2016年5月 肺がん(stageⅣ)、肝臓転移、
脳転移、左股関節の骨転移あり。
手術不可。余命半年の宣告を受けました。
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本日は、2016年、がんセンターで、余命
宣告を受けた後、地元の医療センターに
入院治療していた頃のお話です
2016年5月27日~6月
入院して2週間が過ぎた頃、
左股関節に出来た腫瘍(骨転移)は、放射線
治療とランマーク注射で、完全に消失する
ことが出来ました
歩行困難になる程の激痛も医療麻薬の使用
で、コントロール出来るまでに回復
けれど、放射線治療した骨は、スカスカ…
脆く、骨折しやすいのです
私の場合は、左側の骨盤が、それで、足の
骨は、健康。
なので、整形外科の医師曰く、今、体重を
掛けると足の骨が、骨盤を突き破る、骨折
する可能性が大きいと
まだ暫くは、歩行禁止。基本、車イス❗
今、骨盤骨折したら、手術などの治療は
出来ないから、慎重に❗と
車イス生活か…
一方、原発の肺がん治療は、気管支鏡の
検査で、ジオトリフが使用可能となり、
服用スタート❗
同時期、主治医(呼吸器内科)と緩和ケアの
看護師さんを中心としたケアチームの人達
と夫、私で面談(話し合い)が行われました。
がんセンターでは、あっさり、余命半年と
言われた私
あと半年で、死ぬ…。
これは、
諦めるとかじゃなくて、変えられない事実
と認識していました 私も夫も。
もう腹は座っていました。
だから主治医にも聞きましたよ。余命。
主治医は
半年と言うのは、何もしなければ…と言う
意味でしょう。ジオトリフの効果で、4年
を過ぎた人もいます。まだ他にも抗がん剤
は、ありますし。ただ完治は望めません。
何かを決める時は、長期ではなく、月単位
で考えるのが良いと思います。
現実って、時に凄く残酷ですね
誠実な対応をしてくれる主治医の言葉は、
私にとって、希望でも絶望でもなく現実
でした。素直に聞けたと思います。
この時点では、私の中にある「余命半年」
が、消えることは、ありませんでした
あと半年…すぐそこに死がある…
面談室の空気が重苦しくなった、その時、
何かに突き動かされるように私言って
いました。
先生、私、もう一度だけ、
生きてるうちに自分の足で、
歩きたいです
生きてるうち…でなきゃ、歩けんだろ❗
と、今、書いてて気づいた(笑)
あの時は、誰も突っ込まないでくれたわ
それどころか「歩きたい=退院したい」と
理解してくれた緩和ケアチームが、即、
退院支援チームとなり、ケアマネの依頼、
介護認定に関する諸々、リハビリ計画と
退院に向けて、動いてくれました
ほんと、この病院、動くの早いの。
翌日からリハビリ開始 ☝
バリアフリーのマンションと違い、普通の
家は、階段がネックですよね
松葉杖…これは、見ると使うは大違い
怖いの。階段の前に行くと、体が固まって
一歩も進めない
でもリハビリの先生が、左足を浮かして、
お尻をついて、階段を上り下りするように
考えてくれて…これが実際、家で生活する
時、すごく役立ちました
歩行機を使い、右足けんけん歩きも練習
しましたよ
骨盤の骨が、再生されるまでの辛抱です
からね。歩けるようになる❗が、手の届く
目標に思えてきました
ジオトリフの継続も決まり、介護関係の
面談もして、自宅の用具も揃えましたよ
(車イスや手摺など)
そして、看護師さんと毎日、色々な話を
したことが、心のケアになっていました。
感謝してもしきれませんね
入院から20日が過ぎた頃だったかな…。
車イスを乗り入れ、シャワーを浴びたのは。
嬉しかった
すごく、すごく嬉しかった
人間に戻れた❗て、思ったの覚えてる
いよいよ、退院が見えてきた時、廊下に
貼られた「理容室の予約について」が、
目に入ったんですよ。
看護師さんに聞いたら、美容室はなくて、
理容師さんが出張してくれると。
床屋さんかぁ…
丸刈りにされちゃうかしら
若干の不安はあったものの、退院しても
車イスでは、美容院に行けないし…
やっぱね、50才過ぎても女子ですから
半年後には、死ぬんだし、どーでもいい❗
とは、思わなかったな。
むしろ綺麗でいたい
何度も言うけど、女子ですから(笑)
で、生まれて始めての理容師さん、
申し込みましたよー🎵
一枚目の写メは、タイトルと一緒に表に
載ってしまうので
…愛猫😼桃太郎 に登場して貰いますね。
おばはんの頭、見せられてもな…
うん。困るよね。すいません
記録だから仕方ないとお許し下され。
でも今、考えると
あの日、髪と一緒に何かも切り落とした
…そんな気がするの
今でも忘れられない日です。
お目汚し申し訳ありませんでした。
この4日後に退院しました