他人に気をつかえるのが

優しさなのだと思っていた。

 

うまく気をつかえる人間に

なりたいとも思っていた。

 

 

でも、よくよく考えてみたら、

私は他人に喜んで欲しいから

気を使っていたわけじゃない。

 

じゃあ、何のために

気をつかっていたの?

 

 

……それは、

場を丸く収めるため。

 

 

それで、

相手を機嫌良くさせて、

 

自分が被害を被らない

ようにするため。

 

 

 

そうか……

 

 

私は「相手のために

気を使ってあげてる」

っていう意識でいたけど、

 

実のところは

自分を守るため

にそうしていたんだね。

 

 

▼音声でも配信しています!

 

 

 

 

自分は「クラッシャー」だと思ってる。

 

組織に所属すると、

だいたいその場を

破壊してしまう。

 

だから、

出過ぎないように、

目立ち過ぎないように、

控えめにしているクセがついていた。

 

 

つまりは、

気をつかっていたんだ。

 

 

それは、

相手への愛ではなく、

 

相手を不快にさせて

自分が嫌われないため、

自分が傷つかないためだったんだ。

 

 

 

2020年の9月は

なんだか上手くいかなかった。

 

今まで気をつかっていた反動なのか

怒りはドカーンと出て来る。

 

わかってもらえない悲しみとか

嫌われてしまうことへの不安とかで、

ハートブレイク状態だったんだ。

 

 

でも、風呂につかりながら

プリミ恥部さんの

『愛を味方にする生き方』を読んで、

 

ああそうか、そもそも

気をつかっていたのが

よくなかったのかと反省した。

 

 

 

 

 

顔色を見たり、

相手が喜びそうな返答をしたり

してる場合ではかった。

 

私は、気はつかってたけど

愛はつかってなかったなぁ。

 

 

 

大きなピンク色のエネルギー。

それで相手を包むイメージをする。

ピンク色で抱き留める。

 

 

ごめんなさい。

私はエゴばかりをぶつけていた。

 

わかってもらう必要なんかない。

理解してもらう必要なんてない。

 

 

「私をわかって!」

「それは私じゃない!」

「もっと私を見て!」

 

 

私の心の中の叫び。

 

それは、

他者に向けられた

ように見えるけれど、

 

私が私に向かって

叫んでいたことだったんだ。

 

 

よしよし。

大丈夫。

 

 

私は、私のことを見ているよ。

私は、私のことをわかっているよ。

 

 

たとえ世界中の人間が

私のことを誤解していようと、

私に他の誰かの像を押しつけようと、

 

私が私の理解者だから。

 

 

 

「気」は、つかえばつかうほど減る。

 

でも、「愛」は減らないんだ。

つかえばつかうほど、

さらに湧いてくるんだよ。

 

 

愛をつかうというのは、

ご機嫌を取ることでも、

表面上仲良くすることでもない。

 

最適な状態に、

自分も他者も置いておくこと。

 

愛を基準に考えれば、

そのやり方はちゃんと見えてくるんだ。

 

みあんご!

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