら、自分の追求するべき道というものを探して欲しいと訴える。パリに行けば解決するなんていう子供じみたアイデアだが、そこには社会の提供する大量生産型幸せな家庭というものへの拒絶が観える。この話を聞いた隣人夫妻は驚き、旦那は浅はかな考えだと思い、奥さんはそれを聞いて涙ぐむ。多分、レボリューショナリー・ロードでも垢抜けた若夫婦だった彼等の決断は、自分たちの体現しようとしている幸せを根本的に否定する行動なので、そこに不安と揺らぎを感じたのだと思う。旦那がそこで浅はかだと一蹴したので、安心して涙ぐんだのではないかと感じた。中盤、2人がパリ行きを取りやめてからも奥さんはやや調子の悪いところがあったが、その原因は良く判らない。単に旦那とウィンスレットの浮気場面を作るためだったのか、そうならばラストで奥さんは元気に2人のことを話せるが旦那は思い出すのも辛いという逆の展開になることもすんなり受け入れられるが。パリ行きを吹聴する2人に対して多くは、浅はかで子供じみた考えだと考える。その中で知人の息子の精神病患者だけが、空虚のみならず絶望を感じる(hopeless emptiness)とは勇気がある、と2人の決断を支持する。しかしウィンスレットが3人目の子供を身篭ったことで事態は急転、ディカプリオも昇進が決まり仕事が面白くなってくる。ディカプリオは餌を出されて提供される価値観の甘さに誘われた形かな。一方ウィンスレットは脱出しかけから見事に肉体を掴まれた形に。中絶までしようとする(当然ディカプリオは強く反対する)。そこで精神病患者が鋭く指摘する。身篭った子供はディカプリオの雄の証明。結局ベルトコンベアに乗る安心感に負けて妻を満足させられない自分の小ささを否定するための妊娠ではないかと。雄の証明というのは、序盤に女優の夢破れたウィンスレットにも何処が本当の男なのよと言われたことと繋がっている。ちょっと序盤が判りにくかったのでそこら辺の解釈は甘いかも。精神病患者は同時にウィンスレットの冷たさも指摘している。それは、才能溢れる夫という幻影、夫が才能を生かし自分はそれで満足できるという妄想に囚われて、現実に働く夫の姿を観てやれていないという意味の冷たさだと思う。見事に自分の不安と脆さを指摘されたディカプリオは動揺するが、ウィンスレットは意にも介さずに、もうあなたを愛していないと言い放つ。この喧嘩の場面は迫力抜群で大好き。じゃあ子供たちも望まなかったというのか、望まない妊娠だったのか、僕も子供は堕ろして欲しかったよ、と畳み掛けるディカプリオ。子供たちというのは多分ウィンスレットの理想の枠組みにはなくて、ある種足を引っ張る現実性なのだろう。もしかしたら子供たちがほとんど出てこず、ラストでディカプリオの生き甲斐が子供たちになっているのは子供たちというのが自分以外を養う社会上の責任、現実性の象徴だからなのかもしれない。堕ろして欲しかったという言葉に動揺して暫く家を空けたウィンスレットだが、ディカプリオを愛していないといったのは彼が現実社会に生きて自分の理想や生きる道から外れてしまい興味を失ったからだと思う。それをまたひっくり返す一言だから、衝撃的だったのかなあ。ディカプリオの方は比較的シンプルに妻を愛していたという観方で判る。妊娠は計画的ではないだろうが無意識の計算かも。妻に愛されて自分もその人生を賭けられるのならパリに行くのも良いのだが現実に折り合いをつけなくてはならない、付けなくても良いのならその理想に付き合えるよ、それが堕ろして欲しかったよなのだと思う。ちょっとパリ行き中止以降のウィンスレットは、突発的に隣人の旦那と寝たりして、いまいち掴みにくい。欲求不満というか現実逃避的な空ろさは判るけれど。そういう意味では胎児の重さが現実に繋ぎとめる唯一だったのかも。とにかくその一言でウィンスレットは暫く一人で考える。考えた結果が終盤の名場面。翌朝ディカプリオが起きるとにこやかに出迎え、オレンジジュースとスクランブル・エッグを作り、今日のディカプリオの会議を応援し、仕事内容にも興味を持って尋ねる。このウィンスレットの微笑ましさ。ゾッとするほど恐ろしい。完全に作り物の人形のようで、そのままフッと死んでも、殺されてもおかしくないような存在感。もしかしたら、ディカプリオの言う現実性に気付き折り合いをつけた、現実のディカプリオの才覚を認めてあげることにしようとしたのかなあと観ながら少し思ったが、明らかにそんなものこそ夢物語だと言いたげな映像の雰囲気。そしてディカプリオの出かけた後、12週を越した後の自らの堕胎処置。あのゴムポンプはどう使うのだろう。白い絨毯に垂れる血。スカートが赤く染まる。この静かさが流石。結局胎児は堕ろせたが胎盤がとれずに出血死。ディカプリオは引っ越して子供を生き甲斐に。隣人夫婦、特に旦那はウィンスレットに恋焦がれていたこともあり思い出すのも辛い風。もしかしたら奥さんは、劇中で自分が言っていたとおり3日経てば忘れるということなのかもしれないが、旦那さんはウィンスレットが現実に完全な拒否を示しているのを身体で感じており、悲劇性をより感じているのかもしれない。ただアメリカ型幸せに嵌っていることを自覚しているのかは判らない。秀逸なのがラスト、家を紹介したおばさんが、新しく越してきた若夫婦を褒めちぎり、あの2人を今になって色々と愚痴を垂れる。それをおじさんが、補聴器を外して聞くことを拒否する。フェードアウト。夢見がちというか青い鳥症候群というかそういう類に犯された若者の悲劇ではあるが、同時に精神病患者が指摘する、彼等の生き方を排除するアメリカ画一社会の暗さも示している。指摘者が精神病患者なのだもの。これから社会に出る若者、特に一家を養うことになるような人が観ると結構衝撃的なのではないかと思った。★★★☆ 若者の夢と社会の型の強力さが描き出された見応えあるドラマレボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで(Revolutionary Road)【米・英】 (2008年 119分)監督:サム・メンデスキャスト:レオナルド・ディカプリオ/ケイト・ウィンスレット/マイケル・シャノン〔1974年生〕/キャシー・ベイツ/ディラン・ベイカー/マックス・ベイカー/ジェイ・O・サンダース脚本:ジャスティン・ヘイス音楽:トーマス・ニューマン/ランドール・ポスター編曲:J・A・C・レッドフォード撮影:ロジャー・ディーキンス製作:スコット・ルーディン/サム・メンデス/ドリームワークス配給:パラマウント・ジャパン特撮:ランドール・バルスマイヤー美術:クリスティ・ズィー衣装:アルバート・ウォルスキー編集:タリク・アンウォージャンル他:tドラマ、t時事問題、tラスト、t原作、評価:★★★