メディアisメッセージ

メディアisメッセージ

社会学者マルクハーンは述べました。

「メディアが単にメッセージを媒介するだけでなく、それ自体の特質が社会や個人の在り方に一定の影響を及ぼす」

ステレオタイプになりがちな今日この頃。

教育・社会・保育・福祉に関して、メディアを読み解く力を模索します。

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「小学校?そんなこと考えてへんよ。私たちができることは保育園の生活のなかだけ手一杯。そのときをしっかりと愛することしか考えてへんよ。ただ、小さい頃にしっかりと愛されたと思える子は、たとえ小学校や中学校で何かあっても、きっと自分の力で乗り越えてくれると思う。甘いかな?」

この言葉は私が院時代にお世話になった主任保育士の方の言葉です。

私はこのとき次の問いを投げかけました。

「年長さんになるとやはり小学校生活を意識した保育を展開するのですか?」

と。

この問いを発した背景には一つの過去の出来事がありました。

以前、私が実習でお世話になった幼稚園でのことです。

A君という子どもがいました。

彼は「自閉症」という障碍を抱えていました。

「自閉症」の特徴の一つに『じっと』することが難しいということがあります。

ある日の運動会の練習の出来事です。

他の子どもたちが練習している合間、A君は座って見学することになりました。

でもA君は『じっと』としていることが苦手です。

私はA君が『じっと』とさせることを実習指導の先生に求められました。

いやがるA君を『じっと』させるのはとても辛いことでした。

押さえつけて、無理やり座らせて、それが何になるのでしょう。

先生にそう問いかけました。

先生は、

「小学校に行ったらもっと座ること、集団行動を求められることが多くなるの。今からそれに備えて訓練することがA君のためなの」

と答えました。


そんな出来事です。


そしてそれは私のこころに一つの「わだかまり」を残した出来事でもありました。

保育園・幼稚園はなんのためにあるのでしょう…。

小学校で困らないためでしょうか?

では小学校は…。

中学校で困らないため?

では中学校は。



冒頭の主任保育士の言葉は、そんな疑問に一つの答えを与えてくれたように思いました。

「愛」という言葉は口に出すとどこか照れくさく、どこか嘘くさく。

でもそれはきっと一番大切なもの。

しかし、それは大切だと思える人にしか使えない不思議な言葉なのかもしれません。

ただ子どもと関わる人にはとても大切なものではないでしょうか?


いや大切にしてもらいたいものだと思っています。

日本には、そして世界にはまだ「愛」が溢れています。

子どもに「愛」を伝えようとする大人たちがいます。

またそのような姿を捉え、伝えようとする記者がいます。

そんな記者が描き出した「愛のある物語」をあなたに届けたいと思います。

多忙な日常のなかでついつい埋もれて、忘れてしまって…。

そんなときに、すっと引き出せる「こころの栞」として使って欲しい。

そんな小さな試みを企てた「コーナー」です。

「理念」。。

というと難しいですか?

=生きていくうえでの「原理原則」

=あなたをあなたらしく輝かせる「価値観」

余計に難しいですか?(笑)

最近、言葉って難しいなとつくづく思います。

こんなとき「表現者」=「アーティスト」の力を切望しますね(笑)。

というわけで昨日は「アーティスト」に出逢う為に映画館に行ってきました。

なぜだか「どろろ」と「幸せのかたち」を立て続けに観ました。

「幸せのかたち」

一言で言うならば「アメリカンドリームを実現した人の昔の苦労話」です。


個人的には「…で??」です。


でも泣きました。これが。


「…何故…」

とずっと考えていました。

『あきらめないこと』『自分を信じること』『どんな状況でも忘れないユーモア』

「…この辺りか…?」

「…なんか違う…」

ずっと考えていました。

そして先ほどふと思いました。

「あぁ…なんだ。それはとてもシンプルなことだったんだと」

なんでしょう?

ウイル・スミス演じる主人公が終始一貫して大切にしていたものに気づきました。

彼にとって一番大切なもの。大切な存在。

それは「息子」でした。

彼が「あきらめない」ことも「自分を信じる」ことも「ユーモアを忘れない」ことも、全部みな、「息子」の存在があるからこそだったのです。



その基本線が作品の柱としてしっかりと根付いているからこそ、安心して映画の世界に浸ることができたのではないでしょうか?


そして共感し涙することができたのだと思います。



この柱もまた「理念」です。

あなたが大切にしたいものはなんですか?

映画のワンシーンで主人公が息子に言います。

「誰にも無理だなんて言わせるな。このパパにだって」

どんなシーンかは実際に映画を観て下さいね。




「どろろ」???

妻夫木くんと柴崎さんの交際を祝福したいファンには満足できる作品かと…(笑)。。

今日は節分ですね。


偶然にも「豆」が手にはいったので、今日は何年か振りに「豆まき」をしようと思ってます(笑)。。


「節分」とは、もともと季節の節目を指す分かれ目のことで、春夏秋冬それぞれにあるそうですが、なかでも「立春」は春の訪れ、一年の始まりを祝う大切な行事として人々のなかに息づいて、いまにいたるそうです。




「美しい国」とは誰ぞの言葉ではないですが、四季の移ろいがしっかりとしている日本が好きです。


寒い冬を越えて迎えた春には桜が咲き乱れ、日差しが暖かさを増し、心を弾ませます。


やがて皐月の穏やかな季節を過ぎると梅雨に入ります。


傘を差し、水溜りで跳ね回る子どもたち。


雨を喜ぶ。かえる。でんでんむし。あじさい。


梅雨が明けると真っ青な空に白い大きな入道雲。燦燦と輝く太陽。


夏の訪れです。


そして秋を過ぎ、また冬がきます。


日本人はそんな豊かな自然・四季の味わいをその心をに自然と刻み込みます。


日本が古来より自然に神を感じてきたのもわかる気がします。


そんな日本がとても誇らしく思います。



が!



最近、なんだか変ではないですか?


桜の咲く時期が送れ、酷暑が続き残暑は長引き、秋を楽しむ間もなく突然冬に突入したりと。


去年などは「黄砂」が降り注いだんですよ!!!!


そんなとき、ふと地球の悲鳴を感じることがあります。


いわゆる「温暖化」ですね。



本日の朝日新聞「時々刻々」にはそんな「温暖化」の話題が掲載されています。


「地球温暖化は確実に進み、その原因は人間活動としてみてまず間違いない。今後も気温上昇は続き、実害に直結する」


「気候変動に関する政府間パネル(IPPC)第1作業部会」が報告したものです。


朝日はこれを「多くの人が抱く不安を科学的に裏付ける内容だった」と述べます。




私なぞは「何を今更。そんなの人間のせいに決まってるだろ」と思ったのですが・・・。




「違うかもよ」という人もいるそうなのです。


それは、自称「世界の警察官」のアメリカさんと、「いけいけ経済大国」の中国さんです。


「人為的原因か自然現象が原因なのか議論がある」


がお二方の主張なそうです。



裏には「利益絡み」が透けて見えますが。

いかがでしょう??




記事はこのお二方を説得し、温暖化対策を早期に講じなければ、地球が危ないと警鐘を鳴らします。




最近自身を振り返ってみて、「私に何ができるだろう」と考えます。


アメリカさん中国さんを説得する!!



・・・のは・・・少し難しいですね。。。




今、実際に心がけ行動していることは「コンビニで袋をもらわない」ぐらいかな・・・。




小さい・・・??(汗)




でもそんな「小さい一滴」が大切だと思ってます。


「ハチドリ計画」に共感して以来ずっとそう思っています。



「ハチドリ計画」



ご存知ですか?




子どもたちにも伝えたいとても素敵なお話です。


環境学習の一環にいかがでしょうか?




一人ひとりの「一滴」がやがて大きな力となることを願って。