10月12日、旧道マニアの旦那さんの要望もあって、私が知っている地区をポタリングすることにしました。

しかし、この頃 私のケータイが不具合だったため、一部撮影した画像も消えたりしてたので  途中から彼のケータイを借りて撮影しました。  その画像でリポートしたいと思います。

この橋は《大角橋》と言いまして、岡山市南区西市の交差点脇にあります。
おそらく、金比羅往来の途中の橋だと思います。
江戸時代中頃から流行った四国金比羅参詣。  このための道が金比羅往来と呼ばれて、多くの庶民に使われたそうです。

岡山市城下を起点に、旧山陽道から吉備津ー庭瀬を経由するルートと、大元ー米倉ー妹尾経由するルートがあったようです。
私達は、後者のルートを今回辿ります。

こに大角橋から住宅街と米倉港を通って 児島線を横断、大福ー妹尾ー東畦から 現存する四国街道を少し走りました。

ここは[四国街道]と地図に記載されている道なんですが、明治以前に四国へ渡るルートの一つだそうです。

途中にある公園で、しばし休憩をしました。
この道は、仕事をしていた頃  四国街道なるものも知らず、よく使っていたので
これまでとは少し違った気持ちで通りました。
下調べしておいた道をひたすら漕いで、早島駅に近づきました。



表示板が経年劣化で課すんでしまってますが(笑)   早島はむかし「吉備の穴海」に浮かぶ島で、戦国時代の終わり頃 児島湾干潟化が進み、当時早島周辺を支配した戦国大名の宇喜田秀家は早島を起点にした潮止めの堤(宇喜田堤)を築いて 児島湾干拓の第一歩としたそうです。   その時の「四百間堤」の位置を示した表示板と、この辺りを通った旅人が歩いた道を辿るコースを「不老のみち」と命名した散策路が記載されていました。



ここの横には宇野線が走っています。

ここはその不老のみち(南回りコース)の途中です。街頭も歴史ロマンを感じる素敵なものでした。

通常舗装とは違う 白っぽい舗装で、散策路を分かりやすくしてありました。

雲が多いながらも晴れ間のあるお天気で、暑くなりました。
朝顔を見ると まだ夏のような気さえしました。

むかしは金比羅参拝の人々がたくさん訪れたため、旅籠や茶屋が建ち並ぶ 賑やかな町だったのでしょうね♪  一般の住宅街とは違う雰囲気がありました。



ナマコ壁が観光地の香りを醸し出しています。

このピンクの大きな建物は保育園だったんですよ!     広場もあって  プチ旅行している気分にさせてくれました。