抗がん剤治療であらゆる毛がなくなってから

あまりにも当たり前の様に髪が伸び、

髪質の変化もほとんどというか全くないままに過ぎてしまい忘れていましたが

久しぶりに経過報告します。

以前、治療生活 6で髪の毛が生え始めた事を書いたのですが、それが去年の8月(ほぼ1年前)。


しばらくはウィッグ生活を楽しみつつ過ごしていましたが、

近所のジムに通いだした事や『短い髪の毛かっこいいじゃん!』との周りのおだてにのって

秋頃からウィッグを被らずベリーベリーショート頭で過ごしていました。






抗がん剤治療が全て終わったのが6月。それから4ヶ月後の10月頃の写真。

この頃からあまりウィッグや帽子は被らずに過ごし始めました。

ちなみに私のウィッグを友人が被っております。





それからさらに2ヶ月後の12月。ようやくベリーショートになってきた感じ。




治療を終えて髪が生え始めて来た8月の写真がこれなので、

本人はベリーショートの髪も大分伸びたなぁと感じていました。

私はゆるーいくせ毛(くるくるではなく全体的に膨張する感じのくせ毛)だったのですが

その髪質も変わりませんでした。

よくストレートの人がくせ毛になったり、くせ毛だった人がストレートになったり

またある程度は伸びるけどそれ以上あまり伸びなくなる話なんかも聞いていたので

どうなるかなぁ~と思っていましたが。

そして、健康なキューティクルのせいかすぐに伸びるので、サイドや襟足を刈り上げてもらって

この夏は過ごしていました。



そして、現在9月の状況。(先日産まれた姪っ子と。)

サイドや襟足だけでなく前髪もきっているので、経過報告にはなりませんが、

順調にぐんぐん伸びております。

そして周りから『ショートヘアの方が似合う』とまたおだてられ、伸ばす事を検討中。

きっと私は髪の毛が伸びるのが早い方かと思われますが、

こうしてみると1年前が坊主だったのか~と思い返すとすごく昔の様に感じております。

それぐらい今年に入ってめまぐるしく色々な事が起きている様です。(半分他人事の様に感じる位に)





本日2014年7月24日に株式会社ファイブ エレメンツを設立しました。




自分の闘病生活をきっかけに内面と外面両方からの美と健康のアプローチを考える様になり
アロマセラピストの勉強をし始めました。

ずっとアパレル業界で仕事をしていたので、なにかファッションとアロマと健康と
融合させて仕事をできたらなぁとなんとなく考えていたのですが、
突然ポンと背中をおされて押し出される様に、会社を作って自分で発信して行く事を
決めちゃいました。
(決めたというより決めちゃったという感覚なんです。)

衣・食・住をトータル的にキラキラと輝く生活を提案出来る仕事をしていきたいなと
思っております。

ひとまず秋に中目黒にアロマテラピーを取り入れたエステサロンをオープンすべく準備中です。

ホームページもこれからなのでまたお店の方のご報告も追ってお伝えしていきます。

自分の健康を大切にしながらもゆっくりじっくり始めていきたいと思いますので
今後ともよろしくお願いします。


ずっと書きたかった事の1つに手術を受ける前の気持ちがあります。


手術が決まってから手術がどんなものなのか色々ネットで調べたり、

手術経験者の人のブログを読んでみたり、

自分の事なのにどこか他人事のような気持ちがぐるぐるしていた。

手術の内容、必要な物、そういった事は病院でも説明があったし、ネットでも沢山でていた。

でも子供が産めない体になる人の気持ちっていうのが知りたかった。

きっとなにか共感をしたかったのかもしれない。


私は38歳の時に病気がみつかり、39歳の誕生日を迎えた翌月に手術をした。

結婚はしていない。彼氏もいなかった。

でも子供は必ず産みたかったし、産むと思っていた。

最初は子宮の入り口をレーザーでカットする2泊3日程度の簡単な手術をした。

そこで本来9割は癌が切除出来るのだが、

その手術で血管とリンパに癌細胞が入り込んでいた事が分かった。

先生から検査を再度するけど、もしかしたら手術が必要になるかもと言われ、

そこで、子宮を摘出しなければいけないんだろうな・・・と感じていた。


後日先生から正式な詳細を聞くのだが、

何度も先生が話をするタイミングを考えているのが分かり、

その時に一番『自分はもう子供が産めないんだな。』という悲しさが溢れた。


私の場合、子供を産みたいと思っていたが、それを一緒に望むパートナーがいたわけでも無いので

いつ出来るかわからない子供の為に手術を受けるのをやめるか。

全身に癌が回る前に手術をするのか。としか考えようがなかった。

いつかの子供よりも目の前の命をとるしかない。

一緒に子供を望むパートナーがいたら、

もっともっと辛い悩み事が沢山あっただろうし

子供をあきらめる辛さももっともっと深かったろうと思う。


私の友人にも色んな人達がいた。

結婚しても子供を持たない人生を選んでいる友人。

養子縁組をして子供をむかえている知人やシングルで養子を考えている友人。

3・11以降子供を育てる事の重大さも深く考えるようにもなった。

もし、自分にとって子供を育て生きて行く事が必要なら

選択肢はいくらでもあるし、

正直、自分はもう子供を産み育てる義務はないんだな(変な言い方だけど)

と言う事に少し気持ちが楽になった所もあった。


そして39歳という手術をしなかったにしても、

出産のタイムリミットを感じ始める年齢だった事にも気持ちが救われたところがある。

ここまで自由に結婚もせず、パートナーも持たずにいたのだから仕方ないか・・・と言う様な。


きちんと考えようと思ったパートナーも手術の前にはいた。

精密検査をする事になる前、きちんと考えようと思っていた人に

将来(結婚)の事考えてつきあえないと言われてふられてしまった。


そこから1ヶ月後、精密検査をする事になり、あれよあれよと癌が発覚したのだが、

手術に対して迷い様のない状況に自分がおかれた事を考えると、

彼と別れたことは必然だったかの様に思えた。


そして、入院前日まで仕事に追われてバタバタと過ごしていたし、

自分がしばらく入院生活をするから会おうと

忙しい友人達が時間をつくってくれたり、連絡をくれたり、

休日も忙しく、楽しく過ごす事が出来た。

一人で不安になったり悲しんだりという時間が少なくてありがたかった。

もし、あの時こうしていたら~・・・ああしていたら~・・・

自分は子供を今頃産んでいたかもしれないと思う事もあったけれど、

なによりもまず自分が生きる事だと、両親、家族、友人達が思わせてくれた。


そして、手術前日には自分の子宮に

『いままでありがとう。おつかれさま。』と感謝できた。