感性は生まれつきのものだと言われる。

 

 

 

確かに後からつけていけるものではないと経験からそう言えるようになった。

 

 

 

そして好ましい感性をもっている方が年齢を重ねて語る言葉のなかに、深い感動を覚えることがある。

 

 

 

100年を超える時を生きてたどり着いた境地は、まさに生きたことの中から醸し出された真理が語られている気がする。

 

 

 

もちろんそれはその方のものではあるから万人共通ではないけれど、生きることや考えること、感じることの深さと長さと豊かさが重なって生み出されたその人自身が作品のような言葉が心に響いてくるのだ。

 

 

 

寿命は神秘的なもので誰にも決めることはできないし、選ぶこともできない。

 

 

 

長生きすることはある意味で辛いこともある。

グループホームで106歳まで一緒に過ごした方の口癖は「長生きするのも楽じゃないよ~」だった。かわいらしい顔の眉間にしわを寄せてそう語り、その後「ふふ、」とほほ笑むのが常だった。

 

 

 

長生きすることでまわりの人に伝える役目のようなものも担っているのではないかと思うこともある。老いていく上で受け入れていく様々なことを身をもって見せてくれる。そしてそれを言葉ではなく伝えて教えてくれる。

 

 

 

私の好きな方に篠田桃紅さんがいる。美術家の方だ。

「105歳、死ねないのも困るのよ」という本を図書館で見つけた。

2021年に107歳でお亡くなりになられたことを知った。

 

 

 

その本の中にあった一節でなるほどと教えられたことがある。

中国から伝わる言葉に、「筆をとれば思い生ず」というのがある。思いが生じたから筆をとるのではなく、筆をとれば思いが生ずるという意味だという。

 

 

 

若い頃はこの意味がよくわからなかったと桃紅さんは書いている。「普通、思いが生じてから筆をとるので、意味がわからなかった。」

 

 

 

「歳を経て、ようやく気づいたのは、筆などの道具や場所、まわりのさまざまな助けがあって初めて人はなにかを為すことができる。自分が神のごとく生み出しているなどと、思い上がってはならない、という意味なのだと思い至るようになりました。」とあった。

 

 

 

そうなのか、なにも書くことがなくてもまず筆をもつことが大切で、そこからいろいろなものが助けてくれてなにかが生み出されてくるんだ。

 

 

 

その境地はある意味いろいろなものに共通するものでもあると思った。

 

 

 

なんでも自分がやっているなんて思ったら大間違いなのかもしれない。

酸素がなくなったら人は生きていくことなどできないのだから、そこからすでに生かされて生きていることになる。

 

 

 

ずっと考え続けて、答えにたどり着くことも素晴らしいと思った。

わからないことは一旦保留にして寝かせておくけれど、経験を重ねていってやがて答えにたどり着くことができるんだ。

 

 

 

他にも教えてもらえたこと、なるほどと納得することがたくさん詰まった良書に出会えた。年齢を重ねてたどり着いた境地が輝いているように感じた。

 

 

 

ありがとう、桃紅さん!

感謝するとともにご冥福をお祈りいたします。