こんな案内板 🎵
(σ≧▽≦)σ
右手(西)の方♪
なんか有るねぇ

たぶん『残念石』やな♪
(*´∀`)
コノ辺にもあるん知らんかったケド
遠目で見てもソレっぽいカンジ♪
残念石てゆうんは、お城の石垣に使うツモリで採石されて運ばれてきたケド、何らかの理由で使われず放置された石のコト♪
でも、
ソレ以外何も無さげやし
今はスルー♪
(≧∀≦*;)ゞ
アトでググったら、
草津みなと残念石
てゆうんやて♪
遠目にウラ側やった
駒札のオモテには、

(コノ画像はヨソから拝借♪)
草津みなと残念石
草津湊は桂川の湊として平安の昔から貴人が都から旅立つ湊としてだけでなく、瀬戸内海などを通じて都へと物資を運ぶための『舟運の要』として発展してきた。
寛文近江・若狭地震が寛文2年(1662年)に発生し、二条城の塀や石垣が大きく破損したと『殿中日記』に記載がある。当時の二条城は幕府の重要施設であったことから地震から約1箇月後には、大垣藩主・戸田氏信に修築が命じられた。そのため、瀬戸内の島々や東六甲(御影・芦屋)、加茂・笠置辺りで切り出された石が、淀川水運で草津湊に運ばれ陸揚げされ、鳥羽街道を牛車により二条城に運ばれた。この石は、草津湊から陸路で二条城に運ばれる途中に何らかの理由で川底に沈み使われなかったことから『残念石』と呼ばれた。
平成27年(2015年)8月、約350年の歳月を経て川底から引き上げられ、翌年11月6日に『草津みなと残念石』と命名された。
京都市
…やて🎵
(≧∀≦*;)ゞ
こぉゆう採石の楔(くさび)アトとか
なんかワクワクする🎵

(コノ画像はヨソから拝借♪)
再び旅路♪
まだ全然進んでへんケド
アノ橋を左(東)へ渡ってくと、
さっきゆうてた千本通(鳥羽街道)の終点
納所(のうそ)交差点に出るん🎵
来た方
ふりむいて
Next♪
(σ≧▽≦)σ
















































