これ画像見てください。

こちら

いや論外ですね。

この人たちが言う事が通るなら、同じ理屈で生徒が先生に対してどうしても許せない、理不尽だと思ったら先生に暴力を使ってもいい事になるよ。

もちろんいいと認めますよね?


だいたい「あの時殴られて今はよかったと思う」的な思い出話をする人って、よっぽど悪い事した人が多いよね。

そんな特殊な人を基準に一般論みたいに語られたら普通の生徒は迷惑だし。

痛みを知る事が出来た?

何のために痛みなんか知る必要があるの?

ほどよく暴力を使えるようになるとでも言いたいのか?

暴力の痛みなんて知る必要なんか全くないよ。

暴力の本質について、以前にも私はこのブログで書きました。

今回は「体罰」と称される暴力の本質って何だろうと考えてみました。

体の痛みという恐怖を使って、相手を思い通りにさせようという心理。

そこには正しさを理解させようという発想はない。

痛いのがイヤなら言う事を聞けと言ってるに過ぎない。

暴力を受けた人間は正しい事をしようというより、体の苦痛を避けようという心理しか育たない。

「体が痛いのがイヤだから、悪い事をするな」

というメッセージ。

正しい教育を放棄し、自分自身が感情のコントロールを失った姿。

教育には、暴力を振るえるほどケンカの強さが必要だと言っているようなもの。

女性には教育はできないと言ってるようなもの。




このあたりが体罰の本質だと思ってます。

しかし暴力を肯定する人は相手を思う故の暴力ならいいと言う。

しかし暴力を使って諭したその相手はどうなるか。

今回のように暴力を肯定する人間の出来上がりです。

暴力って連鎖するんですよ。

暴力のない家庭や学校は暴力ではなく、まともな言葉でのコミュニケーションを学ぶと思うけど、体罰と称して暴力が身近にあったら、そのコミュニケーションを学ぶだろうね。

実際この人たち暴力を肯定してるじゃん。

時には暴力もいいと学んでしまった結果でしょう。

この人たちは暴力を非とする現在の法律を変えた方がいいと思ってるの?

そうじゃないと成立しないよ。

だって理由しだいで暴力OKなんでしょ?


暴力はいつ誰が使っても、犯罪だと教えるのが大人の役目でしょうが。

正しい目的の暴力ならいいって発想は戦争の肯定につながるのがわからないかな。


念のために言いますが、言葉の暴力もダメです。

「暴力 脳への影響」

などのキーワードで調べてみてください。

特に子供への影響は深刻で、こちらの厚生労働省のサイトには、

「体罰は百害あって一利なし」

とハッキリ書かれています。