今回はバンクーバーオリンピックフィギュアスケートで金メダルを獲得した

キム・ヨナ選手について、雑誌AERAに掲載されていたもので、彼女の

人生に対し感動したので私の観点も含めながら紹介したいと思います。


彼女は史上最高の総合得点記録を更新し優勝した。


その彼女の人生は壮絶なものだったという。


彼女がスケートを始めたのが5歳の時。フィギュア経験のある母と

四歳年上の姉と父の四人でスケート場に出かけたのがきっかけで

その後姉妹で夏休みのスケート講座に通いながら、コーチからの

一声で人生が変わった。『ヨナを個人レッスンで育てたい』と。


それから姉のスケートを続けたい思いもあったが二人がスケートを続けるのは

経済的にも限界があるということと四歳年上と言う年齢的ハンディもあり姉はスケート

靴を脱いだ。


そこからヨナ選手の練習が始まった。

年長の選手に加わり、ランニングなども行い『2010年の五輪出場を目標に育てたい』

と言う事と母親には『ヨナが一人でいる時間はあなたが鍛えてください』とトレーナーは

頼んだそうです。


そうしながら母と娘のまた家族の2010年五輪への歩みが始まったといいます。


彼女が6年生の時、冬季国体を前に足首の靭帯を痛めて歩くこともままならなくなった。

そのころ父親の事業が悪化しフィギュアの費用を出す余裕がなくなっていた。

しかし、最後の大会と決めて出場した冬季国体に優勝し、国家代表に選ばれる。

連盟から資金を援助された。世界ジュニア選手権に優勝するとスポンサーがついた。


その時の状況を父親はこう話している

『何度もフィギュアをやめさせようと思ったが、その度に助けがあった』と。


その後は母とカナダで二人暮らしをしながらトレーニングを行っていった。


また、姉も両親の経済の負担を考えて、夢だった声楽の夢を諦め、看護婦になった。

カラオケで姉の歌を聞いた母親は『もっと早く彼女の才能をわかっていたら』と涙したという。


また私の中で衝撃的だったのがこの内容だった。これは国を家族を代表としているからこその

ひと言だったと思う。

それは元コーチがいったヨナへの言葉


『敗者として生きるか勝者として生きるか。これからの60年がかかっている。お前はどう判断するか。

考えてみろ』と。それに対してのヨナ選手の答えは『わかりました・・・。』

その決断があり彼女は優勝した。


その後を父はこう語っている。

『ヨナは私達夫婦の子供というより、神様がどの親に授けようか考えた結果、私達に

贈ってくれた子供のように思う。10年以上家族が犠牲になってきた。神様に責任をとって

欲しいと思うほどだ。私の生活がどんなものなのか、誰にもわからないだろう。

酒の量も増えた。家に帰っても家族がいないので淋しい。

淋しいのが一番苦しいことだ。でもこれも運命で名誉なことだと思いたい』と。


ヨナ選手は自伝の中で父と姉には申し訳ないと、書いている。

14年前彼女が初めてスケート靴を履いた日。彼女は父に手を握ってもらい

ようやく最初の一歩を踏み出した。


この記事を読みながら私は家族の絆や国に対する思いを改めて感じました。

韓国ではオリンピックで優勝することは名誉なこと。

家族全員が一生分を生活できるまであると聞いたことはありましたが。『60年が

かかっている』とは本当に驚きでした。


私も日本に対して60年以上責任を持てる自分になりたい。

そんな指名を持った生き方をしていきたいと思いました☆


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