日本の偏差値教育について思うこと | ミカリュス ブルガリスの心の薬箱

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辛い恋とはさようなら。自分らしく幸せに生きる処方箋をフランス・パリから綴っています。

最近、読者登録させていただいた精神世界の鉄人さんのブログに、とても興味深い記事を見つけました。

 

 

こちらに書かれているフィンランドの教育については、日本でも話題になっているようですのでご存知の方も多いかと思いますが、日本の偏差値教育についてはいかがでしょうか?

 

(フィンランドの教育にももちろんマイナスポイントはあると思いますが、ここでは触れません。)

 

 

 

何の疑問も抱かずに、与えらえたものを暗記して穴埋め問題や選択問題をこなして、テストや受験が終わるとすぐに忘れてしまう膨大な知識を暗記して、より良い学校、より良い企業に入社することが成功への近道と信じている人が、今の日本にどのくらいのパーセンテージでいるのかわかりませんが、そのレースにどこかで滑り落ちてしまったら、もう価値はないのでしょうか?

 

 

世の中を見てみますと、大人になって好きなことをして幸福感に包まれて生きている人たちの多くが、偏差値レースとは別の分野で才覚を表していらっしゃるようにお見受けします。

 

 

 

 

残念なことに、秘められた才能がたくさんあるかもしれないのに、ゆっくり本を読む暇もなく小さい頃から塾に通いつめて、インターネットでググればすぐに出てくる歴史の細かい年号や断面的で繋がりのない知識を大量に詰めこんで、そのレースに勝てば良い学校に行けて大企業に入って安定した暮らしができると思っていても、全員が勝ち残れるわけではなく、どこかの段階でふるいにかけられ、自信をなくしてしまうのなら、それが健全な教育と言えるでしょうか?

 

 

 

私は偏差値教育を否定しているわけではありません。

 

努力の量や、努力ができる素質を図るにはとても良いアイデアだと思います。

(この素質の中には地頭の良さ要領の良さなども含まれます。)

 

誤解を恐れずに言えば、企業が使いやすい、上司の方針に従順に従う真面目さを図るには良い指針だと思います。

 

もちろん、優秀な方の中には強い意志と改革精神を持ち、古い体制を恐れず新しい風を吹き込まれている方も大勢いらっしゃいます。

 

そのような全てに恵まれた方にとっては、目に見える形で結果を提示できる偏差値というやり方は全く問題ないとも言えます。

 

 

 

 

 

 

 

しかし子供たちには得意不得意があり、それぞれ持って生まれた独自の輝く才能があると思うのです。

 

 

テストの点が良くないから、良い学校に行けなかったからという理由でその価値が変わることはありません。

 

 

 

生命力が強くて意志のしっかりしたお子さんは、周りの風潮に流されることなく好きな道、得意な道に進んでいらっしゃるようです。

 

 

でも、繊細なお子さんや優しいお子さんは、親の意向そのままに反抗することもなく、鉢巻を巻いて与えられた教科書や参考書に乗っていることを覚えて、練習して、できるようになって、安全そうに見えるレールから外れないように、日々ストレスとためて生きているように思えます。

 

 

 

そのレールの先にゴールはないのをご存知ですか?

 

良い学校に入っても、一流企業に入っても、医師になっても弁護士になっても、競争は一生続くのです。

 

 

 

一流企業と呼ばれる会社に入ってから、ストレスで病気になられた方は星の数ほどいらっしゃいます。

 

 

 

 

これからは日本だけでなく世界中で目覚めた人が増えてくると感じておりますので、この風潮はなくなっていくと信じておりますが、親の世代や世間やメディアから得られる情報は、古い価値観かもしれない、今はまだその価値観はかろうじて生きているけれど、今後は大きく変わっていく可能性があることを常に念頭に入れられておくことが大切ではないかと思っています。

 

 

 

 


 

「偏差値」というのを、日本で流行らせたのは、アメリカの政府だそうです。

どうして、それを流行らせたのかというと、こういう経緯だそうです。

 

 

1960年代の「日米安保闘争」での日本の若者たちが、あまりにもパワフルで、アメリカの政府は、困ったそうです。

それで、いろいろ策略を考えたそうです。

「どうすれば、日本人、特に、日本の若い男性を、おとなしくて従順にすることが、できるだろうか?」

さんざん考えた末に、でてきた答えが、「偏差値」だったそうです。
これは、コストも掛からないし、日本人には、効果てきめんだったようです。

 


こういうモノサシを、人工的につくって、日本の若者たちに、

「お前なんて、無理!」

「身の程を、わきまえろ!」

 

「勉強ができない奴は、価値がない!」

こうやって、あたかも、世の中全体から、必要とされていないようなイメージを、植え付けて、無力化することに、成功したのだそうです。

つまり、

「東大や京大などの一流大学に入れなかった人間は、バカばかりだ!」

と、思い込ませることにしたそうです。


この計略は、見事に成功して、現在でも、「学歴コンプレックス」で、貴重な青春時代を、暗い気持ちでになり、自信を失って過ごしている若者が、たくさんいます。

 

 

 

 

 

「日本人が、学歴コンプレックスで、苦しめられている根本的な原因は、アメリカからの洗脳であり、一種の軍事攻撃である」

 

これを知っておくと、かなり意識が変わると思います。

なんでも、知らないよりは、知っておいたほうが、いいのです。

 

 

 

 

 

日米安保闘争の時、日本の若者が、凄く反発しているのに、恐怖を感じたアメリカの政府が、若者のパワーを無力化して、弱体化させるために考案した洗脳装置が、「偏差値」なのです。

これによって、「学歴コンプレックス」が、日本全体を覆い尽くし、日本の若者が、自信を持てなくなってしまったというのが、戦後の隠れた歴史なのです。

 

 

(以上、青字は精神世界の鉄人さんの記事からの抜粋です。)