スポーツ選手の筋トレや、歌手の発声練習のように、
「人生にも基礎練が必要」とある人が言う。
そして、私の基礎練は、
極寒の地・Fort St. Johnで過ごした9ヶ月だとも言う。
なるほどねえ。 なかなか、的を射ているわ。
確かに、Fort St. Johnのあと一旦日本に帰った夏、
両親をはじめ周りの人が「Miaは心が大きくなった」と
誉めてくれたのを覚えている(^-^)
それは心も大きくなるわなぁ…
Fort St. Johnと言う街は、「大自然の中」にあるというより、
ほんっとうにmiddle of nowhere, 何にも無い中にあって、
何も無い中を2時間走り続けてやっと、隣町に辿り着くのです。
冬は-40度にまで下がる地球の果て。
そこでの9ヶ月で私は知らず知らずのうち、
「自分の小ささ」を学んでいたのかもしれない。
東京やバンクーバーじゃ絶対にできない体験もたくさんした。
思いつくままに、書いてみたいと思う。
*英語コースの初日オリエンテーション。
最初に習ったのは何と、「寒さから身を守る方法」!
「車で街から出るときは、必ず、毛布、食料、水、懐中電灯など
乗せていくこと。高速道路で事故に遭っても、
車が通らず、数時間発見されないことがある。」
「毎年、ムース(大角鹿)と車が衝突して、
犠牲になる人がいます。(人間の方が犠牲になるとはビックリ。)
ムースを見かけたら、スピードダウンしてクラクションを鳴らし、
ムースが道を横切るまで待ちましょう。」
「気温が零下のときは凍傷に気をつけて。
頬など、肌が青くなってきたら大変危険です。
すぐ、近所の民家に助けを求めること。」など、など、など…
*入学直後、留学生みんなで湖まで散歩に行くことにした。
2時間の道は思ったより遠く、途中で迷い、
しかも9月だというのに雪が降ってきた!
半泣きの若者達を、優しいおじいさんが発見。
暖かいログキャビンに招き入れて、
ホストファミリーに電話までしてくれた。
*夜、自室(1階)にいると、
目の前の庭でホストファザーのグレッグが何かしていた。
家の中に入ってきて、血まみれの手を広げ。
「今日仕留めた鹿をさばいていたんだ」…うきゃーーー!
その日は、鹿ディナーでした。
地元民には当たり前のオーロラ(=Northern Lights)。
*地元の人が「今日はあったかいね」と言ったら、
それは-10度くらいを意味する。
*かちんかちんに凍った湖の上を車で突っ走った!
*バスも、友達の車も来なかった朝。
歩いて学校に行こうとしたら、途中で吹雪に。
方角も何も分からなくて、ホワイトアウト状態。
引き返すこともできず、通り過ぎる車の音だけを頼りに、
ハイウェイをひとりで歩いた。
何も見えず、体の感覚もなくなって、最悪の事態を考えたとき、
運良くクラスメートのカナダ人女性が車で通りかかり、助かった。
助手席に座ったとたん、体中の氷が溶けて、水が滴り落ちた。
*冬は午後4時に暗くなる。夏は夜10時まで外で新聞が読める。
北斗七星やオリオン座が巨大に見える。
*バンクーバーからの帰り。猛吹雪の中を17時間ドライブ。
街灯無し。運転手のほか必ず1人が起きているようにした。
助手席に座ってるだけでものすごい緊迫感。
近所のPeace River。「ここの水を飲んだものは、また必ずこの川に戻って来る」
*素手で家のドアをあけようとしたら、
グレッグに"NO!"としかられた。
凍ったドアノブに、手が張りついてしまうらしい。
*近所にスキーに行ったとき。
-30度の中滑っていたら、ジャケットからほんの少し出ていた、
手首と足首の部分が凍傷に。腕輪みたいにぷくっと膨れた…
3年くらい跡が消えなかった。
*夏はオーロラが毎晩のように見える。
地元の人たちはなんとも思わない(笑)
一度、360度さえぎるものの無い大地の上で、
ゆらめくカーテンのようなオーロラを見た。
「感動」なんて言葉がちっぽけに感じた。
…なんだか、寒さにまつわる話ばっかりですねぇ 笑
このほかにも、何度か自然を甘く見て危ない思いをした。
そして、昔はイライラして怒りっぽかった自分は、
どこかに行ってしまった。
Fort St. Johnには、短大付属の英語コースがひとつあるだけで、
留学生も30人くらいしかいなかったので、
兄弟みたいに仲良くなった。
勉強はと言えば、私はマジメではなく、
授業には出ていたけどガリガリ勉強はしなかった。
その分、クラスルーム外で学んだことは大きかった。
晴れた初夏の日。Fort St. Johnともお別れだ。
私は、考えた末、アメリカ・シアトルの短大に進学を決めたのだ。
9ヶ月前に到着した小さな空港。
車で送ってくれたホストマザー(2軒目のホストファミリー)は、
いつもはお酒が大好きな威勢のいいおばあちゃんだが、
その日は、「あたしは見送りなんていやだよ。ここで帰るよ。」
と足早に去って行った。
プロペラ機に乗り込むと、金網の向こうに見送りの友達が見えた。
この小さな街が、第2の故郷になっている自分が不思議だった。
「人生の基礎練」の価値は、このときの私にはまだ、
分かっていなかった。
(続く)


