ブログの先頭に あまりにも美しすぎるレギスタン広場の写真を持ってきてしまいました…

美しい 綺麗のほかに言葉があれば教えてください(笑)

さて アフラシャブの丘には観光客らしき人は誰もいません(笑) バカでかいリュックを背負って ノッシノッシと歩いているのは私ぐらいのものです(笑)このモコモコしている下には遺跡が埋まってるんですよ 考えただけで鳥肌が立ちそうですっε-(´∀`; )

なにせここは途中からお墓ばっかり(´⊙ω⊙`)
他人の墓など気にもせず ガツガツ草を頬張る牛と朽ち果てたお墓のギャップ…中々シュールでした( ̄▽ ̄;)

墓地好きな私は 中々ここから出れません(笑) 通り過ぎる度に墓守のおじさんや墓石屋のおじさんがチラリとみてきます…当たり前だろっ( ̄∀ ̄)💢

そんなお墓を抜けると 右手に ハズラティ・ヒルズ・モスク が見えてきましたヽ(*´∀`)

以前ゾロアスター教の寺院があった場所ですが アラブの侵略後 8世紀初めにモスクに建て替えられましたが モンゴル軍により破壊された後 19世紀にブハラのハン←王 によって再建されました テラスが大人気です❤️

そして前を見ると…出たよ…出たよ…

なんなの〜っΣ( ̄。 ̄ノ)ノ あの巨大な建物はっ❗️
一瞬で思い出したイランのエスファハーン広場…

中央アジア最大を誇ります ビビハニム・モスク

かつてイスラム世界で最大規模を誇ったモスク サッカー場がすっぽり入る大きさです💨

1399年 インド遠征から帰ったティムールは世界に比べる物がない壮大なモスク建造を決意します 

帝国各地から集められた200人の職人と 500人の労働者 そして95頭のぞうtが従事し ティムール自身も毎日現場へ足を運び 指示を出す熱の入れよう

当時その様子を見ていたスペインの公使によると ティムールは籠の上から肉や貨幣を建築現場に投げ入れ 工事の進行を盛んに急かしていたのだとか…

その結果 ティムールの死の1年前 1404年に驚異の速さで完成しました

中に入ると正面に大モスク 南北に小モスク 四隅にはミナレットがそびえ 壁はマヨルカ モザイクタイル 大理石彫刻で飾られていたといいます

これだけの素晴らしい建物を造らせておきながらティムールはこれが気に入らず設計者を処刑したと伝えられています

落成後間もないある日…
礼拝中の信者の上にレンガが落ちてきました
落下は続き それを恐れて礼拝をする信者もいなくなりました 以後も崩壊が進んで廃墟となり
さらには度重なる地震で姿を留めないまで壊れてしまいました 

崩壊の原因は建設を急ぎすぎたこと そしてあまりにも巨大すぎたその構造にあったと言います

それはまるでその後のティムール帝国自身の運命を暗示するかのようでした

通りを挟んで向かいには ビビハニム・モスクが建っています


だいぶ陽が暮れてきましたが 20:00まで開いているという情報を信じて…シャーヒジィンタ廟群へ

ここまでの移動距離 ウロウロ寄り道し過ぎて既に6km 結構疲れますね〜荷物が重過ぎて今すぐ捨てたい衝動と戦っている最中です(笑)

サマルカンドでも有数の聖地 ティムール所縁の人々の霊廟がほぼ一直線に並んでいます ここは 死者の通り 今も巡礼に訪れる人が絶えない場所で その装飾の多様さ 美しさで 中央アジアでも屈指の名所と言われています✨

シャーヒジィンタとは 生ける王 という意味
7世紀の伝説が元になっていて 布教の為サマルカンドにやってきた預言者ムハンマドの従兄 クサム・イブン・アッパースは ここで礼拝をしている最中に 異教徒に襲われ首をはねられてしまいました

ところが彼は動じることなく 礼拝を終え 自分の首を抱えると深い井戸へ入って行きました 彼はそこで永遠の命を得て イスラムが危機に陥った時救いに現れるのだと言います💨

もしそれが伝説でなく 本当なら 彼は今すぐパレスチナ自治区の人々を救わなければなりません 特に罪のない子供達を…

一番初めに説明した 天文学者ウルグベクが建てた入り口の門をくぐるとすぐに階段が見えてきます👀

この階段を数えながら登り その数が行きも帰りも同じだったら天国へ行けるそうですヽ(´▽`)/

ここでは数はナイショにしておきます❤️

ちなみに私もやってみたら 同じ数になりました
唱えるだけで極楽に行ける大乗仏教みたいですね(笑)


中に入ると数々の それはそれは美しい 思わず息を飲むほどハッとされられるような青さの廟がズラリと並んでいます

この写真に写っているのは 左がティムールのお気に入りの妻だった トゥマン・アカの墓
右がこの廟群の中で2番目に古い廟で これが他の廟のオリジナルになったのではないかと言われています_φ(・_・

そしてそのオリジナル廟の右手にあるのが クサム・イブン・アッパース廟

モンゴル来襲の際もこの廟だけは壊されずに残り それ故にサマルカンドで最も古い建物となっています
かつて入り口は金銀象牙で飾られ この廟を3回詣でるとメッカに詣でたのと同じになると信じられていたので

別名 楽園のドア とも呼ばれていました


肉眼でも目を凝らさないとみれませんが この奥にクサム・イブン・アッパースの墓があり 七宝焼きの色あざやかなタイルと植物模様 アラビア文字で飾られた宝石箱のような4段重ねの廟があります

まだまだ紹介したりませ〜ん…次のブログにまだ続きます(>人<;) 長くなってごめんなさいっ🙏