鎌倉に単身越してきたのは
2009年の夏のことだった。
親戚どころか、知る人の
一人もいない街。
地元の人がやっている
飲食店に通うようになって
知り合いが増えてきた頃、
よく聞かれるようになった質問は
「なんで引っ越して来たの？」
「結婚したから？」
「勤め先が変わったから？」
いいや、どっちも違った。
「群馬県出身だから
海に憧れてたんですよ」
「東京での暮らしが
息苦しくなったから」
これがあたりさわりのない答え。
それも嘘ではなかったけれど、
私を突き動かした一番の理由は
初めて会う人には言えなかった。
私は、恋人と別れる
きっかけが欲しかった。
・
・
学生の頃出逢ったその男とは
7年間続いていたけれど、
彼が一緒に暮らしているという
母親はもちろんのこと、私は
彼の友人にさえ会ったことがなかった。
彼の住む街の駅名は知っていたけど、
住所までは教えてくれなかった。
母親と二人暮らしの独身というのは嘘で、
本当は既婚者だったのかもしれない。
ろくに返って来ない、メールの返信。
こちらから会い行くあては無く、
彼がやってくるのを待ち続ける日々。
それは、不倫よりも
不倫らしい恋だった。
大学を卒業した後も
住み続けていた
都内のマンション。
いつふいに訪れるのか
わからない男のために、
私の予定は仕事以外白紙だった。
唐突に彼から連絡が来ると舞い上がり、
彼がチャイムを押すのを待ち焦がれた。
けれど気まぐれな男は
ドタキャンなんてあたりまえで、
舞い上がった分ひどくうなだれた。
彼といる間はいつもその
顔色をうかがっていた。
やがて男は唐突に
部屋を出て帰って行く。
どうしようもうない喪失感。
そのくせ、ひどくホッとしている。
散らかった部屋を片づける。
独りの時間が戻って来る平穏。
その繰り返し。
7年間、私はたぶん、
彼のことしか考えていなかった。
仕事をしているときも、
独りで家にいるときも。
結婚願望なんてもともと無かった。
だからこれでいいのだ、
と自分に言い聞かせる。
でも、ひどく疲れていた。
勝手にやってくる
彼のペースに振り回され、
一喜一憂し続けることに。
・
・
あの頃の私に伝えたいことがある。
だから私は文章を書く。
本当は小説を書くよりも、
こうしてブログやSNSで自分を
さらけ出すほうがやりやすい。
でも、実話としては
書けないことがあまりに多い。
作家のひすいこたろうさんに
あるイベントの壇上で
前祝いをしてもらったとき、
私は「ようやく本を
出版できました！」
と答えていた。
咄嗟に口から出て来た
私の夢はそれだった。
「どんな本を書いたの？」
「恋愛小説です」
「へー、タイトルは？」
「『白濁』と言います」
白濁（はくだく）。
それが、いつか本にしたいと
思って書いていた小説の名前。
一度は書き終えた。
自費出版の準備までしていた。
ライターの仕事が忙しくなって
ゲラチェックを後回しにしているうちに、
もう一度書き直したくなってしまった。
まだ眠り続けている、
私の小説の話。
そろそろもう一度、
取り掛かる時が来ている
のかもしれない。
みあんご！
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