僕が『アナスタシア』と出会ったのは6年くらい前(だったと思う)。読み始めた瞬間にとてつもない衝撃を受けて、それからずっと「この本を薦めたい」と思い続けていた。「この本が拡がれば拡がるほど、間違いなく悦びがこの世に満ちてくる」と。


だけど、チビりな僕は“この人なら確実に受け入れてくれるだろう”という人にしか、『アナスタシア』を薦めることができなかった。たぶん、拒否されるのが怖かったんだと思う。その結果、この6年間で、僕が『アナスタシア』の話をすることができたのは、10数人くらいしかいなかったと思う。


ところがどうだ。みっちゃんガーデンという楽園を手に入れて、さらに賢治さんという『アナスタシア』大ファンの心強い仲間ができて、あっという間にこのたった3ヵ月ほどで10人以上の人に『アナスタシア』の話を聞いてもらうことができた。これは僕にとっては奇跡的なことである。『アナスタシア』の輪がじわりじわりと拡がりつつあることが、僕には嬉しくてたまらない。


3回目のお茶会も、本当に素敵で独特な時空間となった。アナスタシア初めての方も、久しぶりに読み直す方も、ベテランの方も入り交じった会となった。







個人的な今回のハイライトは、初めてアナスタシアを読んだSさんの問題提起だった。
みんなで読み合わせをした部分に、以下のような一節があり、そこに引っ掛かりを感じたのだ。


アナスタシアの考えでは、もっとも大事なのは、善なる人々や、善なることを成しとげる人々を助けることで、すべての人を助けるのは善と悪とのアンバランスの是正にはつながらず、現状にとどまるか、あるいはもっと悪くなるだけだという。


Sさん「これって、ある意味残酷というか、アナスタシアのような聖者のような人がこういう発言をするのって、ちょっと裏切られたような気分にもなったんですけど、みなさんどうですかね?」


まさに!と思った。
実は僕もこの部分には衝撃を受け、引っ掛かりを覚えていたのだ。「アナスタシアは、いわゆる“悪人”を見捨てるのか?!」と。

ところがアナスタシアプロの賢治さんは「そうじゃないと思う」と言う。「アナスタシアは、人間はすべからく神の子であると言っているように、そもそも根っからの“悪人”というのはいないと思う。ただ迷っている人がいるだけで。で、その迷っている人をある意味無理やり対症療法的に助けても根本解決にならないというか…。やっぱり自分自身で“気付く”ことが大事なんですよね。その“気付き”のチャンスを奪っちゃいけない。そういうことをアナスタシアは言いたいんだと思います」

賢治氏すげー❗
アナスタシアを読み始めて数ヵ月しか経っていないのに、何度も読み返している僕より理解している(ノ゚Д゚)ノ

ちなみにアナスタシアファンのAさんも同趣旨のことを言っていた。「いわゆる“悪人”と言われる人たちも、その人たちは“正しい”と思ってやっているわけであり、それを“間違ってる”とは誰も言えなし、言ったところで伝わらないと思う。自分で気が付かない限りは。そういうことをアナスタシアは言いたいんじゃないかな?」


あーおもしろかった✨



ほんとは参加してくれたみなさんの発言を取り上げたいんだけど、長くなりすぎてしまうのでごめんなさい🙏

アナスタシアを介してみなさんと出会えたことに感謝感激です✨

アナスタシアお茶会は今後も毎月やっていく予定なので、どうぞみなさん来てくださいね😊
(今後の予定は、みっちゃんガーデンのホームページ にアップしていきます。)

『アナスタシア』自体もめちゃくちゃおもしろいけど、何よりも“出会い”がたまんない😆

これからもご縁のあるみなさんと繋がっていけることを心から楽しみにしています✨


 
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