「小学校?そんなこと考えてへんよ。私たちができることは保育園の生活のなかだけ手一杯。そのときをしっかりと愛することしか考えてへんよ。ただ、小さい頃にしっかりと愛されたと思える子は、たとえ小学校や中学校で何かあっても、きっと自分の力で乗り越えてくれると思う。甘いかな?」
この言葉は私が院時代にお世話になった主任保育士の方の言葉です。
私はこのとき次の問いを投げかけました。
「年長さんになるとやはり小学校生活を意識した保育を展開するのですか?」
と。
この問いを発した背景には一つの過去の出来事がありました。
以前、私が実習でお世話になった幼稚園でのことです。
A君という子どもがいました。
彼は「自閉症」という障碍を抱えていました。
「自閉症」の特徴の一つに『じっと』することが難しいということがあります。
ある日の運動会の練習の出来事です。
他の子どもたちが練習している合間、A君は座って見学することになりました。
でもA君は『じっと』としていることが苦手です。
私はA君が『じっと』とさせることを実習指導の先生に求められました。
いやがるA君を『じっと』させるのはとても辛いことでした。
押さえつけて、無理やり座らせて、それが何になるのでしょう。
先生にそう問いかけました。
先生は、
「小学校に行ったらもっと座ること、集団行動を求められることが多くなるの。今からそれに備えて訓練することがA君のためなの」
と答えました。
そんな出来事です。
そしてそれは私のこころに一つの「わだかまり」を残した出来事でもありました。
保育園・幼稚園はなんのためにあるのでしょう…。
小学校で困らないためでしょうか?
では小学校は…。
中学校で困らないため?
では中学校は。
…
…
冒頭の主任保育士の言葉は、そんな疑問に一つの答えを与えてくれたように思いました。
「愛」という言葉は口に出すとどこか照れくさく、どこか嘘くさく。
でもそれはきっと一番大切なもの。
しかし、それは大切だと思える人にしか使えない不思議な言葉なのかもしれません。
ただ子どもと関わる人にはとても大切なものではないでしょうか?
いや大切にしてもらいたいものだと思っています。
日本には、そして世界にはまだ「愛」が溢れています。
子どもに「愛」を伝えようとする大人たちがいます。
またそのような姿を捉え、伝えようとする記者がいます。
そんな記者が描き出した「愛のある物語」をあなたに届けたいと思います。
多忙な日常のなかでついつい埋もれて、忘れてしまって…。
そんなときに、すっと引き出せる「こころの栞」として使って欲しい。
そんな小さな試みを企てた「コーナー」です。
