こんにちは

 

栃木県宇都宮市でニューボーンフォト

出張撮影、フォトレッスン、撮影会を

開催しています

 

 

かめらのじかん

Mikakoです。

 

 

私事ですが、先日祖母が亡くなり見送るために

地元(宮城)に戻っていました。

 

 

そして、祖母の写真を遺影として

使ってもらえました。

 

 

親戚からは普段のおばあさんで

いい写真だね!と

言ってもらえて!

 

 

息子と娘に会ってもらった時に撮った

優しく微笑んだ写真を使ってもらい、

あの時私一人に微笑んでくれた笑顔が

この日は、みんなに向けて微笑んでくれると思うと

嬉しくなりました。

 

 

少しだけ、祖母のお話をさせてください。

 

 

祖母は95歳で旅立ちました。

大正生まれでした。

 

 

とっても明るくて祖母の家に行くと

いつもの定位置に座って

笑顔でいらっしゃい!

と迎えてくれました。

 

 

ちゃきちゃきの江戸っ子

おしゃべりが好きで

たくさん笑って

たくさんあそんでもらいました。

 

 

おばあさんのおくずかけ(郷土料理)

美味しかった

 

 

器用で編み物が得意!

お気に入りだったセーターも手編みでした

 

 

イニシャル入り帽子も編んでもらいました

 

 

イニシャル入りだからダサいとかではなくε-(´∀`; )笑

とんがり帽子!?

長いしっぽが付いたような帽子でした。

 

 

イニシャルもワンポイントに

なっていて

 

 

 

私にはおしゃれで、かわいい

お気に入りの

毛糸の帽子を作ってくれた祖母でした

 

 

祖母は

東日本大震災で被災しました。

 

 

 

祖母の家は

海に近く地震が来た時は

車で逃げようとしていたと聞きました。

 

 

 

でも、ラジオ聞き車で逃げる!

そんな時間がない事を知ったそうです

 

 

 

家の、隣にあった鉄筋コンクリート2階

の建物に逃げ込み

海水が入ってくる中

伯父が必死で祖母をあげ

水に浸かりながらも

生きていてくれました

 

 

 

私は東京にいたので実家へ

何度も何度も何度も電話をした事を思い出します。

 

 

 

メールやブログ手当たり次第の

通信手段を使いました。

 

 

 

夜中にメールが来て

みんな生きてる!

と聞いた時は本当にホッとしました。

 

 

 

祖母の家は大震災で流され

(父の実家)無くなってしまいました。

 

image

ここの道のずっと奥が父の実家でしたが

ほとんどの家が流されました

 

 

 

 

東京の伯父のところで数ヶ月暮らしていた時、

会いに行った祖母は

いつもどおりの笑顔で

とっても明るく元気でいてくれて

安心したのを覚えています。

 

 

祖母が亡くなり

お通夜では、親戚が集まり

父たち兄弟の幼い頃の話を聞いたり

 

 

 

いろんな仕事をしたこと

海の仕事中に流されそうになったこと!

(今だから笑って話せる)

海に落ちたこと

(これも今だから)

 

 

 

チリ地震のこと

など

 

 

いろんな話をしました。

 

 

 

いとこ

とも久しぶりに会うことが

出来きました。

 

 

かなしいお別れでしたが

こうやって、親戚が笑顔で集まれる関係も

祖母、祖父が

父たち兄弟を仲良く育ててくれた

おかげだと思っています。

 

 

 

 

今日は3月11日

あの地震の時、私は何も出来なかった。

という思いがありました

 

 

 

地元のみんなを遠くから心配するだけ

すぐにでも、地元に戻りたい一心でしたが、

 

 

 

まだ、3歳だった息子を連れて行くことは

逆に迷惑になる!

と思っていました

 

 

 

何ができるのか!

と考えた時

 

 

 

掲示板などの安否確認の情報を

ブログで共有したり

 

 

 

配送が始まった時には

物資を送ったり。

 

 

 

でも、地元には戻る事が出来ませんでした。

 

 

 

親からもまだ来ない方がいいと。。。

 

 

 

自分の中で、地元に帰らなかった事で

何も出来なかった

 

 

と言う気持ちもあり

 

 

こうして、震災の事を書くを

してきませんでした。

 

 

 

あの時、行かなかった事も

迷惑をかけないために

やったこと!

 

 

 

と、

今だから思えるようになりました。

 

 

 

何もしてなかったと思っていましたが

出来てきた!

 

 

 

そう思う事で自分の気持ちも楽になって

きました。

 

 

 

 

祖母の話からそれてしまいましたが、

 

 

 

祖母の家は

震災で

家がなくなりました。

 

 

年月が経つとやっぱり

薄れて行く記憶。

 

 

 

あの震災を教訓に

しっかりと覚えておかないといけない!

と思っています。

 

 

 

いつ、何が起きても後悔しない生き方

 

 

 

私は、おばあさんにもっと写真をみせて

思い出話したかったと思っています。

 

 

 

写真の力

 

 

 

って本当にすごい!

 

 

色んな、思い出、感情を

写真は

思い起こさせてくれます。

 

 

そして、家があった頃の写真を探しアルバムに

してみたいなと思っています

 

 

また、その時に思ったのは

最後に残しておきたい写真を

撮ってあげたいと思いました

 

 

こんな風に写真という形で

思い出を残すお手伝いができていることに

感謝しています

 

 

 

3月11日

 

 

 

今、みんなが笑顔で暮らせる

までになっています

 

 

 

ここまで来るには

たくさん乗り越えたからこその

笑顔だと思います

 

 

image

(父は思い出の風景を絵に描いていました!

残した風景と一緒に写真に残しました)

 

 

 

この震災を乗り越えて

地元は今も復興!復幸!に

向けて頑張っています。

 

 

 

これからも、微力ながら

地元(石巻)を応援していこうと思います♪

 

 

 

まとまりのない文ですみません

長々とお付き合いくださりありがとうございました