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4月21日(月)

 

ふたたびの大連商城。

 

 

無計画に行くと沈没するので、食べるものを決めて、お店を探して突撃しました。まずはミヨレリクエストでロシアのお店でチョコレート購入。1店舗目にお目当てのチョコがなかったんだけど、お店のお姉さんに別にお店に行きたいと云ったら親切にお店を教えてくれました。無事ロシアチョコをゲットしたので、ランチのお目当てを買います。

 

 

 

まずは雲丹入り小籠包12個(小扮60元・1,500円)夜市でやっす!と思ったけど、市街地のショッピングセンター内で、かつ食材によってはそれなりのいいお値段。でも、ここまで来たらいいのです。食べたいものを食べる。で、今画像みて思ったんだけど、私、蝦蛄を包み込んだ餃子みたいなのを食べたいと思ってたんだよね。なんでここで買わなかったのだろう?目に入ってなかったのかな・・後悔。

 

 

お次もまた雲丹。雲丹入り肉まん。1個だけ買って半分こ。25元(625円)。電光掲示板メニューになっていて近代的なんだけど、指差しには不向き。画像が切り替わるんだもん。それで張り出してある紙のメニューを指さすが、お店の人からは見えない。と、おばさん、生地をのばす綿棒を持ってきて、これで指させと・・やっぱりアナログ一番。

 

あと1品。念願の蝦蛄ケジャン。韓国っぽいけど構わぬ。二胡の先生に食べたことを言ったら、中国で生は勇気ある、と言われました。でもまあ屋台ならともかく、チェーン展開してるデパ地下出店のお店だからね、だいじょうぶっしょ。(現になんも問題なし) 6匹入り38元(950円)

 

というわけで、買ってきたものご覧あれ~

 

 

 

 

うに水餃子、開陳~。うに包もそうだけど、うにはまあ・・熱を通さないほうがいいかなあ。もしくは肉と混ざってると雲丹風味が薄れる。つけダレがうまし!

 

 

蝦蛄ケジャンはねえ、もう絶品だった!これ食べてお腹壊しても本望だってくらい。ねとっとしてたまりません。ひとりで10匹くらい食べたい!

 

 

蝦蛄ケジャンしか買ってないのに、ちゃんと保冷バッグに入れてくれた。お手拭きもいれてくれてるし。すごくちゃんとしてる。

 

 

基本的にお持ち帰り文化なのかも。水餃子も、うに包も容器がしっかりしている。ちょっとエコに反してるって思わなくもないけど。

 

それにしても。今見ると、なんかこれだけしか食べてないんだ~って思ってるんだけど、実際にはこれでちょうど良いくらいだった。まあこの日は旅のオオトリを飾る夜市もあったから、自然とセーブが働いたのかもしれない。

 

ランチ後はまったり、お昼寝タイム。しばらく休んでからミヨレだけひとりで連鎖街をうろついてみました。ホテルの近くだし、かつては「東洋一の商店街」と呼ばれた商業地区というから行ってみたかった。三船敏郎も子供のころ住んでたっていうし。

 

が、描いていたイメージとは全く違いました。

 

 

ベージュ色の外壁で覆われた2~3階建ての建物に、電線や照明などの建設資材や工具を扱う店舗がずらりと並ぶ。外壁はひび割れ、色あせてたり、崩れていたり。約90年前の外観がそのまま残っている。日中とはいえ、日本人おんな一人でうろつくのはちょっと怖いと感じた。

 

 

一瞬廃墟?と思ってしまった街並みの奥にそびえ立つ超高層近代ビル。この対比が中国っていうか、アジアらしいなあと。

 

連鎖街外周をぐるっとしたけど、三船敏郎・父の経営する写真館跡も見つからず。なんか忘れ去られた街、という印象でうすら寒くなってきた・・

 

 

外周からは大連駅にすぐ行ける。左側の建物は、昨日、葉さんが連れて来てくれた郵便局。

 

 

もう一度勇気をだして中を練り歩いてみた。やはり廃墟感ぬぐえず。でも、街の外周、目の前は、大連商城などもある商業地区。

 

 

連鎖街の対面、ホテル前の道(中山路)に面して建つレトロな建物は、三越百貨店。残念ながら閉館して、ここもそのまま放置状態。

 

風が出てきて寒くなってきたのもあり、ホテルに戻ることに。途中の地下鉄青泥窪駅前で、朝から数台あった果物売りの車をのぞいてみた。

 

 

大連はさくらんぼの街。もう一か月遅ければ地ものが出るんだけど、今はハウスもので、値段も高いらしい。なので買うのを断念。

 

 

ホテルの一本裏手の通り。表側は六本木か赤坂見附か?だけど、1本裏になっただけでこんなにも様相が違う。

 

部屋に戻って、改めて連鎖街のことをググってみた。そっか~、サザンオールスターズ「流れる雲を追いかけて」の歌詞にも出てくる「連鎖の街」って、ここだったとは! のんちゃんといっしょに「進軍ラッパがプププププー、つばめのダンスにゃホロホロリ♬」と口ずさみました。

 

さて、この度最後のイベント。初日に行った夜市は大学近くということで学生や地元の人が集うローカル夜市だったけど、これから行く西安路夜市は、日本でいうと渋谷とか新宿歌舞伎町的な繁華街。

 

 

足腰不安なわれら、往復🚖利用。行きは約178円、帰りは約247円って、安すぎん?ゼロいっこ間違ってない?コンビニでお菓子やジュース買ったってこれより高いよ。

 

 

 

こんな感じで屋内にお店がずらり。フードコートとデパ地下が合体して無限に広がる感じです。さらっとどん突きまで見て回って、トイレに行って臨戦態勢。

 

 

さすが若者の街だからか、トイレは入口のれんかかってなかったし、内装かなりアグレッシブだったわ。

 

まず食べたのは、色々な串を売っているお店で串3本。鶏胆と香菜の巻物とあと1品忘れた・・とにかく、なんでもっと色々食べなかったか、ほんっと、後悔。最初だったから、ここで飛ばすと後が続かないと自重してしまったのが間違い。串3本で165円也。

 

 

次は汁物麺類食べたいよね、と意見が一致、ほんとは辛くないスープが良かったんだけど、お店で看板みたらやっぱり選んでた。麻辣なお味。

 

 

 

お店のお薦めとなってた肉末米粉約356円。米の麺だったからかするする入って、スープも牛味沁み入るよいお味でした。もちろん、半分こね。

 

 

 

麻辣麺のあとはやっぱりさっぱりしたい。「手で叩いた(?)フレッシュグアバレモン」と1枚看板で写真画像があったお店押しメニューにしてみた。水で薄めてない100%自然のジュース、スーパーフード入り。約330円也。これを高いと思った中国の物価に毒された自分。いやいや~、100%フレッシュを信じるならば、日本だと1,000円超えてるかもよ。酸っぱさが絶妙で美味しかった~。

 

さてさて。これにて大連・旅順の食の旅(いや、違うからね。歴史を感じた旅でしたよ)は実質終了。明日は早朝出発で帰路のみとなります。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

4月22日(火)

 

朝6時に葉さんと薫さんがお迎えに来てくれて、空港直行です。ホテルで作ってくれた朝食弁当渡されました。

 

 

うん、由緒正しい日本のお弁当だ。昨晩に作って冷蔵庫に入れてたって感じで冷え冷えだけど、空港についたら多少食べごろになっていました。空港に電子レンジ置いてくれないかな。ちゃんとした唐揚げ弁当。味付けは中国みはない。ホテルの日本料理店のシェフは日本人なのかも。

 

 

大連・周水子国際空港の国際線は、日本と韓国含めて5-6社しか乗り入れてない様子。なので閑散とした印象でした。国内線のほうがお店も人も多いみたいです。

 

 

帰りもちゃんとした機内食が出ました。牛肉を選んだんだけど、ソフト麺みたいだったのが失敗だったな~。朝食の唐揚げ弁当も食べたからどっちみち入らなかったけど。

 

●ウォルマート、大連商城で買ったものたち。

 

 

 

 

さてさて。のんちゃんのお誘いを受け、行ってみた久しぶりの中国。のんちゃんのひいおじいちゃんを偲ぶ、という本来の目的は予想を超えての感動があり、本当に行って良かった。食べ物も安くて美味しい。まあ大連だからかもしれないけれど日本人ヘイトで嫌な思いをすることなく、皆さん親切だった。国同士はアレだけど、民間交流って本当大事だなって改めて思う。へりくだったり卑屈になる必要は全然ないけど、日本は昔から大陸の恩恵や影響を受けてきたことをもうちょっと認めてもいいんじゃないかな。

 

 

最後に。葉さん、薫さん、本当にありがとうございました。お二人のお陰ですごく良い旅ができました!我非常感謝!

 

 

 

 

 

 

4月21日(月)

 

朝食会場紹介。昨日、本日と珈琲を飲みに行きました。最上階(19階)の日本料理店「大和」にて。

 

 

まあ、珈琲だけと思っても、ついクロワッサンとか果物をとっちゃうんだけどね。日本のホテルのコンチネンタルビュッフェと変わりなく安心のお味でした。

 

朝食後すぐに行動開始。この日の予定としては、中山広場をそぞろ歩き、人民広場駅のウォルマートでお土産購入⇒大連商城にてランチ買い出し、ホテルに戻ってお部屋でランチ。お昼寝して夜は西安路夜市で食べまくるぞ!という算段。

 

 

ホテル1階のお茶&お土産ショップを見ると・・「裸のマハ」みたいな美猫がいます~!思わず激写。まだお店は閉まっていますから、番犬ならぬ番猫?

 

地下鉄に乗って、到着日行った夜市とは反対方向、中山広場へ。駅構内にはなぜか教科書(?)の自動販売機が。需要があるってことなんだろうか。

 

 

中山広場は、日露戦争後の日本統治期にロシアの都市計画を受け継いで整備された。パリの凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場のように、広場を中心として放射線状に道路がのびています。ちなみに、凱旋門の道路は12本ですが、こちらは10本。

 

 

中山広場駅の西側入口を上がって、広場をとりまく外周の銀行や施政機構の建築群をひとめぐりしました。

 

 

朝鮮銀行大連支店(現在は中国工商銀行大連市中山広場支行)から民康街を渡って時計回りに移動。民康街渡ったら関東逓信局(大連市郵政局)

 

 

関東逓信前に、インスタ映えスポットがあったので、写ってみました。普段は姿見せなし、なんだけどなんとなく。

 

 

次は横浜正金銀行大連支店(中国銀行大連市分行) 煉瓦建て2階の欧風建築。離れた地点から建築全景を納めることができるといいんだけど。カメラの限界。 ライオン像が三越みたい。

 

 

民生街渡って人民文化倶楽部。劇場兼コンサートホール。現在も現役みたい。ドイツ放送交響楽団のニューイヤーコンサートの看板がかかってました。

 

 

七一街渡ると大清銀行大連支店⇒中国銀行大連分行(中信銀行中山支店)

 

 

 

建築に興味のある人だったら、この広場周辺は天国なんだろうなあ。自分は詳しくないので、ひとつひとつの建物に興味や思い入れがそうあるわけではないけど、それでも、中国なのにヨーロッパ・日本と様々な文化が入り混じったこの界隈が素敵だと思うんだから。

 

 

人民路は中山広場をほぼ東西に貫く大きな道路。中山広場を境にミヨレたちが泊ったホテルのある西側方向は中山路と名前を変えるみたい。

 

 

ここで半周。中山広場駅の東出口です。ミヨレたちが地上に出たところの反対側。

 

 

東洋拓殖大連支店(中国交通銀行大連市分行) アメリカの商業ビルを彷彿とさせる近代的な商業ビル。東洋拓殖は朝鮮における日本の植民事業を推進するために設立された特殊な会社だった。ビルには日本の三井銀行ほか、アメリカやドイツの会社も入居してたらしい。

 

 

ウェディングの前撮り。中国の人ってこういうの好きだよね。でも地元の人が撮影場所に選ぶんだから、周りの洋館建築は素敵な舞台なのだ。

 

 

大連市役所(大連市人民政府⇒中国工商銀行大連市分行)正面入り口は唐破風。奈良ホテルを彷彿とさせるな。京都出身の日本人による設計、祇園祭のイメージを取り入れたと云われる。

 

 

大連ヤマトホテル(大連賓館) 満州一の格式を誇る、と評され、満州鉄道主催の宴会や催しにも利用された。現在改装中だが、「大連賓館」(ホテル)として存在する。年内に完成、フェアモントグループのホテルとして再開する予定らしいけど・・。まあ気長に待つとしよう。

 

 

改装中でも2階のカフェ「大和喫茶」はやってるという情報もあったので期待して行ってみたけど、やっぱり完全閉鎖で入れませんでした。

 

元英国領事館はなぜか写真飛んで、なし。最後は大連民政署⇒大連警察署(シティバンク)ただ、シティバンクはもう撤退したようす。

 

 

 

 

辽沈銀行になってました。 三年定期の年利率が1.85%。これってわりかし高利率?日本のメガバンクだと1%以下のところがほとんど。ソニー銀行とか新生銀行、キャンペーン期間で1.45%とかそんなとこみたいだから。

 

これで1周しました。中山広場の周りはこんな感じで歴史ある建築群と高層ビルが同居してます。そしてなぜか銀行ばっか!

 

 

中山広場に入って、中央に立つと。 広場の中央に大連の北緯東経を示す金属石板がはめ込まれてました。

 

 

初夏を感じる日差しの中一周して暑かったので、地下鉄の通路に戻ってキオスク的ローソンで飲み物を買って、広場のベンチでひと休み。

 

 

まわりは鳩いっぱい。春は求愛の季節?羽をふくらませて必至に求愛行動にいそしむ鳩たち。雄は必至です。ツンデレ雌は知らんぷり。

 

 

さて、次はスーパー!旅先でスーパー定点観測はお決まりです。とはいえ今回は中国資本のスーパーではなく、なぜかアメリカのウォルマートですが。

 

地下鉄で移動する前に、中山広場駅改札のトイレへ。どこか忘れたけど他のところで行ったトイレも、なぜか扉はなく「暖簾」でした。

 

 

人民広場駅おりて地下通路進むと、自然にショッピングセンターに入り、すんなりウォルマートに行きつきました。

 

 

 

ウォルマートへの通路を入ると目に飛び込んできた寿司やの看板。色々突っ込みどころ満載。中国でも「まじ」っていうんだ。

 

 

はい、コストコみたいなスーパー。広大・ポーションでかすぎて、思ったほど買えるものはなかったな。今の私たちには、コンビニが一番いいかもしれない。1人用ポーションだから。

かろうじて少な目ポーションのお惣菜をいくつか買って、大連商城へ移動。

 

 

昨日、葉さんに案内してもらったので、だいたいの様子はわかってる。初見でなくて良かったと思います。だって、自分たちだけで初めて行ったなら、もう目が回って何も買えない、という事態になったかもしれないから。

 

③-2に続く。

4月20日(日)

 

旅順からの帰路に立ち寄ったのは星海広場。

 

日露中の過去の負の遺産を巡って、神妙に「世界平和とは」なんて考えちゃったりしてましたが、一転「今」に引き戻された。

 

 

 

大連市の南側、星海湾に面して広がるアジア圏最大の広場。大連の市制100年を記念して造成された。とにかく広い。全体像を見るにはドローン飛ばさなきゃ。夜はライトアップ、夏にはビールフェスティバル、壮大な噴水ショーなどが催されるそう。私たちが行ったときは、来る夏に備えてなのか工事中で、奥には行けませんでした。

 

 

星海広場のランドマーク的なモニュメントのひとつ。正面のスケボ会場みたいなのは「開いた本と翼」そこに続く帯状のモニュメントは市制百年の記念製作でいろんな人々1000名の足型が刻まれた彫刻です。

 

東京だとお台場をもっと巨大に派手にしたような感じでしょうか。中国って広大な土地があるのに、上へ上へと超高層ビルを建てるのよね。繁栄のシンボルみたいな印象を与えるからだろうか。

 

観光ツアーの最後は、ホテルの目と鼻の先、大連商場(ショッピングセンター)を、葉さんに案内してもらいました。でも、地元民の葉さんも、ここまで買い物にはほとんど来ないそうです。お値段も高めだといってました。まあそうよね。川崎蒲田あたりに住んでて、六本木や丸の内で日常の買い物なんてしないもんね。

 

 

大連商城の隣のビルはMYCAL。昔日本にもあったよね?MYCALって。そごう・三越みたいなハイソサエティな百貨店です。免税店のような化粧品の匂いとか、高級ブランドが並んでお客さんがほとんどいないという百貨店の現状、日本と同じだった。

 

 

大連商城はイオンショッピングセンターとかららぽーとみたいなもん?1階の食料品・フードコートは、池袋の東武百貨店のデパ地下の3倍くらいの規模に感じました。ええ、パライソですわ~(なぜスペイン語?)

 

 

 

日曜日だけど昼時はずれて夕方のお買い物タイム前だったので(15時位)まだ空いてるほう。翌日ランチ前に行ったら平日なのにこんな空間はなかく、原宿の竹下通りか浅草浅草寺並みの人混みだった。

 

以下、幸せの絵ヅラ。

 

 

 

 

 

 

美味しいもの天国なんだけど、怒涛の情報量で脳はフリーズ状態です。最近認めざるを得なくなってきました。情報過多によるフリーズは、加齢のデフォルトだって。

 

●中国郵便事情

大連から絵葉書を出したくて、葉さんに切手を買いたいと言ったら、けげんな顔。旅行先で絵葉書を出す、という行為は、平安時代の蹴鞠みたいなもんなんだろうか。葉さんいわく、「昨今もう手紙や葉書は書かない、みんなメールです」とのこと。いやそれは日本も同様だけど、日本ではコンビニとかそこら中で切手は買える。冗談なのか本当なのか、道路にあるポストも、お飾りで置いてるだけで機能してないと思うって。えええ?知らずにポストインしてたらそのまま放置だったってこと?そんなことあり?とにもかくにも、「日本に郵便を出したい」ということはわかってもらえて、大連駅近くの中央郵便局?に連れてってくれました。でも、フロアは暗くて誰もいない。だだっぴろいフロアに郵便局員たった3名。葉さんが局員に切手のことを聞いてくれましたが、どうやら海外に出せる切手(日本への航空便切手、5元・約125円)がないみたいでした。0.5元切手ならあるらしいけど、それだと10枚貼らないtいけない。しかも、0.5元切手、日本の記念切手並みに大きい。これだと何も書けなくなるよ~ 叫び 

 

結局、後日、葉さんがスタンプ式で出してくださることになり、最終日に葉書を託しました。葉さんが22日か23日に出してくれたとして。本日5月8日、2週間以上経ってますが葉書はまだ届きません。航空便だし隣の国だから1週間あれば届くのでは?というのは甘い見積もりでした。グーグルのAIは、1週間から2週間で届くって言ってるけど。なんか検閲にひっかかってるんだろうか。それにしても、中国には郵便制度ってのはなきに等しい感じです。政治的にはどうなんだろう?日本だと郵政族っていう政治家派閥があるくらいなのにね。

 

さて、濃厚充実な旅順ツアー&もろもろを終えて、15時半過ぎにホテルに送り届けてもらいました。休憩がてら夜ご飯の作戦会議です。

 

・・・ zzz ・・・

 

19時。どうしよう。ランチをちゃんとセーブしたのになあ。お腹が全然空きません。なんでかな???

明日は1日フリーで、好きなものを自分のタイミングで食べることができるので、明日にかけることにして、この日の晩御飯はローソンディナー。

 

 

残り1本を取ったので空列になってるけど、大連産ビールもありました。7元(約175円)中国系のビールはだいたい7~9元くらい。

 

 

 

2元の総菜パウチ、このシリーズはなかなかGOOD!50円くらいで買えるって、物価はやっぱり安い、と実感。

 

 

Lay’sのポテチはどこの国にもありますねえ。ちょうど2袋で10.8元の特価だったので、おそらく中国限定と思われるキュウリ味と、プレーンを買いました。キュウリ味は・・うん、キュウリでした。私はキュウリジュースだって好きなくらいですから、美味しくいただきましたが、ダメな人はダメだと思います。

 

というわけで、カップラーメ豚骨醤油味、日本にもあるような透明パックに入ったサラダ、総菜パウチ(ザーサイ・麻辣こんぶ)を二人で半分この調整飯です。どこに行ってもやっぱり調整飯。とほほ。

 

 

 

 

でも、明日はたぶん1日2食はできるはず。帰国日は早朝にチェックアウトして空港に行くだけなので、何も食べられない。明日が勝負です グー

 

 

4月20日(月)

 

③旅順軍港車窓観光から旅順旧市街

 

 

次の観光は二百三高地の予定でしたが、順番を変えて、旅順旧市街を通り旅順軍港(車窓観光)、そして旅順駅に来ました。旅順軍港は下車観光不可、写真もだめです。

 

旅順駅は1898年に帝政ロシアによって着工され、1903年7月14日に南満州鉄道支線の終点駅として開業。草帽形の通称「玉ねぎドーム」と白壁・緑窓の外観のロシア木造建築です。葉さんによると、駅舎は塗装しなおしたみたいだ、とのこと。確かに緑鮮やか。

 

 

現在は鉄道・駅としての機能はなく、歴史的建築物として保存。窓から接写で駅舎の中を撮りました。切符を購入する窓口や改札口が見えます。ここからサンクトペテルブルクまで続いていたんだなあ。今、ロシアへは外務省はレベル3(渡航禁止)認定、自分が生きている間にはもう行けないでしょう。エルミタージュ美術館・夏の宮殿にエカテリーナ宮殿。行きたかった。。。

 

 

次の下車観光は、粛親王府休址。清朝皇族第10代粛親王が、清朝が倒れた辛亥革命後に北京から移り住んだ邸宅です。粛親王の第14王女「男装の麗人・東洋のマタハリ」川島芳子も、日本に渡るまでここで暮らしていた。兵どもが夢の跡。今はぺんぺん草が生え、放置状態の様子。そういえばここだけでなく、旅順旧市街移動中に見た元日本人居住宅など、日本に関わる旧跡・遺構は扱いが雑になっている気がしました。維持費等お金をかける順番としては日本関連は優先度低いよね。

 

③二百三高地

 

 

二百三高地。いわずとしれた日露戦争中最大の激戦地。旅順港を一望できる標高203メートルの山?丘?旅順港は冬でも凍結しないので、ロシア海軍の極東拠点として重要な港。また、日本からすると、ここを制圧すれば、陸上から港内の軍艦を狙い撃ちできるため、日露戦争の勝敗を決める重要な場所だったのです。私たちが最初に行った東鶏冠山などの鉄壁の堡塁を攻めあぐねていた日本陸軍は、戦局が進んだ第3回総攻撃の途中からやっとのこと、日本海軍の進言を受け入れ、戦略転換しました。そしてようやく二百三高地の制圧に成功。日露戦争勝利が確実になりました。

 

と、日露双方多くの戦死者を出した悲惨な地だったわけですが、お花見シーズンまっ只中ということもあり、ピンクで華やかな雰囲気~。でも音楽は愛国教育のテーマ?みたいな勇ましい曲だけどね。

 

 

 

二百三高地は旅順国家級森林公園として整備され、2006年に「桜花園」として開園。咲き乱れる桜は日本が贈ったものとのこと。

 

 

桜満開の園。思わぬお花見ができました。頂上に近い場所は、「二〇三高地」という名前が彫られた慰霊碑などがありますが、そこに至るまで坂を20~30分ほどあがっていかなくてはなりません。通常だとカートが待機していて、それに乗って上に移動するそうです。ただ、お花見シーズンは人が多いので、カートは中止。徒歩必須。そこで葉さん、山上近くにあるお土産屋さんの知り合いに電話かけて、送り迎えを依頼してくれました。阪急交通社からの依頼ではカート代金が含まれているのでその費用を充てるから大丈夫!とのこと。

 

というわけで、山上近くまで楽々車移動。指揮官である乃木希典の次男・保典の戦死碑にも案内してもらったのち、頂上を目指しました。

 

 

 

犠牲となった将兵たちを慰霊するために戦場周辺の弾丸と砲弾の薬莢を集め、1912年に完成してライフル弾を模した慰霊塔。二〇三を中国語発音で漢字をあてた爾靈山(にれいさん・あーれいさん)と刻まれています。漢詩が得意だった乃木希典が名付けた。当時取り付けられていた日本語のプレート等は第二次世界大戦後戦後、旅順を占領したソ連軍が破壊したので今はありません。

 

 

慰霊塔とともに頂上には見晴台や日本式280砲弾のレプリカも設置されていました。砲撃は二〇三高地の頂上から行ったというより、重砲観測所を設置し、背後の山から射程7,800mの280砲弾を旅順港の軍艦めがけて打ち込んだ、ということです。

 

 

「そこから旅順港は見えるか」(児玉源太郎・当時満州軍参謀) 見えます!当時は山肌に樹々はなかったのでもっとよく見渡せたでしょう。今見える樹々は後々植樹されたのもです。

 

 

今はさかりの桜の花。山一帯が戦死者の骸でできているといっても過言ではない場所に咲き誇っているのだと思うと、綺麗だけどちょっと狂気も感じます。「桜の樹の下には屍体が埋まってゐる!これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。」(梶井基次郎・桜の樹の下には」)

 

いい時期に来たよねえ!と言いながらも一抹の不安というか落ち着かなさを感じつつ、時間も頃合いなので水市営見学の前に水市営前のレストランで旅順郷土料理のランチになりました。

 

 

はい、なんか珍しく神妙になっていたミヨレですが、お店の水槽みたとたん、あっという間に俗人に戻るというこのいい加減さ。

 

 

 

タコの炒め物はご飯が進む安定のオイスターソースっぽい味付、煎餅(クレープみたいなの)はモヤシ炒めと青ネギを包み込んで食べる。

 

 

なんでこれまでやらなかったのか・・わかめじゃなく海苔のかきたまスープ。そうだよ。湿気てしまう前にこういう使い方すればいいんだよ!

 

 

かれいの素揚げ。パリッパリのカリッカリ!全部あますことなく食べられる。美味しい!そして・・一番気に入ったお料理が、肉厚こんぶと骨付き豚とジャガイモの煮物。沖縄でもこんぶと豚肉の煮物があるけど、あれと似た感じ。こんぶの美味しさを知りました。なのに写真なし。食い気に走ってしまったか。昨晩の屋台でも思ったけど、香辛料はほぼ使ってない。素材がいいから使う必要ないんだろうなあ。田舎のおばあちゃんがふるまってくれる家庭料理って感じ(もっとも、メニューはお仕着せなので、日本人好みの味のものをチョイスしてくれてるのかもしれない)

 

夜のことを考えて白米には手を付けず、お料理も少しづつお皿に残ってしまう申し訳ない食べ方になってしまった。葉さんに、小食ですねと言われました。ごめんなさい、食べようと思えば食べきることができたと思うんだけど。

 

ヘルシーで美味しい昼食後は、水師営の見学です。ここが旅順観光の最後になります。

 

 

 

水師営はもともと清朝の時代、各地に設置された海軍の駐屯地です。1905年1月1日ロシア軍降伏後、1月5日、日本軍の乃木希典大将とロシア軍のステッセル将軍がここで会見し、旅順要塞の降伏が正式に決定。

 

 

ノーサイド、なんて生易しいものではないけど、日露の大将がこうやって仲良く(?)並んで座ってポーズとるっていうのも、不思議なものですね。乃木大将はともかく、ステッセル将軍の心中はどうだったんだろう。

 

 

水師営会見所のモニュメントは、一部近隣の人たちの「日本のこんなのを堂々と設置するなんて!」という声を受けて、ひっそりと隅に追いやられてしまってます。感情は色々ありますよね。

 

さて、この旅の最大の目的、「旅順でのんちゃんのひいおじいちゃんを偲ぶ」は葉さん、薫さんの感動的なサプライズもあって無事終えることができました。この後は、ホテルに戻りがてら、星海広場下車観光、ショッピングセンター行きになります。ショッピングセンターは、ツアーあるあるのお土産物強制連行ではなく、これまた葉さんの計らいにより、昨日ミヨレたちが行きたいと言っていた大連商場を案内してくださることに!

 

本編②はあと1回で終了です。

 

 

4月20日(月)

 

今回のツアーは、旅順観光が組み込まれてました。旅順は大連から列車やバスで行けなくもないけど、初見では難易度高い。葉さんも行ってたけど、現地ツアーを利用したほうが効率がいい。

何より、歴史的なことを説明してもらえるってことが重要です。

 

8時半にロビーで葉さんと待ち合わせ。運転手さんは薫さん(男性)。物腰の柔らかい紳士です。50分ほどかけて一路旅順に向かいます。阪急交通社の旅程表では、①東鶏冠山(とうけいかんざん)②203高地③水師宮(すいしーいん)の下車観光、旅順軍港、星海広場は車窓観光、あとは、郷土料理のランチ、ショッピングセンターと星海広場の立ち寄り、となってました。

 
①東鶏冠山北堡塁
 

 

かつての激戦地も、今はすっかり観光地となっています。でも、駐車場には軍隊っぽい設置物と、「常に党と共に」「初心忘れべからず、使命を心にしっかり留めておく」というスローガンの看板がありました。そして山内ずっと勇ましい、たぶん愛国精神を謳うような音楽が流れていました。のどかな風景とはうらはら。旅順あたりは「愛国教育地区」に指定されているから、らしいです。大連に着いてから、「ここ、日本?」とも思える街並みに安心感を持っていたけれど、こういう一面を見ると、中国だ、と思います。思想のコントロールは教育とは言わないと思うけれど、日本の、特に教育の現状を顧みるに、日本国民への教育というものをちゃんと考えたほうがいいのでは?と思いました。あ、私は別に右翼ではありませんからね。

 

 

ロシア軍が旅順港防衛のために多くの中国人を使役して建設した堡塁(ほうるい)。堡塁は、敵(日本)の攻撃を防ぐために、天然の岩に、石やコンクリートなどで構築した陣地で、銃座、砲座、指揮所、観測所、兵舎や弾薬庫、堡塁をつなぐ迷路のような交通路からなります。それらの名残りや、テーマパークよろしく設置されたレプリカ銃器等を見つつ、ルートを巡ります。

 

 

 

 

 

「日本軍は28㎝砲で要塞を砲撃、射程距離は7㎞あり、この砲弾で要塞内の火薬庫を爆破させるなどの大損害を与えた。また、ロシア軍のコンドラチェンコ少将は司令部で榴弾の直撃を受けて戦死した。」

 

と、この字面だけだと、日本軍は高火力でいとも簡単に勝ったみたいだけど、とんでもない。

 

 

手りゅう弾や地雷をかいくぐって堡塁の塀を越えたら、降り立った背後(堀外側)の隠しトーチカからの銃撃と、さらに堡塁上方から十字砲火を浴びてしまう。まさに不落の要塞。日本軍は堀を乗り越えるのをあきらめ、坑道を掘って爆破孔から攻撃を行い、ようやく陥落に成功したと。

 

 

壁の銃撃の跡、これは豚小屋と変わらないのでは?というようなロシア軍の兵舎を見て回りました。

 

 

そして一番、なんだかなあ・・と思ったのはね、ここは中国です。でも戦ったのは日本とロシア。人の家で他人が暴れまくるって。身近で考えてみたらどうよ?迷惑なんてもんじゃないよね。

 

 

 

 

 

のんちゃんと現地ガイドの葉さん。後ろ姿ですが。東鶏冠山北堡塁の観光を終えて、駐車場に戻ります。

 

で、そもそも。この大連・旅順旅はのんちゃんからのお誘いでした。近年になって、のんちゃんのひいおじいちゃんがまさにここ、旅順で亡くなった、ということがわかるお手紙や資料が出てきたのです。その地に行ってみたいと思い始めてた・・とのことで。この世界情勢、お隣の国といえど、そのうちほいほいと行けなくなるかもしれないし、これは行くしかありません。

 

しかも!出発の前々日、そのお手紙等を精査してたら、ひいおじいちゃんが亡くなる直前に日本の家族に出した軍事郵便が見つかり、旅順の「盤龍山東堡塁」で亡くなったということがわかったとのこと!これはもう、ひいおじいちゃんのお導きです。 

 

★盤龍山東堡塁

 

「盤龍山東堡塁」は、東鶏冠山からも望める場所。「そちらの方角に手を合わせることができたらいいな、という思いで来た」ということを葉さんと薫さんにお話しをしたら、なんと、私たちが東鶏冠山北堡塁を観光している間に、薫さんが車を飛ばして現地まで行けるルートを探してくださっていました!

 

 

東鶏冠山北堡塁から車で10分もかからなかったでしょうか。近隣の農家さんが通るための山道を登り、やってきました。葉さんがスマホで色々調べてくださったところ、「盤龍山東堡塁」に碑もあるらしいとのこと。農作業をしていたおじさんに聞いてくださったところ、「ああ、山のてっぺんになんかあるねえ・・」みたいな反応。

 

 

山の斜面はおそらくこの地区の方々のものと思われるお墓が点在。そのため多少けものみち的に踏みしめられている場所を薫さんと葉さんの先導で進む。落ちた松葉がふかふかで、しかも坑道の名残り?みたいな溝や穴の上に積もっているものだから、気を抜くとずぼっと行く。結構サバイバルしましたわ。でもその甲斐あって、頂に出ました。

 

 

ありましたよ!石碑が!この石碑は、1916年に満州戦績保存会が建てた記念石碑だそうです。

裏側の碑文は、「明治三十七年八月二十一日第九師團及後備歩兵第四旅團ノ一部隊之ヲ攻撃シ翌二十二日占領ス 陸軍大将一戸兵衛碑名ヲ書ス 大正五年十月 滿洲戰蹟保存會」と彫られています。

 

 

簡単に歴史解説。1904年8月19日日本軍旅順総攻撃開始、11月30日二〇三高地占領、そして1905年1月1日ロシア軍が旅順で降伏、1月5日乃木・ステッセルが水市営で会見、9月5日ポーツマス条約(ロシアが旅順大連の租借権などの利権を日本に譲渡)

 

ひいおじいちゃんは総攻撃開始の2日前の17日にこのハガキを出して、そしてその後この激戦の地で亡くなられたのですね・・

 

 

その地も今はのどかなさくらんぼ畑。月並みだけど平和ってほんとに素晴らしい。だからもういい加減人間は学習しましょうよ。戦争なんて非生産的なことやめましょう。(って、誰もがきっと思ってるのになぜ繰り返すのか)

 

のんちゃんがここにたどり着くことができたこと、本当に良かった。そして葉さんと薫さんの優しさに心から感謝です。国レベルでは史上最悪の関係性かもしれないけれど、ひとりの人間としての関係ではちゃんと理解しあえると信じたいです。

 

 

本編②-2に続く。