こんばんは

田中みっちです。

 

ここ数日の「気づき」を

言葉にしてみました。

 

居場所がない、と想っているあなたへ。

届きますように・・・

 

 

この感覚は、ずっと持ち続けている。

居場所がない。

 

これは、小さな小さな子どもの頃から

ずっと持ち続けている感覚だった

 

小さな頃といえば、親は当然

側にいてくれて

周りに大人もたくさんいて

姉妹たちもいて。

 

それでも、私は

居場所がない。

って感覚を持っていた。

 

大きくなっても

その感覚は消えなくて

結婚しても、子どもができても

私の居場所を

探し続けていた。

 

周りに合わせて

周りの顔色を見て

周りを怒らせないように

自分を出さずに

周りの空気に自分を消して・・・

 

居場所が欲しい

だから、そうした。

 

でも、そうすればするほど

居場所がない感覚は

強くなっていく。

 

だけど、その方法しか

知らなかったんだよ。

 

小さい頃の私の周りの大人も、

そうして生きてる人ばかりだったから。

 

 

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でも、今、ずいぶん

大人になってわかること。

 

自分で居続け続け

わたしが私を極めればいい。

 

そのことにジワジワ

気がついた、10年ほど。

 

自分でいることは

それはそれは、勇気が要った。

 

居場所がないと

探すことをやめた。

 

人に合わせることも

ドキドキしながら

ちょっとずつ辞めた。

 

 

人が右に行くと言っても

その時の自分の感覚に

正直でいる事を選んだ。

 

今までの、私のやり方とは

真逆を生きる事にした。

 

自分の想いを最優先する。

嫌われてもいいし

手放し続けてきた。

 

目の前の人を

大切にしたらいい。

 

小さな世界でいい。

究極、私が私と

一緒にいてあげればいい。

 

それを極めていくと

居場所がない感覚が薄らいだ。

 

世界のどこにいても

私が私と共にいれば

何も変わらない。

 

そして、更なる進化。

 

ふと得た直感

居場所の中心になる。

 

 

 

 

そうだったんだ!

居場所の中心になるんだ。

 

私は、真ん中にいる事を

ずっとずっと恐れてた。

 

いつも、末席にいた。

隅っこにいた。端にいた。

後ろの方にいた。

隅から、真ん中を眺めてた。

そして、小さな時から

拗ねていたんだ。

 

 

だって、私の居場所は

真ん中だったんだもん。

 

気がついたら

大笑いしていた

 

真ん中にしっかりいればいい。

 

私は、私に集中する

ただそれだけでいい。

 

そして、私が

一緒に時を楽しみたい。

そう思える人と、繋がればいい。

 

一人一人として

尊厳を大切にしながら

 

今日会って、楽しんで

そして、明日にはお別れする。

その繰り返し。

 

そして、家族は自分で創る。

自分の居場所は

自分で創る。

 

真ん中にいる覚悟をしたら

もう端には寄れない。

 

私が真ん中にいる

その覚悟ができてないから

バラバラになるだけ。

 

真ん中にいよう。

私の世界は

私を中心に回っている。

(もちろん、みんなの世界も

そうなんだけど。)

 

わたしには、わたしの

ファミリーがいる。

 

家族が大切である。

そう、やっと心底思える。

 

一番、大切にしたかったのに

なぜかどこか、拒否をしてきた

そんな関係が

家族なのかもしれない。

 

バラバラになったピースを

一つずつ、集めていこう

 

ファミリー。かけがえがないもの。

わたしがわたしの

居場所を創る。

 

ただいま、と帰れる場所を

安心して、一緒にいて

安心して、自由に

離れることができる

そんな真ん中にいたい。

 

そこには、依存のカケラもなく。

自立したもの同士。

 

楽しいから一緒にいる

という関係の真ん中にいたい

 

ありふれた言葉だけど

家族が好き。家族が楽しい。

そして、大切にしたい。

 

 

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