こんにちはおねがいラブラブ
Mamiですキラキラ

あ!最初にグラサンキューン
3本目の動画出てるので
よかったら見てみてください〜キラキラ
未来のスーパースターたちに
会えた日でしたてへぺろ
偶然と好奇心で会えたので
人生面白いな〜ニコニコと思ったところですちゅー



↑サムネ、可愛くできてお気に入りですおねがいキラキラ


さて、私もパキ夫とであって今年で9年目。


早すぎて。そんなに月日が経ってるなんて

ビックリでガーン


子どもたちも大きくなるわけですニコニコ


思い返してみると、

母と弟にパスポートを隠され、初の

パキスタン行きから

スムーズじゃなかったです笑い泣き


だけど海外が心底大好きな私は

いろんな世界を見てみたい気持ちが強くて

危ないとかテロのイメージばかりの

パキスタンに飛び込んでみました看板持ち



ラホールの空港に到着後、

家族が濃いピンクのお花をたくさんもって

待っていてくれ、

お花で作った腕輪をつけて

初めて夫の家へ照れ


同じ敷地内に親戚が何家族か住んでいて

みんな初めてみる日本人の顔をまじまじ。


私はそのとき今のような感じではなかったので

気を遣いまくり笑い泣き笑い泣き

言葉が全く分からず、ほんとに0レベル笑い泣き


英語も発音が違うのか

ほとんど通じず。

人が多すぎて名前と顔が一致しない、

ポポ(父側の姉妹の呼び方)っていうのは

その人も名前かと思っていたら

のちのち、日本で叔父さん、叔母さんと言うような

名称ということが分かりグラサン


はじめてのパキスタンは4日ほどしか

休みがなかったので

すぐ帰った印象。


全てが新鮮で、周りへの配慮もあって

楽しくもちょっと疲れた、

そんな第一回目でしたニコニコ


第二回目は長男が生まれて2ヶ月経ったあとのこと。


一言で言うと

辛かった驚き


滞在期間が2ヶ月と少しで、

いつ帰る?って夫にめちゃくちゃ聞いてた時です笑い泣き


夫は友達と遊んでるのかなんなのか

よくわかりませんが


生まれたばかりの息子と私は

言葉が全然分からない環境にいたわけで。

おまけに乳児に対する関わり方も

全然違うので

ストレス半端なかった〜泣き笑い



当時を振り返ると主にこんな感じ↓


子どもにキスしないで。

手、綺麗ですか?

泣いたり指を咥えるしぐさをしたら

ボークラギー(お腹空いた)って言って

15分前に授乳したのに渡してくるのやめて。

ハチミツあげないで。

赤ちゃんに甘いものとかいらないから。


↑とかとか笑い泣き笑い泣き

ツンケンしてたなー笑

夫の放置具合にも腹が立っていたので

ほんと帰りたい!って思ってたのを強く覚えてます笑


でもね、この経験があったおかげで

私、めっちゃ強くなった笑い泣き

仕事も自分で基盤作らなきゃヤバいな、

って本気で感じたから、

日本に帰国後は日本飛び回ってました飛び出すハート

言葉も自分でなんとかしなきゃいけないって

誰かに頼る、みたいなマインドは

そもそも違うなっていうことも分かり不安


第二回目は濃くて、今の私を作ってくれた

貴重な時間だと今は思っていますにっこり


そこから年に一回は数ヶ月滞在してましたが

何があるのか、が分かってきたり

呼ばれた結婚式ってただ時間だけ使われる、

とかって思ってたものが

こうやって楽しんでいくんだなっていうのが

段々分かってきて笑い泣き

お洋服も、用意されたものじゃなくて

自分で選びにいく、お店も自分で選ぶ、

みたいにどんどん自主的に行動していって流れ星


そしたらね、もう楽しい楽しい!

不便ともお友達とはこのこと。笑い泣き




気付かせてくれたことは

いつでも自分次第、どう受け取って

どう行動して行くのか、

全部自分で決められるってこと飛び出すハート





私の家族たちが日本人である私の

考え方にとやかく言わず、

尊重してくれてることが大きいのはありますが

義母が言うのは


あなたが幸せだったら私たちも幸せ


って言ってくれるんです赤ちゃんぴえん

もう、ありがとうが止まらない不安愛


全然モヘンジョダーロ行ってくれないけど笑い泣き



今パキスタン生活を楽しめてるのは

いろいろ大変なこともあって

自分のなかで見つけたものがあったり

決めたものだったり、何かが吹っ切れたりと

いろんな経験が今の楽しいパキスタン生活を

支えてくれてるなあと

思って、書き残したくなりましたにっこり



すべては必要なこと昇天

それをどうしていくかは私たち次第ですねてへぺろキューン



ではまたまたバイバイ