輝きを放っていた日本人・・・小林可夢偉選手
来季はチームのNo.1ドライバーとしての役割でシーズンを過ごすことになりますが、是非ともFERRARIエンジン搭載マシン中、最高の結果を残してほしいと思うところでございます
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ドイツの自動車メーカーであるBMWが2009年いっぱいでF1から撤退すると決断したことを受け、さまざまな売却先が取りざたされた末にヒンウィルのチームを救ったのはチーム創設者のペーター・ザウバーだった。隠居生活を楽しんでいたザウバー代表が、チームのピンチに再び表舞台に戻ってきたのだ。
財政的に非常に厳しい状況の中、ザウバー代表がドライバーに指名したのはペドロ・デ・ラ・ロサと小林可夢偉。2009年の終盤戦でトヨタから衝撃的なF1グランプリデビューを飾った可夢偉の活躍に感銘を受けたザウバー代表が獲得に動き、長年マクラーレンのテストドライバーを務めたペドロ・デ・ラ・ロサと共にレースドライバーに抜擢(ばってき)した。エンジンはフェラーリから供給を受けるも、前季の結果に基づき分配される報奨金を確実に受け取れるよう、チーム名は"BMWザウバー・フェラーリ"として1年間を戦うことになった。
プレシーズンテストに登場したBMWザウバーのマシンはスポンサーロゴがほとんど見当たらず真っ白の状態だったが、サーキットにおけるテスト走行では輝きを放ち、可夢偉が上位タイムを連発。フル参戦デビュー年の活躍に期待が高まった。
しかし、いざシーズンが開幕すると、チーム内外の予想とは裏腹に結果が出ない。エンジンの問題を含めた技術的トラブルに悩まされ、開幕戦からモナコGPまでの6戦をノーポイントで終える。
流れが変わったのは第7戦トルコGP。1-2態勢だったレッドブルが同士討ちをした影響もあったとはいえ、可夢偉が粘りのレースを展開して10位1ポイントを獲得した。シーズン終了後に可夢偉はトルコGPをシーズンのベストレースとして挙げている。続くカナダGPではオープニングラップの最終コーナーでコンクリートウオールに激突、リタイアを喫してしまった可夢偉だが、スペイン・バレンシア市街地が舞台のヨーロッパGPでは全世界の注目を集めた。
ハードタイヤでスタートして路面にラバーが乗った終盤にソフトタイヤを履くという、ライバル勢とは異なる戦略を採った可夢偉にとって、コース上でオーバーテイクを狙うアグレッシブな戦い方が功を奏す。チェッカーを受ける間際まで、フェラーリを駆るフェルナンド・アロンソらに果敢にバトルを仕掛け、見事7位入賞を果たしている。
その後もコンスタントにポイントを加算していく可夢偉の一方で、チームメイトのデ・ラ・ロサは第12戦ハンガリーGPでようやくシーズン初入賞。結局イタリアGP限りでレースシートを奪われ、後任にはメルセデスGPのリザーブドライバーを経てピレリのテスターを務めていたニック・ハイドフェルドが就任した。
シーズン終盤のBMWザウバーは、予選ではQ3進出が難しいことが多かったものの、レースペースではトップチームに迫る安定感を見せる。日本GPでは可夢偉が観る者を沸かすオーバーテイクを何度も披露したほか、ハイドフェルドもきっちりポイントを獲得し、チームとしてシーズン最高成績を残した。最終的に可夢偉は32ポイントを獲得してルーキードライバー上位となるランキング12位でシーズンを締めくくっている。コンストラクターズ選手権では8位に終わったものの、序盤の不調がなければウィリアムズやフォース・インディアを相手に6位争いを演じることは十分に可能だったはずだ。
また、2011年に向けてチームは主要スポンサーとしてメキシコの通信会社『Telemex(テルメックス)』と契約。同社の支援を受けるドライバーで、2010年のGP2でランキング2位に入ったセルジオ・ペレスの加入が決まり、可夢偉はフル参戦2年目にしてチームリーダーの大役を担うことになった。チームとして資本が強化されたことでさらに開発スピードを上げることができると考えられており、2010年シーズン序盤にフォース・インディアから加入したジェームズ・キー(テクニカルディレクター)の手腕も注目される。チーム名は"BMW"を外して"ザウバーF1チーム"になることになっており、2011年は第2グループを引っ張る存在として期待したい。
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