よくぞこのブログをポチッと開けられましたね(笑)
やってまいりました( ̄∀ ̄)
恒例の歴史編でございます(笑)
も〜書くの大変(笑)
でも頑張ります_φ( ̄ー ̄ )
めっちゃ端折っていきますね〜
覚悟はいい❓( ˊ̱˂˃ˋ̱ )❓
9世紀中頃 この地域を支配していたトルコ系遊牧国家ウイグルが やはりトルコ系のキルギスに滅ぼされると トルコ系遊牧民は大挙して西方に移動 これによりモンゴル系遊牧民がモンゴル高原に広がりました
スターウォーズのアミダラ妃のモデルはモンゴルの妃だったんですね❗️
1206年大長老会議でハーンに推薦されたのが チンギス・ハーン
彼はそれぞれの部族を解体し軍隊を構成 この軍事力を持って中央アジア トルキスタンに遠征しました
これにより朝鮮半島から中国全土 中部ヨーロッパからシベリア 果ては北インドまでが広大なモンゴル支配下に入りました
カザフ族鷹匠
1368年 中国の大軍が都に迫り モンゴルの中国支配は終わります その後内乱や分裂を繰り返していましたが この頃外交として アバタイがチベット仏教のダライ・ラマに会い 帰国後ハラホリンにエルデニ・ゾーを建立 後に彼の家系からモンゴル最大の活仏となるジェプツンダンバ・ホトクトが現れます
オルホン稽古の文化的景観に指定されているトゥフ僧院
17世紀初め 満洲族がモンゴルを支配下に収め 1634年に征服 1755年頃から各地に寺院が建立され かつてのような戦乱は後を絶ちましたが ラマ←僧の急増で 生産人口が減少した上 清朝の役人や 漢人の高利貸しの搾取によって経済は貧窮します
19世紀にはロシアが政治的 経済的に影響力を強め 清朝は漢人農民の内モンゴルへの移住を黙認したため 牧地が不足 王公優遇政策も形骸化し王公の間に不満が募りました
ガンダラ寺の観音像
19世紀半ばロシアの援助で清朝からの分離が画策され 1911年に清朝が革命で倒れると同時に独立を宣言しました ところが ロシアと中国の圧力で再び中国の支配下に置かれ自治区として認められました
恐怖政治を敷かれていたモンゴル人民軍はソ連赤軍に援助を求め 1921年に中国軍を追い出し 現在のウランバートルを奪回 こうして人民政府が誕生し 立憲君主制をとりましたが 1924年にハーンが亡くなると共和制に移行しました
その後モンゴルはソ連指導のもと 社会主義国家として歩み出します 1920年に時の政権が反ソ的な民族主義政策を行ったとして右翼傾向と批判を浴び ついで左翼化した政府のもとで 強固な集団化政策をとった結果 遊牧民の大規模な反乱を招きました
チョイバルサン時代には多くの指導者が抹殺され 1939年に東部国境で日本軍の大規模な侵入←ノモンハン事件 モンゴルでは ハルハ川の戦いと言います を受け ソ連軍とともにこれを撃退
1945年にはソ連と共に対日宣言に加わりました
ノモンハン事件の旧日本軍
その後ソ連でペレストロイカが始まると 1986年からモンゴルでもモンゴル版ペレストロイカが始まりましたが 人民革命党は独裁を放棄し複数政党制を導入 これに大統領制が加わり議会主義への転換を図りました
日本とモンゴルにおいては13世紀の元寇が有名です モンゴルは日本を支配下にしようと試みますが 時の政権北条時宗に入貢を拒否され 二度にわたり九州襲来に踏み込みました しかしながら九州&四国武士の激しい攻防と たまたま発生した暴風雨で大敗しました💨
20世紀には日清 日露戦争を経て大陸への野望を抱いた日本が今度はモンゴルを侵略企てます
1920-1930年にかけても日本軍←関東軍 は対モンゴル工作を続け ついに起こったノモンハン事件で日本軍は大敗 第二次世界大戦後はシベリア抑留者の一部14000人がモンゴルに移送され 1597名が死亡しました
日本とモンゴルの関係は民間レベルで細々と続けられて来ましたが 1972年に外交関係が樹立され 1977年に無償協力としてカシミヤ工場の建設及び ウランバートル電力工場のメンテナンス協力を行ってきました
経済発展による建設ラッシュが起こったモンゴル
かつての共産党 人民革命党が人民党に名前を変え 各国との外交も活発化
安倍首相も2013年にモンゴルを訪問し戦略的パートナーシップ強化を共同声明で発表しましたが モンゴルは中国とも同様の協定を結びました
今後20年間で10奥トンの石炭を中国へ供給 大統領は北朝鮮にも訪問し同国との良好な関係が国際的価値を高めているのが現状です
それでも多くの遊牧民が暮らす国 モンゴル
彼らの一年は忙しいですが 自然を相手に楽しみながら暮らしています
トナカイ遊牧民
出産ラッシュの春 子供をなくした羊や山羊のミルクが出るように別の羊や山羊の子供を取らせたり タカやキツネに子供をさらわれないよう目を配り 突然の吹雪で凍えないようにと 次から次へと気配りが絶えません
夏には子供たちも草を食べ始めこの間に水場へ家畜を連れていきミルクを搾乳し モンゴル特有の固いチーズを作っておきます
秋には冬の営地の準備を始め ゲルを温める燃料の確保 家畜に与える餌を準備し 気温が下がり始める11月ごろに 夏の間に丸々と太った家畜を殺して干し肉にし また暖かくなる4月ごろまでの主食として食べます
牛一頭の干し肉は 細かくさくと 牛の膀胱におさまるまで小さくなり 携行食としても重宝されるそうです
遊牧民の男性は 冬マイナス30度でも雪の下にある草を食べさせるため毛皮を張ったデールを着て放牧に出かけます💨
こうして遊牧民の1年は過ぎていきますε-(´∀`; )
そして現在 夏ではないので見れませんでしたが モンゴルと言えばナーダム🇲🇳モンゴル相撲が有名ですよね
国のナーダムは 512人の力士が参加 10回戦まで行い優勝者が決定します
区切られた土俵がなく 手をついても負けになりません 相手のヒジ ヒザ 頭 背中を地面につけたら勝ち✨
年齢制限もなく若者も白髪のベテラン力士も参加し その技の数は実に400に上るそうです❗️((((;゚Д゚)))))))
両手を広げている力士は戦いに勝った力士 鳥が羽ばたくように舞うのだそうです
またモンゴルの競馬も凄まじく 騎手は7-12歳の少年少女のみ レース用に華やかな衣装を身につけてゼッケンをつけたら出発💨
途中で騎手が振り落とされ馬だけがゴールしたり あまりの激しさに馬がレースの途中で死んでしまうことも…
モンゴルでは毎年草原を舞台に様々なドラマが生まれているのです
ちなみにモンゴルでは観光客の乗馬も盛んです(≧∀≦)
遊牧生活をずっと続けてきた遊牧民の皆様 モンゴル帝国時代も馬に乗るのは朝飯前💨 遊牧生活で大移動はお手の物
当然そんじょそこらの軍隊よりも機動力がずば抜けて高かったのは言うまでもありません(笑)
乗馬する時の注意点_φ( ̄ー ̄ )
馬に乗るときは必ず左から
馬の後ろには立たない←蹴られます
大きな音は立てない
大きな声で喋らない←驚いて走り出します
香水など匂いに敏感なのでキツイ香りをつけない
などの決まり事を守って 馬に優しく自分も安全に乗馬してくださいね(・ω・)
以上をもちまして モンゴル編終了〜っ❗️
もっとモンゴル満喫したかったですっ❗️
飛行機から眺めるだけじゃなく ゴビ砂漠にも行きたかったです
ハルハ川のノモンハン事件の場所へも足を伸ばして見たかったですっ❗️
それには1週間というのはあまりにも短い時間でした💨せめて2週間ないと…今度来るときはランクルレンタルして駆け抜けてやるんだからっ(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾(笑)
言えばキリがありませんが 本当に沢山の方々に助けられ 優しく接してもらい とてもいい思い出が出来ました✨
改めて御礼申し上げます(๑>◡<๑)
お次に向かうは西安✨ Hitomi姉さんと北京に10年前に行って以来です🇨🇳
いざシルクロードへ( ´ ▽ ` )ノ
中国編もお楽しみに♪














