両替も無事に終わって 徒歩圏内にある見所を一気に巡って行きたいと思います✨
何故なら トルクメニスタンのビザが下りるかどうかは別にして 来週開けまでにタジキスタンへ入りたいからです( ˊ̱˂˃ˋ̱ )

何という無謀なスケジュールなんだ…

どこの宿でも

1泊しかしないの❓(・・?)

と聞かれる私…どの旅人を見ても だいたい各街に2泊はしている感じですね(笑)

しかし 今回も❗️先々の国のビザをすでに申請しているので 出来たら日程通り入りたいのです〜💦

と言うわけで パラヴィゲストハウスから歩いて5分

街の中心にわっさりと集まっている見所✨

1つ目は一昨日サマルカンドで訪れたティムールの孫であり 天文学者の ウルグベク・メドレセ

彼が真の教育施設にしたいと願い建てた サマルカンド ブハラ ギジュドゥヴァンの3箇所 の神学校のうちの1つ

ここブハラの神学校は1418年に創設 そして1585年に修復されました_φ(・_・

現存する中央アジアで最古の神学校になります

メドレセの扉には 
知識欲こそムスリムに無くてはならぬもの
と言う格言が書かれています_φ( ̄ー ̄ )

その向かいに建っているのが アブドゥールアジス・ハン・メドレセ

ウルグベクが建てた神学校から遅れること200年以上 中庭を囲んで2階にアーケード状の部屋が作られ 夏と冬の礼拝室 創立者の廟があります

表の装飾にはインドやオスマン・トルコ帝国からの影響が見られ この200年にイスラム建築がかなり変化したことが見て取れます 色彩豊かになっていて華やかですヽ(´▽`)/

その先に見えてくるのがタキ タキは大通りの交差点を屋根で覆ったバザールですヽ(´▽`)/

今風のお土産やさんが陣取っていますが 天井を見上げると 丸いくぼみがポコポコと まるでたこ焼き器をひっくり返したような形になっています(笑)

ウズベキスタンの魅力的な民芸品は数多くありますが その中でもリシタン と ギジュドゥヴァン の2つの町の陶器が有名です(≧∀≦) 色鮮やかで 繊細で 思わずジッと魅入ってしまう品物が所狭しと並んでいます♪

毛皮製品も多く 羊の毛で作った帽子も沢山売っていましたが…こんなに暑いのにかぶれない(笑)

街中はとても平和で静かな印象( ˊ̱˂˃ˋ̱ )
行き交うのは観光客が多いですね お巡りさんも定期的に見廻り中( ̄^ ̄)ゞ

アイスキャンディー売りのオバちゃんは 三輪車をものすごいスピードでこいでます💨 早く行っていい場所取らなくちゃ(笑)

ちょうどその辺りにあるのが カラーン・ミナレット とモスク ブハラのシンボルでもあります

高さ46m 1127年にカラ・ハン朝のアルスラン・ハンによって建てられました 塔の底の部分の直径は9m 土台がこの下地下10mまでもぐっています

壁面は14層に分けて それぞれ異なったレンガのデザインが印象的 内部は105段の螺旋階段があり 以前は登れたのですが 現在は登ることが出来ません(。-_-。)

キャラバン隊にとっては大切な道しるべでしたが 18&19世紀には死刑場となり 袋に詰めた死刑因を塔の上から投げ落としたので 死の塔 と異名がついたほど 

多くの人に恐れられていましたが 1884年に最後の処刑が行われて以来沈黙したままです💨

その向かいに建つのが ミル・アラブ・メドレセ
1階が講義室 2階が寄宿舎になっています

ソ連時代に中央アジアで唯一開校を認められていた数少ない神学校のうちの1つ 

アラビア語 コーラン イスラム法を住み込みで7年間学びます 1536年に建てられましたが ハンが3000人以上のペルシャ人奴隷を売って建設資金を作ったことから このメドレセは土とレンガではなく 人々の血と涙と悲しみで出来ている と歴史家は記述しています

中の見学は出来ませんでしたが 入り口まで入ることは可能でした

そこからさらに5分 アルク城へ

最初の砦がいつ築かれたのかは不明 13世紀のモンゴル来襲の際には 立て篭もった多くの町民がチンギス・ハーンの軍隊に虐殺され 城も破壊されましたが 後に造り直されましたヽ(´▽`)/

アルク城から道路を隔てて反対側にある変わった建物が ボラハウズ・モスク

ハン専用のモスクで 城から絨毯の上を歩いて来たとされ  手前にある大きな池 ハウズ は大理石の吸水口や低いミナレットも見られました( ・∇・)

彫刻されたクルミの木の柱が20本 全てがカラフルに塗りあげられています✨

下から見ると星の輝く宇宙を見ているようです(^_^)

大した説明もしないまま次の見所へ行ってみます(笑)