ウズベキスタンの首都タシケントにて (*´ー`*)

トルクメニスタン大使館へトランジットビザ申請

2018年5月15日

5:30起床
6:00トルクメニスタン大使館ウェイティングリストに名前記入 すでに10番目 この日日本人の名前はなし
6:30宿に戻る
7:00-8:00 朝食 調べ物
8:30 グランド・ミール・ホテル前の交差点 斜め向かいにあるフォトショップでアゼルバイジャンビザのプリントアウト 8:30開店 A4 1枚につき1500ソム PlayStation3 ネットカフェだったら1枚1000ソム ただし開店9:00
9:00再びトルクメニスタン大使館 ウェイティングリストにあった名前は30名分程度
9:25 何名か名前を呼ばれた人がいなかったので 飛ばされて 第1グループで10番目の私が名前を呼ばれ中へ💨

窓口にて

パスポート原本←直ぐに返されます
パスポートカラーコピー1通
カラー証明写真3×4 2枚
アゼルバイジャンビザ カラーコピー1通
(今回はカスピ海を渡りトルクメンバシからバクーへ行くのでアゼルビザを提出しましたが イランへ抜ける人はイランビザを提出してくださいね 地獄の門があるダルバザの名前は観光目的と思われるので絶対書かない事)

書類を渡すと 外国人用のトランジットビザ申請記入用紙をもらうので記入 ←わからなければ大使館員さんが教えてくれるので窓口で聞きましょう_φ(・_・

電話で英語が堪能なオペレーターが詳細説明してくれます(^_^) わからないことはこの時に質問して大丈夫です👌 一度電話を切っても必要であれば何度でも内線で繋いでくれますヽ(´▽`)/ 

外のお巡りさんも丁寧だったし 大使館員さんも優しかったし 英語の説明もとても聞きやすく 分かりやすかった…

日本での自由観光ビザ取得が現時点では壊滅的に…
そして絶望的なトルクメニスタン( ̄▽ ̄;)

泣いても笑っても 我ら自由な旅人に許されるチョイスは トランジットビザしかないのです(笑)

本日5月15日に申請をしたので 通るかどうかの連絡が週明けの月曜日にメールで来るとのこと

私は確実に受け取りたいので 
この大使館へ再び取りに来ます❗️と伝えました
オペレーターもそれがいいわね 
って言ったと思うっ(笑)

手続きが終わったのは10:00 宿へ荷物を取りに行きます

この時点で 今日大使館へ出向いた事
トランジットビザを申請した事
名前 性別 誕生日 パスポート情報 住所 電話番号などを英語で書き メールで送信💨

送り先のメールアドレスは 電話でオペレーターが教えてくれます(≧∀≦)_φ( ̄ー ̄ )

この白亜の宮殿がトルクメニスタン大使館✨
隣は韓国大使館🇰🇷 

地図にもいろんな人のブログにも地図が載ってるので端折ります(>人<;) 
地下鉄Ⓜ️ウズベキスタン線 Oybek 駅と Kosmonavtlar 駅を結んだちょうど真ん中あたりにあります✨

そう これで申請は終わり…
今回の旅で一番大変な作業第一段階終了💨

大使館行く途中にサンダルの鼻緒がもげたんだけど(。-_-。) 
不吉な事とか 起こりませんように(>人<;) 
ここでサンダルとサヨウナラ(つД`)ノ

審査が無事通りますように〜(>人<;)
通過するだけですからっ❗️通り過ぎますから〜っ❗️

と言うわけで タシケントをいったん離れます(^_^) 
パスポートホールドされないからね 他の国へも行けるのよ❤️

また来週戻ってこなくちゃね←無事に審査が通れば…の話ですが  ビザ申請代金の55ドルはビザの申請が通り
ビザをパスポートに貼ってもらう際に支払うそうです つまり審査が通らなければ払わなくてよいと言う事ですね( ̄▽ ̄;)

続いて向かうのはウズベキスタンきっての観光地 世界遺産があるサマルカンド💨 

何故なら今日の朝一でタジキスタンのドゥシャンベ行き飛行機は出てしまった…
次に飛ぶのは来週火曜日(笑)
待ってられるか〜い(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

と言うわけで 列車も探しましたが早朝と夜の便しか空いておらず ミニバス利用することに💨

地下鉄Ⓜ️のチランザル線 終点のOlmazor 駅 

出てから サマルカンド行きの乗合ミニバス乗り場まで 軽く30人ぐらいのタクシードライバーに絡まれます(笑)

シェアタクシーの言い値は50000ソム 
地元の人は45000ソムぐらいで乗ってるハズ(^_^)

昨日急遽入れたロシア語翻訳アプリ✨


早速役に立ちましたヽ(´▽`)/ 

ミニバス乗り場はこの青矢印の場所 この手前に5段階ぐらいのタクシー運転手のトラップがあって 諦めずにここまでたどり着けたら サマルカンドまで満席になり次第出発💨 

片道25000ソム❗️


よっしゃ( ̄∀ ̄) メゲズに直進したらあったぞっ❗️

バスはないって ウズベキスタンのタクシー運転手は100%言うので 笑顔で無視してあげてね(^_^)

怒ったら負けよ〜
怒ったら負けなのよ〜

って言いながら
マジで一人ブン殴ってやりたい頭クルクルパーのウズベクの運転手がいた(。-_-。) アイツだけは…

ミニバス❓ あるよ〜( ̄▽ ̄)
ほらほら 上をみあげてごら〜ん❓

て完全に舐めてるよね…(。-_-。)

思わず中指立てたったわ💢
そんな頭の悪い可哀想なドライバーを無視して 最終的に半額の25000ソムでサマルカンドまでの勝利を勝ち取ったのです✨(=゚ω゚)ノ✨

ざま〜みさらせ〜い( ̄∀ ̄)←大人気ない(笑)

それがなんぼのもんかっていうと 350円か 700円かの違いです(笑)
どうでもいいって思う人はタクシー乗れるから🚖戦わなくても大丈夫(笑)

12:10分 満席になったので出発💨

サマルカンドまでの距離は約320km 所要時間は約4時間半 途中で1度給油のためにガソリンスタンドに立ち寄りましたが それ以外は一切休憩も乗客の乗り降りもなくひたすら走りま〜す←何故かウズベキスタンでは給油の際 運転手以外は降ろされて売店前で待機です…❓安全の為かしら❓

午後16:30 サマルカンドの街のハズレで捨てられました(笑)こっからどうやって中心へ❓
軽く4kmぐらいかな❓宿まで8km弱…
乗りなって言われたんだけど なにせ50ドルしか両替してない…現金は出来るだけ使いたくない…
ある意味では観光するのに便利な場所だったので 歩きながら中心地へ向かうことに…

しかし…荷物が食い込むぜ…昨日シャンプーを買ったせいで また500g増えちゃった(笑)

歩き出して5分もしないうちに ウルグベク天文台跡へ到着 (=゚ω゚)ノ 
1908年にロシア人のアマチュア考古学者ヴィヤトキンによって発掘され その存在が明らかになりました

現在の天文台と基本構造は同じ建物wp1400年代に造っていたことが驚きです((((;゚Д゚)))))))

ウルグベクは恒星時 1年を365日と6時間10分8秒と推測しました…
現在の精密機器で計られたものは365日と6時間9分9.6秒っ❗️(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾えーっ❗️

恐ろしいことに誤差1分以内…
いったいどうやって…望遠鏡もない時代に…

ちなみにウルグベクはティムールの孫にあたり 学問 音楽 歴史を愛し 貧しい家の子達に数学や天文学を教えました_φ(・_・ 

ところが保守的だったイスラムの指導者の反感を買い ウルグベクの息子を騙して父親に刺客を向けたのでした こうしてウルグベクは55歳にして悲劇の死を遂げます

当時はまだ宗教が科学に勝っていました ウルグベクの100年後に現れたガリレオでさえ 地動説を唱えたために宗教裁判にかけられたのですΣ(-᷅_-᷄๑)

権力者はいつも自分の意見に従わないもの 新しい発見をした者に怯え 亡き者にしようとしますね…新しい人種の誕生なのに…高等な思考レベルを兼ね備えた素晴らしい新種なのに…

悲しい事ですが 暴力と恐怖で民衆を押さえつけ それを繰り返した結果生きているのが 我々ホモ・サピエンス

これが北京原人だったら…ネアンデルタール人だったら こんな不幸は起こらなかったのかも知れません

我々は愚かな生き物ということになります💨 
いつぞ北京原人やネアンデルタール人のように絶滅するのかもしれません( ̄(工) ̄)

ま それならそれです(。-_-。) この地球環境で生きて行くのに結果 適応出来なくなったということですからね(^_^) 話が随分逸れてしまいました💦

続いてダニエル廟
ここはキリスト教 ユダヤ教 イスラム教の共通の聖地です💨 小川の辺りにある霊廟で 紀元前3-4世紀の聖人 ダニエルを祀っています

彼の遺骨は国外へ持ち去られましたが 14世紀にティムールがイランから持ち帰り 以前寺院があったこの場所に 長さは18m の墓を建てて葬りました…ダニエルの墓がなぜこんなに長いのか…彼の骨は死んでなお 100年ごとに成長すると言う伝説があるからです…( ̄▽ ̄;) カルシウム摂取過剰すぎましたか❓
なんて聞いたら殴られそうです💦

霊廟の手前には聖水が湧いており 御利益を信じて聖水を汲む人が絶えません( ^ω^ )

もちろん私もあやかって 水筒に詰めました✨( ̄∀ ̄) どんな効果があるのだろうか…ワクワク( ̄∀ ̄)


ダニエル廟には日本語を話すお巡りさんの女性と 入り口の切符売り場のおばさまも日本語で挨拶をしてくださいました

続いて アフラシャブ博物館
アレクサンドロス大王時代のコインをはじめ

ゾロアスター教の祭壇や偶像など アフラシャブの丘から出土した物が展示されています✨

中には婚礼の行進や

一説では墓参りの様子 とも言われる行進の図があり

中でも1番の見所は 7世紀の領主の宮殿から発見されたフレスコ画の壁画ヽ(´▽`)/ 当時の華やかな貴族達の姿が描かれ

別の面には冠を載せた朝鮮人や船に乗った中国の公女達もえがかれています 

いずれも当時の交易圏の広さを表す 非常に興味武器壁画なのです(^_^)

さて 外へ出てみましょう( ^ω^ )

モンゴル軍に破壊し尽くされた旧サマルカンド

今では牛の餌場となりましたが この丘の発掘調査の結果 なんと文化の痕跡が11層も積み重なっているのが確認されました((((;゚Д゚))))))) 

つまり11回 建物を立て直したり 道を作り直した結果ですね(・Д・)

当時サマルカンドはシルクロードと呼ばれていました はるか彼方から行き交う人々で さぞ賑わったことでしょう 当時既に各家庭に水道が引かれていたというから驚きです

モンゴルの来襲の後 街が打ち捨てられたのは 生命線であった この給水システムを破壊されたことに起因するのだとか…

続きは次のブログへ(*´ー`*)