その日の朝方6時ごろ
私は深夜付き添い担当の妹さんの電話で起こされた。

「兄さんがね、Mさん(私)に会いたいって言ってるの。」

寝起きで寝ぼけていたけれど、その言葉の意味を
私はすぐに理解して、身支度を整えて即座に病院に向かった。

病院への道は、もはや通いなれた道だった。
臨時の入り口の警備員さんに軽く挨拶をして
病院内に入れてもらい、足早にエレベータに向かった。

8階のボタンを押す。エレベーターを降りたらすぐ左。
ナースステーションを横切り、個室を開ける。

ドアを開けると、ベッドを挟んだ奥に座っている
80歳を超えたお母様とお父様が目に飛び込んできた。
老いたご両親。息子の手を握る、そのしわくちゃな手に私の胸も痛んだ。

彼はハァハァと苦しそうにしながら息は絶え絶え、目は見開き、
必死にお母様に「最後の言葉」を伝えている最中だった。

まさに、ドラマのワンシーン。
個室全体に緊迫した空気が流れていた。
誰もが静かに興奮していた。

「Mさんが来たよ。お母さん、ちょっとかわってあげて。」

妹さんがそう声をかけると、彼はこちらを振り向き
そこで初めて私に気づいた。

気づいた彼は私に向けて「最後の言葉」を
興奮した様子で続けようとした。

「M、Mはまだ若いんだから失敗を恐れないで
何にでも挑戦して…」

依然として目は見開き、はぁ、はぁ、と苦しそうに
「最後の言葉」を伝えようとする彼に対して、
私はある意味すごく冷静だったと思う。

彼の”悲劇の死に際””感動なる?最後の別れのシーン”
を向けられ、とっさに出た行動はそれを拒否するものだった。

「落ち着かせなきゃ。」

私は、反射的にベッドに駆け寄り
かがんで、彼と視線を合わせた。
そして、両手で彼の頭を抱き寄せた。

抗がん剤ですっかり髪の毛が無くなってしまったその
頭をなでながら、彼の「最後の言葉」を遮り、
そして、少し笑いを含んだ声で努めて明るく
そして陽気に話しかけた。

「どうしたのーー?
Tちゃん(彼の名前)、大丈夫だよ。大丈夫だからね。
大丈夫、大丈夫。だいじょうぶだよ?」

自分でも、一体何が大丈夫なのかよくわからなかったけれど
ただひたすらに「大丈夫」を繰り返した。「大丈夫」という言葉は
自分自身に言いたかった言葉なのかもしれない。


大丈夫、大丈夫、だいじょうぶ。


そうして、どれくらい時間が経ったかわからない。
1分?30秒?5分?
だいじょうぶ、が、大丈夫かわからない私にはなんだか長く感じたように思う。

とっさの自分の行動が良かったのか悪かったのかと不安になったころに
私の腕の中で彼がポツリと言った。


「あぁ、良い香りだ。」

そのセリフに私は思わず吹き出してしまい
そして、体を離し、彼の顔をもう一度見て
目線を合わせ笑顔を作った。

彼も、目を細めて無言で笑った。

先ほどの緊張感とは違う落ち着いた、満ち足りた声に
その場にいた皆は思わず笑い、個室には再び笑顔が戻った。

そして無言のまま今度はゆっくりとゆっくりと腕を上げ、私に触れた。
力のない腕が導くままに私は彼に顔を近づけると、
その先には、彼のつけているプラスチックの呼吸器があり
私の唇はその呼吸器に「コツン」とぶつかった。

彼は満面の笑顔で、息はもう、落ち着いていた。








それが意識ある彼と交わした最後のやりとりだった。






「あぁ、良い香りだ。」






それが彼が私に残した最後の言葉だった。
死の予兆は、彼が亡くなる数週間前からあった。

まずは、曜日がわからなくなった。
彼は私が休みの土日をいつも待ち望んでいた。
それで
「今日は金曜日?今日は土曜日だっけ?
あれ?今日はみこは友達の結婚式なんだっけ?」
と私の週末に予定が入っているかどうかを
何度も確認するようになった。

「今日は土曜日だよ。結婚式は無いからずっと一緒にいられるから安心してね。」

そう言った数分後に、「あれ?今日は金曜日だっけ?」とはじまる。
同じ返事をしても、その数分後に「みこ、結婚式はいつだっけ?」と繰りかえす。

そのやりとりを聞いていた看護師さんが

「○○さん(彼の名前)…と小さく呟き、足早に去っていった。」

私には笑って彼の質問にただ答えることしかできなかった。


そして彼はよく幻覚を見るようになっていった。
時に亡くなった親族。
時に異世界を見ていた。

壁やカーテンをそれと認識しなくなり、
私には見えない風景の話をするようになった。
居ない人がいるといった。

どっちが現実なのか分からなくなっていった。

「どっちの世界も僕にとっては同じくリアルで
どちらが本当の世界なのか僕にはわからないんだ。」

そう彼は言っていた。

ある日病室に行くと虚ろな目で居た彼が
私を見てハッとして正気に戻りひどく慌てていた。
私がリアルなのか、異世界の人なのかを確認するので
私が手を握り「こっちが本物。感覚があるでしょ?」というと
ようやく安心した顔になった。そして言った。

「戻ってこれなくなるんじゃないかって、怖いんだ。」

私には、彼が「異世界を見ているとき」と「現実を見ているとき」
の違いがわかった。異世界を見ているときの彼の目は虚ろだった。

彼はよく虚ろな目で、見えない何かをつかもうとするように
手を空中に上げながらブラブラと動かすことが多くなった。

「それ、それとって」
そう指さす、彼の指先には何にも物は置いてないのだ。
「何も置いてないよ」
というと、不思議そうな顔で私を見つめた。

「何も置いてないんだよ。」

こんな状態が数週間続いた。


彼の見ている異世界が彼にとってどんなものなのか。
私にはそれが気がかりだったので正気な時に聞いてみたことがある。

「ねぇ、異世界や見えている人たちは、怖い?嫌な感じがする?」

「うぅん、怖くなんかないんだよ。僕にとってそれはリアルなものと変わらないんだ。」

その答えを聞いて私は少し安心した。「怖いものではない」のだ。

そして、「私の」幻覚も見るようになった。
私が遅れて病室に行くと彼は「みこはずっと僕のそばに居てくれた」と主張する日があった。
私と居る時間が少ないとすぐにふてくされる彼だったけれど
その日は謝る私に「ずっと居てくれたよ?」と幸せそうに笑うのだった。

とても複雑な心境だった。

ただ、付き合い始めた頃に悪夢にうなされていた彼が
現実と幻覚の狭間に居る時に見るものが「幸せなもの」なのであれば
それはとても良いことなのではないか…という解釈をすることにした。
この異世界の向う側に死の世界があるのであれば
彼の行こうとしている世界は恐ろしいところではなさそうに思えた。

もしも死の向う側の世界が存在するのであれば、それは案外私たちの
世界と紙一重のところで広がっている場所なのかもしれない。
見えないだけで重なっているのかもしれない。
そんなことも考えた。


兎にも角にも、彼は死の淵に居てもなお、恨みや憎しみにとらわれてるわけではないのだ。
それは幸せなことなのだ。

そう思えることだけが、あの時の私の気持ちを支えていたように思う。
私と彼が付き合って3か月くらいで
彼は末期がんで緊急入院。
その時点で両足が麻痺して動けなくなった。

告知では
「余命は2週間から…長くて3年もったケースもある。」
と言われて、何も考えられなかった。
告知をうけて唖然とする私の顔を心配そうにのぞき込む
「緩和ケア」の先生の顔を今でも覚えている。

バツ沢山、子持ち、もうこの肩書きだけでファンキーな彼の人生を
想像するに難くない。彼は、病気になるべくしてなった人だった。

付き合い始めてすぐに彼の異常な疑心暗鬼な心に戸惑いを隠せなかった。
異様なまでの束縛。それは、「誰かに私をとられるんじゃないか」という恐怖からくるもので
常に「別れ」を恐れていた。別れが怖いから、自分から2人の関係を壊そうとしたり、私を試すかのように荒れてみたり。彼は当時の辛かった思い出を何十回も私に話したものだった。私はきっと当時カウンセラー兼彼女だったのではないかなと思う。

だから、告知をうけて、私も彼も「やっぱり癌だったか」と思った。

「もしも癌だったら絶対にわかれるから」と病気が発覚する前から言われていたけれど
結局私たちは別れることはなかった。

緊急入院してそのまま亡くなってしまうかも、という周りの心配に反して彼は数か月の入院生活を経てめでたく退院。退院とともに両足が不自由になった彼との同棲生活のスタートだった。
「大変でしょ。」と多くの人が声をかけてくれ、心配してくれたけど、変な話だけど私にとっては彼の病気が発覚する前より発覚した後の方が幸せだった。

病気になっても、両足が不自由になっても、顔が腫れて醜くなっても(彼は眼の癌だった)
尚も離れない私を彼はようやく信用してくれたようで「女性に対する疑心暗鬼な心」が晴れたのだと思う。

仲良く2人で前向きに生きた。車いすでいろんなところに出掛けた。
彼に会いに来てくれた、いろんな人と話し、いろんな思い出を聞いた。
今思い返すと彼の人生の走馬灯を一緒にみているようだった。
あの時間は本当に楽しくて幸せで、余命を宣告されている末期がんなんて思えないほど
2人とも幸せだった。

私たちの歯車が狂い始めたのは、彼の癌が脳に転移してからだった。

彼は著しくイライラするようになった。
今まで気にしなかったことを気にするようになり、私の一挙一動が気に食わなくなっていき
よく怒鳴るようになった。

私は私で「脳転移するというのはそういうこと」と自分を納得させ気にしないようにするものの
私に投げかけられる1つ1つの言葉を消化できずに知らず知らずのうちにため込んでいった。

加えて、脳転移からくる頭痛が彼を襲った。
モルヒネさえ効かないその頭痛はかれを絶叫させた。
耳をふさぎたくなるほどの絶叫を彼は繰り返した。

放射線を当てた彼の脳は腫れ、熱を持っていたので
頭痛の波がこないように冷却材で冷やした私の手を当てて冷やすようになった。

彼が叫んだらすぐに冷やすので、私は彼の唸り声や叫び声に敏感になり、
幻聴さえ聞こえるようになっていった。

眠れない夜が1週間続いた。

私は謎の胃痛に悩まされるようになり、あまりご飯が食べれなくなった。

それでも、私たちは馬鹿じゃないの?と思うほどに前向きで、
彼は間違いなく私の幸せを望み、私を気遣っていた。
いつもいつも私のことばかり考えていた。

だから、5月の連休、有給を合わせて10日間。
彼は自分の体調が悪かったのに「せっかくの休みなのにずっと家で僕の介護をさせてたんじゃかわいそうだから」と思ったのだとおもう。
「旅行に行きたい」と言い出したので、無理をしないようにゆったり温泉でもと小旅行を企画した。

温泉小旅行、といっても、車いすにのった成人男性を連れての旅行はそんなに簡単なものではない。それでも2人とも頑張ってとても楽しい時間を過ごした。2人とも頑張りすぎてしまったのだと思う。旅行終盤、あと少し頑張れば「楽しかったね」で終わりにできたのに、私は突如また謎の胃痛に襲われて、2時間動けなくなり、それをきっかけに彼は最高に不機嫌になった。

そして、「どうしてみこはいつもいつも旅行の終盤に胃が痛くなるのか」
と怒って怒って散々ムスッとした挙句にポツリと独り言のように
「俺のせい?」とつぶやいた。


彼の機嫌は旅行終盤から最後まで直らず、
その日の旅行の最後に私は彼から

「別れよう」

と言われた。


旅行だけじゃない。
ずいぶん前から私たちの歯車はバラバラで
それが私もわかってたからこそ私は言葉の通りに受け取った。
「彼は別れたいのだ」と。

私に余裕があったら「何言ってんの、あなた私が居ないと生きてけるはずないでしょ」と
笑い飛ばせたはずなのに。当時もう私もいろんなことにいっぱいいっぱいだったのだと思う。

今思えば、彼が「別れたい」なんて思うはずがないのに。
このままだと私も彼も共倒れするから「別れなくちゃ」と思った。
寂しがりやで自分勝手な彼の最大の愛だったのに私はそれに気付かなかった。

家に先に戻った私はその後人生で初めて過呼吸になり、体が痺れて動かなくなった。
駆け付けた、当時のもう一人の同居人に支えられるも、「彼と話したい」と訴え支える手を払った。

けれど、後から戻ってきた彼は過呼吸で倒れている私を見て
また罵声を浴びせ、同居人が止めに入る始末。

もう、なにもかもがカオスだった。異常の一言。
私も彼ももう精神状態が異常だったのだと思う。


翌朝、私はもう一人の同居人に彼を託して、家を出た。
「別れる」に承諾はしなかったものの、このままだと私が壊れるというのが
過呼吸になってようやく自覚したからだった。

ずっと彼と共にいる間に思っていたことは
「私が倒れたらいけない」だった。私が倒れたら彼も倒れてしまう。
それだけは絶対にダメ。

家を出て、友達の家に泊めてもらった。逃げるように、這うように
なんとかたどり着いた。

友人宅に向かう途中に、自分の胸がドキドキ言っているのがやけに奇妙だった。
きっと前日の過呼吸の名残だったのだと思う。

友人のアドバイスでその日、私は彼に手紙を書いた。
一晩中かけて書いた手紙を、とうとう最後まで彼には渡せなかった。


数日後、2人の関係をどうするか、ちゃんと向き合わなければと
家に戻った私は彼の姿を見て唖然とした。

明らかに容体が悪くなっていたからだ。

同居人が「お帰り」と私を気遣ってにこにこ笑うその姿に怒りさえ覚えてしまった。
「なぜ、あなたは気が付かないの?こんなに容体が悪くなっているのに。」と。
もちろん、私が託して出て行った手前咎めることはできなかった。
そして思った。「私じゃなきゃダメなんだ。」と。

別れ話なんてしている場合じゃない。
別れ話なんて、なんて悠長なことを考えていたのだろう。
私じゃないと彼は生きることが出来ない。

そして、話し合いが出来るような状況でもなければ
手紙(文字)が読めるような状況でもないことを私は悟り
何もいわずに一緒にいることを選んだ。


彼が亡くなったのはその数週間後だった。


2年前のちょうど今頃。


明日からGWです。