パウロ・コエーリョ/著 山川紘矢+山川亜希子/訳
「アルケミスト」や「星の巡礼」の著者と訳者コンビの作品。
旧約聖書に出てくるエリヤという預言者について著者が描いた物語です。
イスラエルの預言者エリヤは天使の声を聴き、王にイスラエルの神の言葉を伝えた。
このことによって、イスラエル人を改宗させるべくレバノンから嫁いだ王妃(フェニキア人)に命を狙われる。
天使はエリヤに、ザレパテ(地元民はアクバルと呼ぶ)という町へ行くようにと命じた。
第五の山という、レバノンの神々が眠ると言われる山の麓にある町である。
アクバルでエリヤは、愛と悲劇とそこから得られるものについて知ることとなる。
聖書について全く知らないので、普通の“ちょっと宗教色が強い”物語として読んだ。
著者自身も「聖書とか、キリスト教にとらわれず、再建の物語として読んでいただきたい」と述べたそうだ。
そう、これは、ストーリー的には再建の物語なのである。
悲劇を嘆くエリヤに対して、天使はこのように言った。
「悲劇などはない。あるのは、不可避な出来事だけだ。すべてはそうあるべき理由をもっている。お前は、一時的なものと、永続的なものを区別するだけでいいのだ」
「一時的なものとは何ですか?」とエリヤがたずねた。
「不可避なことだ」
「では、永続的なものとは?」
「不可避なことから学ぶことだ」
エリヤは試練を乗り越えて町を再建する。
それはつまり、神と闘って神に認められたということだろう。
この後のエリヤは旧約聖書にあるように、イスラエルに戻って王妃イゼベルに復讐をする。
私は、まるでエリヤ自身が神にでもなったかのように錯覚した。
彼は自分の成すべきことを全うしたのだ。
絶望と希望を味わった少年がエリヤに「神は悪い奴なの?」とたずねたとき、彼はこのように答えた。
「神は全能だ」と。
初めて、その意味の真意に触れた気がする。
また、町の権力者は、“文字”は“思想”そのものであり侵されることは脅威であると考えていた。
この考えはとても歴史的であり、「第十の予言」 で描かれていた恐怖の二極化のことだろう。
なんだ、表現は違うけれど同じようなこと言っていたのか。
予言シリーズのジェームズ・レッドフィールドとは異なり、パウロ・コエーリョは思想をより物語的に語る。
しかも本作は旧約聖書をもとにしているとあって、とてもとっつき易く読み易かった。
といっても、先ほども述べたように聖書に関する知識は皆無な上、世界史の成績も散々だったせいで、フェニキアとかアッシリアとか言われてもぜんっぜんピンと来なかった・・・。
この作品を最後に、たぶん、山川さん夫妻はパウロ・コエーリョ作品の翻訳をしていない。
お互いの目指すところが違ってきちゃったのかな。
それにしても聖書って面白そう。
国語辞典と聖書はいつかちゃんと読んでみたい。