初めまして。 みっち と申します。
人生の折り返し地点にそろそろ足を踏み入れるくらいの年齢になり、自身の人生を振り返ってみた結果…
あまりにも自分がクズ過ぎて馬鹿すぎてどうしようもない気持ちになったのですが、反省の意味を込めて自分の「借金人生」を振り返っていこうと思い、ブログに書きとめることとしました。
父は会社員、母はパートという平凡な家庭の長男として生を受けた自分。借金まみれのクズというと、一般的には育った家庭に問題があったり…というパターンを思い浮かべる方もいるかもしれないけど、至って普通、いや…最近よく聞く「親ガチャ」で言えばそれなりに当たりの部類になると思う。
特に母親が教育熱心で、3歳の頃から公文式に通わされた。公文式とはなんぞやというのは説明しないが、まだ幼稚園に通っているような段階から漢字や足し算引き算を嫌というほど教えられて育った。将来はお医者さんか弁護士になりなさい。母親からよく聞くワードだった。
小学校では一年生の時点でシャーロックホームズの小説を常に読んでいるという、今思えば生意気なガキだった。勉強は一切つまづく事もなく卒業を迎え、私立中学に合格もしたが場所的に親元を離れる必要があり、悩んだが私立ではなく公立に進む事にした。同じく中学でも成績は良かったが、幼少期から勉強をさせられていた反動が一気に来た。全く勉強する気が起きないのだ。この時期には既に公文式は辞めていて塾に通っていたが、宿題などに手をつけたこともなければ、授業中は居眠りばかりしていた。家では部屋にこもって勉強する振りをして漫画を読んだり漫画を書いたりしていた。唯一、日本の歴史、世界の歴史という漫画を読んで歴史に興味が湧き、色々な本を読み漁ったおかげで歴史にだけは滅法強かった。
勉強しなくても中学レベルならこれまでの貯金でテストは乗り切れたし、クラスではいつも一番、学年でもトップクラスは維持出来ていた。この時に自分が成績が良いのは決して頭が良いのではなく、今までの貯金を食い潰してるだけと気づけたらその後の人生はもっと良かったのかも知れない。全く勉強しなくても良い成績を取れるので、自分は勉強なんかしなくても良いなんて根拠のない自信が生まれてしまっていた。ただ、母親には勉強していないと叱られるため勉強してる風に見せかける努力だけはしていた。
そうこうしてるうちに中学3年になり、どこの進学校に行こうかな…と思っていたところで母親が言った。
「この学校、この御時世なのに就職率100%なんだって!あんたここに行ってみたら?」
この学校とは高等専門学校、高専と呼ばれる学校だった。通常の高校とは違い五年制で、工業系の技術者を育てるという名目の国立学校。最近の有名人ではセクシー女優の紗倉まなさんや、Official髭男dismの小笹さんなどが高専の出身だったりする。
折しもこの時は就職氷河期。母親からすれば、いい大学に行っても就職出来なければ意味がない。高専なら技術者として上場企業、成績がふるわなくとも安定した会社に就職するのも可能で、まだ学びたいのであれば国立大学への編入も出来る。また公務員になる人も多く、どの道を選んだとしてもそれなりにいい人生が待っている。一流大学を出てもまともに就職出来ない人がいた時代で、息子にはしっかりとした人生を歩んで欲しいという親心だったのだろう。
自分はといえば、幼少期から親の言うがままにし続けてきた結果、自分自身でモノを考えるということをしてこなかった。いわば親のラジコン状態、母親の言う事は絶対だったのだ。親の顔色を伺い叱られないようにという行動原理で生きてきた自分は、この時も親の言う通りにしてしまった。
受験勉強もしないままに高専を受験。ここでちょうど貯金を上手く使い切ったのだろう、合格することが出来た。高専に入学し親元を離れ寮生活を送る事になった俺は、ついに親に操作されない人生を歩む事となった。
高校になると一気に勉強が難しくなる。しかも高専となれば専門科目がある。自分は建設系の学科だったので測量学や地学、力学なども勉強しなくてはならなかった。しかし…自分には勉強をするという土台が一切なかった。さらに周りも高専に合格する程度には優秀な人間達だ。高専でも勉強せずともやっていけるはず、という淡い期待は前期の中間テストで完璧に打ち砕かれた。43人中40番。これまでの人生で味わったことのない屈辱だったが、それでも勉強する気にはならなかった。
高専という場所は無駄に大学っぽいところがあり、テストの平均が50点を超えないと単位が取れなくなる。それが重なると留年となる。流石に一年時から単位を落とす事はなかったが、親には勉強しろとこっぴどく叱られた。
しかしである。親が側にいない上に、遅く来た反抗期もあり言う事を聞く気が一切なかった。就職率100%なんだったら、卒業さえすりゃどこか働けるのだろう、単位を落とさなあ程度にやっていけばいいと思っていた。
それでも中学では優秀だったわけで、心のどこかでは「俺が本気になればこいつらに負けはしない」という今思っても恥ずかしいくらいの感情を持っていたりもした。俺まだ本気じゃねーし、的なヤツである…
その感情は二年生の時に爆発することになる。同級生に落ちこぼれ扱いされたことで、俺の本気見せてやるよ!というスイッチが入ったのだ。テスト一週間前から毎日6時間の猛勉強!!ろくに勉強の仕方も知らなかったが、自己流で頑張った。まあ、所詮一週間なのだが…
結果は24位。…あれだけやって半分以下なのかと絶望した。まあよく考えてみると、教官にこのクラスは近年一優秀と言われる程優秀な人間がいたクラスであり、その中で中学時代から一切の勉強を放棄していた人間が一週間やっただけで半分くらいの順位。しかも平均点が13教科で76点くらいあり、10番くらいの人間で81点とかの団子状態だったらしいので全く悲観する必要はなかった。むしろ今後も継続してやれば落ちこぼれなんて言われることもなかっただろう。
しかし、当時の自分からすれば自分は凡人だったんだという絶望感しかなかった。これで自分に微かに残っていた頑張らなきゃという気持ちが完全に切れてしまう。
タバコを吸うようになり、度々深夜に寮を抜け出して一人フラフラするようになった。そんな中で人生最悪の出会いを果たしてしまう。
その名はパチスロ。この出会いから自分の人生は一気に転落していくこととなる。
人生の折り返し地点にそろそろ足を踏み入れるくらいの年齢になり、自身の人生を振り返ってみた結果…
あまりにも自分がクズ過ぎて馬鹿すぎてどうしようもない気持ちになったのですが、反省の意味を込めて自分の「借金人生」を振り返っていこうと思い、ブログに書きとめることとしました。
父は会社員、母はパートという平凡な家庭の長男として生を受けた自分。借金まみれのクズというと、一般的には育った家庭に問題があったり…というパターンを思い浮かべる方もいるかもしれないけど、至って普通、いや…最近よく聞く「親ガチャ」で言えばそれなりに当たりの部類になると思う。
特に母親が教育熱心で、3歳の頃から公文式に通わされた。公文式とはなんぞやというのは説明しないが、まだ幼稚園に通っているような段階から漢字や足し算引き算を嫌というほど教えられて育った。将来はお医者さんか弁護士になりなさい。母親からよく聞くワードだった。
小学校では一年生の時点でシャーロックホームズの小説を常に読んでいるという、今思えば生意気なガキだった。勉強は一切つまづく事もなく卒業を迎え、私立中学に合格もしたが場所的に親元を離れる必要があり、悩んだが私立ではなく公立に進む事にした。同じく中学でも成績は良かったが、幼少期から勉強をさせられていた反動が一気に来た。全く勉強する気が起きないのだ。この時期には既に公文式は辞めていて塾に通っていたが、宿題などに手をつけたこともなければ、授業中は居眠りばかりしていた。家では部屋にこもって勉強する振りをして漫画を読んだり漫画を書いたりしていた。唯一、日本の歴史、世界の歴史という漫画を読んで歴史に興味が湧き、色々な本を読み漁ったおかげで歴史にだけは滅法強かった。
勉強しなくても中学レベルならこれまでの貯金でテストは乗り切れたし、クラスではいつも一番、学年でもトップクラスは維持出来ていた。この時に自分が成績が良いのは決して頭が良いのではなく、今までの貯金を食い潰してるだけと気づけたらその後の人生はもっと良かったのかも知れない。全く勉強しなくても良い成績を取れるので、自分は勉強なんかしなくても良いなんて根拠のない自信が生まれてしまっていた。ただ、母親には勉強していないと叱られるため勉強してる風に見せかける努力だけはしていた。
そうこうしてるうちに中学3年になり、どこの進学校に行こうかな…と思っていたところで母親が言った。
「この学校、この御時世なのに就職率100%なんだって!あんたここに行ってみたら?」
この学校とは高等専門学校、高専と呼ばれる学校だった。通常の高校とは違い五年制で、工業系の技術者を育てるという名目の国立学校。最近の有名人ではセクシー女優の紗倉まなさんや、Official髭男dismの小笹さんなどが高専の出身だったりする。
折しもこの時は就職氷河期。母親からすれば、いい大学に行っても就職出来なければ意味がない。高専なら技術者として上場企業、成績がふるわなくとも安定した会社に就職するのも可能で、まだ学びたいのであれば国立大学への編入も出来る。また公務員になる人も多く、どの道を選んだとしてもそれなりにいい人生が待っている。一流大学を出てもまともに就職出来ない人がいた時代で、息子にはしっかりとした人生を歩んで欲しいという親心だったのだろう。
自分はといえば、幼少期から親の言うがままにし続けてきた結果、自分自身でモノを考えるということをしてこなかった。いわば親のラジコン状態、母親の言う事は絶対だったのだ。親の顔色を伺い叱られないようにという行動原理で生きてきた自分は、この時も親の言う通りにしてしまった。
受験勉強もしないままに高専を受験。ここでちょうど貯金を上手く使い切ったのだろう、合格することが出来た。高専に入学し親元を離れ寮生活を送る事になった俺は、ついに親に操作されない人生を歩む事となった。
高校になると一気に勉強が難しくなる。しかも高専となれば専門科目がある。自分は建設系の学科だったので測量学や地学、力学なども勉強しなくてはならなかった。しかし…自分には勉強をするという土台が一切なかった。さらに周りも高専に合格する程度には優秀な人間達だ。高専でも勉強せずともやっていけるはず、という淡い期待は前期の中間テストで完璧に打ち砕かれた。43人中40番。これまでの人生で味わったことのない屈辱だったが、それでも勉強する気にはならなかった。
高専という場所は無駄に大学っぽいところがあり、テストの平均が50点を超えないと単位が取れなくなる。それが重なると留年となる。流石に一年時から単位を落とす事はなかったが、親には勉強しろとこっぴどく叱られた。
しかしである。親が側にいない上に、遅く来た反抗期もあり言う事を聞く気が一切なかった。就職率100%なんだったら、卒業さえすりゃどこか働けるのだろう、単位を落とさなあ程度にやっていけばいいと思っていた。
それでも中学では優秀だったわけで、心のどこかでは「俺が本気になればこいつらに負けはしない」という今思っても恥ずかしいくらいの感情を持っていたりもした。俺まだ本気じゃねーし、的なヤツである…
その感情は二年生の時に爆発することになる。同級生に落ちこぼれ扱いされたことで、俺の本気見せてやるよ!というスイッチが入ったのだ。テスト一週間前から毎日6時間の猛勉強!!ろくに勉強の仕方も知らなかったが、自己流で頑張った。まあ、所詮一週間なのだが…
結果は24位。…あれだけやって半分以下なのかと絶望した。まあよく考えてみると、教官にこのクラスは近年一優秀と言われる程優秀な人間がいたクラスであり、その中で中学時代から一切の勉強を放棄していた人間が一週間やっただけで半分くらいの順位。しかも平均点が13教科で76点くらいあり、10番くらいの人間で81点とかの団子状態だったらしいので全く悲観する必要はなかった。むしろ今後も継続してやれば落ちこぼれなんて言われることもなかっただろう。
しかし、当時の自分からすれば自分は凡人だったんだという絶望感しかなかった。これで自分に微かに残っていた頑張らなきゃという気持ちが完全に切れてしまう。
タバコを吸うようになり、度々深夜に寮を抜け出して一人フラフラするようになった。そんな中で人生最悪の出会いを果たしてしまう。
その名はパチスロ。この出会いから自分の人生は一気に転落していくこととなる。