春近し♪京の南♪青空サイクリング♪(中編)【羽束師橋~宮前橋♪京奈和自転車道】 | 『エアで行く京都めぐり』大田垣晴延のblog♪

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こんな案内板 🎵
(σ≧▽≦)σ
けいなわ じてんしゃどう
京奈和自転車道🎵


…の一部♪
(≧∀≦*;)ゞ 和歌山まで自転車ゎムリやゎ
こんなん♪
鴨川下ってココまで来たケド

鴨川は、
羽束師橋の北で桂川に合流・吸収されて
桂川になって、

東北から宇治川
東南から木津川
さくらであい館の辺りで
三川が合流して
淀川になるん🎵

(*≧∀≦*)b




さぁ
三川合流地帯
さくらであい館
出発~♪ (*≧∀≦*)ノ
…して、
すぐ

右手(西)の方♪

なんか有るねぇ
たぶん『残念石』やな♪
(*´∀`)

コノ辺にもあるん知らんかったケド
遠目で見てもソレっぽいカンジ♪

残念石てゆうんは、お城の石垣に使うツモリで採石されて運ばれてきたケド、何らかの理由で使われず放置された石のコト♪

でも、
ソレ以外何も無さげやし
今はスルー♪
自転車
(≧∀≦*;)ゞ



アトでググったら、
草津みなと残念石
てゆうんやて♪
(コノ画像はヨソから拝借♪)

遠目にウラ側やった
駒札のオモテには、
(コノ画像はヨソから拝借♪)
草津みなと残念石
草津湊は桂川の湊として平安の昔から貴人が都から旅立つ湊としてだけでなく、瀬戸内海などを通じて都へと物資を運ぶための『舟運の要』として発展してきた。
寛文近江・若狭地震が寛文2年(1662年)に発生し、二条城の塀や石垣が大きく破損したと『殿中日記』に記載がある。当時の二条城は幕府の重要施設であったことから地震から約1箇月後には、大垣藩主・戸田氏信に修築が命じられた。そのため、瀬戸内の島々や東六甲(御影・芦屋)、加茂・笠置辺りで切り出された石が、淀川水運で草津湊に運ばれ陸揚げされ、鳥羽街道を牛車により二条城に運ばれた。この石は、草津湊から陸路で二条城に運ばれる途中に何らかの理由で川底に沈み使われなかったことから『残念石』と呼ばれた。
平成27年(2015年)8月、約350年の歳月を経て川底から引き上げられ、翌年11月6日に『草津みなと残念石』と命名された。
京都市

…やて🎵
(≧∀≦*;)ゞ


こぉゆう採石の楔(くさび)アトとか
なんかワクワクする🎵
(コノ画像はヨソから拝借♪)



再び旅路♪自転車 まだ全然進んでへんケド
土手の上のサイクリングロード♪
桂川の流れる方へ🎵
まずは、アノ木ぃのトコ♪
次はアノ枯れ木のトコ♪
そぉやって、
短い先の目標に向かって走って♪
自転車
自転車
空と大地の広さをタンノウ🎵
自転車
自転車
左手(東側)の
コノ土手の上の道と平行に走ってる
旧街道っぽいフンイキの道、

実は
『千本通』なん♪
(*≧∀≦*)b

平安京朱雀大路やった
京都の『千本通』が
こんなトコまで続いてるん🎵

朱雀大路の南端(九条)にあった
羅城門からまっすぐ南に続いてた
鳥羽作道(とばのつくりみち)
後代には
鳥羽街道て呼ばれてた歴史ある道♪
旧街道て独特のフンイキあるよね♪

淀の納所(のうそ)まで続いてくん♪



ぐる~~~~っと、右手に見渡して…
広大な枯れ色の平原と、青空♪


ソレが果てしなく続いてく…
自転車
自転車

くに、
が見えてきた♪

アレが
宮前橋🎵
アノ橋を左(東)へ渡ってくと、
さっきゆうてた千本通(鳥羽街道)の終点
納所(のうそ)交差点に出るん🎵


来た方
ふりむいて
へと見渡して…
桂川の河川敷におりて、
宮前橋の下をくぐり抜ける道へ♪

せや♪八幡(やわた)へ向かってるんや♪て
実はココで認識♪
(((^^;)


おりたら、
土手脇の道…
先行き頼りない道やな…
そんなコト思いながら
自転車
そしたら、

急に
左への急カーブ…あせる
ぐる~~~~っと、
見渡してみたら…
ワリと急勾配な登り坂…
(((^^;)


登りきって自転車
登ってきた方、見下ろすと
やっぱり急やな…
(((^^;)


遠くに、次の橋がもぉ見えてる♪
さぁ♪
先を急ご🎵
自転車




Next♪
(σ≧▽≦)σ