先ず、見まわして、茫然と。

この暮らし…ゆっくりと歌いながら年月を重ねて、はや二十数年。
その累積といえば、それはもう、大変なものになっているのでした。
そして、そのほとんど総てが、同じ色合いと匂いをもっているのですから、途切れの無いひとつの道筋も同じ。それらを片付けるとしたならば。
どう取り纏めようと、篩い分けようと、きっとものの位置を動かすのみで終わってしまうのでしょう。

ものと記憶とを一筋に並べて、道を作りなしてみたところで。
過去の道程なのですから、此処で終わっているだけのもの。
それとも、これらを…それぞれに相応しいところに納めることが出来た時、今はあてのないゆき先が、見えてきたりもしましょうか。

今はただ遠いペルーと、その中でもとりわけ愛おしいアヤクーチョ地方の色をした、ものたち。
私の道程がそれらで出来ていたことを何度も確かめ、今の今に至っても、それが嬉しく思えるのです。

耳の奥、頭の中、身体のすみずみで、
絶えることなく響くギターの音色を、聴き続けることができれば。今までのように、これからも。
アヤクーチョのギターは、それはそれは美しく、他のなにものにも代え難い、尊いもの。
若いというよりもむしろ、幼いといえる時分から、慣れ親しんだ思い出の音は、そのまま何処へなりとも同道してくれましょう。
みな、とても旧い音源でしたので、外側にはもう見付けられない音であればこそ、尚更。

ネリー・ムンギアを失って…一年と四か月。
今、少し前に、シワル・ヘンテが行ってしまいました。
鳥のように囀る、アンデスのソプラノ歌手。
アヤクーチョ、ルカナの生まれと聞きました。

未だ、手を付けかねて、見まわしながら。
失われたものを想い、手放すもののことを思い、その思いの行きつく先は、どうしても、同じ。
旅の終わりと重なることがないことを、知っていてさえも。















以降、ゆっくりと時間が過ぎて行きます。

濃い油の中を歩いているような、周りの全てにじかに触れられないような、重い時間です。


本当に聴きたい歌を歌っていた歌手を、失くしてしまいました。

少なくない期間、その歌は、わたしの食べものの様でした。

MIKITAのブログ

アヤクーチョ市、サンクリストバル・デ・ワマンガ大学のセレモニーでの、

ネリー・ムンギア。
MIKITAのブログ出番待ちの2人。わたしたち。


しばらくはこのまま、ゆっくりと、重たい時間を歩きます。



ペルー、アヤクーチョ出身の大歌手、ネリー・ムンギアの訃報を受け取りました。


出逢いは2008年、首都リマでのこと。TVの取材番組で、一緒に歌いたい歌手を尋ねられ、最初に挙げた名前でした。

米国に移住して久しい…という事を聞いていましたし、無理だと思っておりました。それでも、言わずにはいられない名前でした。

実現しました。手を取り合って一緒に歌い、一緒に踊りました。カナル4のカメラマンは、木に登って、笑いながらそれを撮影してくれました。

その翌年、更に翌年…と、ネリーとは、偶然アヤクーチョで会う事になったのですが。


2008年の出会いの時に、出来上がったばかり…というサンプルCDを渡されました。

「私の曲よ。これをあなたは日本で歌って頂戴。」

約束をしたまま、もう、5年になろうという、今。

ネリー・ムンギアの願いのこもったその歌を、歌いたいと思います。

追悼、ということではなく。

曲は「Dame La Mano」


共演者を求めます。

手を繋いで歌ってくれる方々を。