罪悪感 | 脳内図書館

罪悪感

当たり前になりすぎて留められなかったことを、やっと意識にあげ、更に言語化できるようになった。


わたしは四六時中、罪悪感を感じている。
その罪悪感は、何に対して湧き上がっているものなのか。
殆どは自分に対して抱いているものだ。
自分を裏切り、傷つけていることへの後ろめたい気持ちだ。

例えば、音楽に向き合えないとき。
肌が荒れてしまったとき。
視力が下がってしまったとき。
うまく気持ちを伝えられなかったとき。
パニックを恐れて、人と会えなかったとき。
計画どおりに物事が運べなかったとき。
自分の描く素敵な自分でいられなかったとき。

わたしは自分に対して深い罪悪感を抱く。
ごめんなさい、ごめんなさい、と心の中で繰り返し、泣きたくなる。

こんな話をすると不思議がられる。
「自分のことなのに、なぜ?」と。

よくよく考えてみると本当にそうだ。
この罪悪感は、まるで自分にとって重要な誰かに命令され、出来なかったときに生じるような気持ちなのだ。
わかりやすく言うと、子供が親の期待に応えられなかったときに対して抱くような気持ちだ。

わたしはもしかして、無意識のうちに自分に対して非現実的で厳しい要求を投げつけているのかもしれない。
まるで、心の中にスパルタで横暴な親がいて、逐一自分に命令を下している感じだ。

昔書いていたノートを振り返るとよくわかる。
「なんでそうなるの!?なんでできないの!?」
そういう自分に対する激しい怒りが随所に書き殴ってあった。

中学生の時には既にそうだったが故、このような姿勢は潜在意識に定着してしまい、当たり前のこととなり、なかなか意識できなくなってしまったのかもしれない。


意識すべきことは、日常的に湧き上がってくる罪悪感をその都度意識にあげること。
そして、その罪悪感を、等身大の冷静な自分の視点で再検討すること、だ。

わたしの求めていることは本当に適切か。
例えば、「一生老いない」「365日絶対に過ちは犯さない」などというレベルの非現実的なことではないのか。

わたしは本当にそれを求めているのか。
社会やメディア、親や教師などに刷り込まれたことではないのか。
アタマで考えるだけではなく、心が同意するのか「感じてみる」


生きているのが苦しい理由の大部分ははきっとこの罪悪感のせいだ。
この罪悪感はきっと不要なのだ。


毎分毎秒、意識して生きよう。
もっとのびのびゆったりしたい。

罪悪感が弱まりさえすれば、ずいぶん変わるはず。