ジェームズ・レッドフィールド/著 山川紘矢+山川亜希子/訳
テレビでやっている霊体験とかオーラとかスピリチュアルなんたらとかはあまり信用していませんが、
そういう体験ができる人がいるということや、体験そのものの存在は信じています。
数年来連絡の途絶えていた友人との再会をきっかけに、主人公はアメリカからペルーへ渡る。
それは危険であると同時にとても魅力的な冒険の始まりだった。
ペルーで発見された古文書には全部で8つの知恵が記されており、政府はそれを隠滅しようとしていた。
しかし、その写本を守り、その知恵を世界に広めようとする者たちもいた。
さらに古文書には第九の知恵も存在することがわかった。
主人公は彼らの助けを得ながらひとつずつ知恵を手に入れてゆく。
と、ストーリーそのものは在り来たりな冒険小説です。
しかしその中身は、裏表紙に書いてあった“魂の冒険の書”という言葉がぴったり。
「偶然とは言えない偶然の一致」に“気づき”、人生はその繰り返しによって展開していると認識すること――
これが第一の知恵です。
そして、それはひとりの人間には留まらず全ての文化の歴史においても同様に起こっていることであること、
宇宙はエネルギーで満ちていて、人々が争うのは不足したエネルギーを奪い合うためであること、
しかしそのエネルギーは人からでなくもっと大きなところからも得ることができることなどが説かれていきます。
主人公のひとつひとつの体験は、読んでいるわたしの身近なところにも当てはめることができました。
例えばわたしが、相手の関心を惹きたいがためにわざとよそよそしく振舞ったりしたとすると、
それは「被害者のドラマ」を演じているということです。
また、ある人と一緒にいると何の理由もないのに罪悪感を感じてしまっているとすると、
わたしはその時「被害者のドラマ」に巻き込まれている、ということらしいです。
このようなドラマの内に閉じこもっていると、大切な偶然の一致を見逃したり起こらなくしてしまうんだそうです。
こじ付けだ、とか、嘘に決まってる、と鼻で笑うのは簡単です。
しかし、こんな物の見方もできるんだ!と、引出しを増やすという意味では、目から鱗の連続でした。
本書の最後、第九の知恵では、全ての人のエネルギーレベルと進化が極限まで達したときに人類の文化に何が起こるのか、ということについて書かれています。
このへんで少しお金や生活の話が出てきて、アレ?って思いましたが、
別に桃源郷とかの話をしているわけじゃなくて、人類の進化という超現実的な問題を考えてるんですよね。
中学生の頃にパウロ・コエーリョの「アルケミスト」を読んで以来、この「聖なる予言」にも目をつけていました。
この夏、下北の古本屋で目が合ったのも偶然の一致だったのかな。
著者の本を読むのは初めてだったのに、すごくしっくりきました。
というか、訳者の山川さんご夫妻の訳が好きなんだと思います。
P.コエーリョの「アルケミスト」と「星の巡礼」を読んだときはどちらもすごく満たされたのですが、
同じ著者の「ベロニカは死ぬことにした」は思いのほか期待ハズレだったんです。
そしたら「ベロニカ~」以後の作品では訳者が代わってしまっていました。
残念だな、と思うと同時に、ちょっと気になりました。
わたしの読んでいた彼の本は訳者のフィルターを通したものでしかなかったのか、と。
もしかしたら「聖なる予言」でも同じことが言えるのかもしれません。
原書を読んで理解するのは無理だし、山川さんご夫妻の世界観も好きだから良いんだけどさ。
ただ、著者の解釈がこれとは全く違っていたりしたら・・・。
本書は、著者の自己発見を読者にわかりやすく伝えるために冒険小説におきかえて書いたものだそうです。
器用なことするね。
あと、失礼な話かもしれませんが、こういった霊的なものと宗教は紙一重、というかむしろ本質は同じなのかも。
それに飲み込まれるか、逆に飲み込んで消化するかは人それぞれなのかな。
とりあえず次はたまたま買ってあった「第五の山」にいこうかし。
今のところ、P.コエーリョの作品のうちで山川さんらが訳した最後の作品です。
でも、本書のラストで触れていた次の知恵、続編の「第十の予言」も気になっています。
一作目が古本だったから、次のも古本屋での偶然を待つべきなのかしら。
それともあえて全然違うのを読んでみるとか、ハマるの怖いし・・・。
っていうか、長いっっ!笑
やっぱ結局この本は好きな本だったみたいです。