自然に浮かんでくる思考の元になっている観念を見ていると、すべて自分が今まで過ごしてきたなかで作られてきたものなのだと気づく。

 

 

それは親だったり、先生だったり、友達だったり、本や今まで目にしたり耳にしたりしてきたことの影響と経験によるもの、環境によるものだったりするのだろう。

 

 

でもその観念をもち続けてきたのは自分なんだと改めて思ったりする。

 

 

似たような経験をしたとしても、それをどう解釈してその後の生き方に反映させるかは人によって千差万別だ。

 

 

それは生まれたときから持っている性格もあり、生まれた後の環境も影響しているかもしれない。

 

 

物事はいつも中立で初めから意味をもってはいない。

そこに意味を持たせるのは自己の選択になる。

 

 

自分のなかに見えない壁がある。

 

 

誰かが外側から置いたものではない壁や制限は自分が置いたものなのだ。

 

 

自分に対する評価も判断も最初は自分が下しているのかもしれない。

 

 

その見えない壁に気づいて変えていくことができるのは、自分だけだ。

 

 

自分を守る防衛本能から作った壁かもしれない。可能性を拡げるにはその壁を消した方がいいだろう。

 

 

新しい観念をもつようになると、どんな変化が起きていくのだろう。

 

 

洋服や持っているものを整理して断捨離することはあるけれど、見えない観念を整理したり断捨離したりする機会は少ない。

 

 

なにか大きな出来事があった時や、行き詰った時などに悩んでいろいろ考えたりすることになるのかもしれない。

 

 

ときどき思考や感情のもとになっている観念を見つめていることは必要だ。

 

 

自分にとって快適な生き方をもたらしてくれる思考や感情を大切にしたい。