「誰も見ていなくても、お天道様が見ている」
という教えは、子どもの頃よく言われました。
親とか、先生からではなく、ご近所のおじさんとかに言われたような記憶があります。
今、こんなこと言ってくれる人もいないし、言われたとしても、心に響かない子達が多いのかもしれませんね。
かつての日本は、誰でもがこういうことは当たり前の教えだったのだと思います。
今は、
善いことをするときは、誰かが見ているからとアピールするかのように行なうだけ。
誰も見てないなら、やるだけ損だと思う。
そーんな教育をしてますわね、世の中が。
でも、これからの時代は、本当のことが見える時代。
お天道様が見ているものが「本物」
きっと、人生で成幸するかどうかって、この「人が見ていない時」にどういう行いをするかにかかっているのではないでしょうか。
仏教の教えの中に
このようなことがあります。
布施というのは「布」分け隔てなく「施」ほどこすという意味です。つまり、見返りを期待しない(損得勘定のない)行いです。私たちの日常には、地位や財産がなくても心掛け一つで誰もが簡単に周囲に幸せを与えることができ、自分も幸せになれる方法「無財の七施」があります。
- 眼施(がんせ) 常に温かく優しい眼差しを施すこと
- 和顔施(わがんせ) いつもニコニコ笑顔で接すること
- 言辞施(ごんじせ) 優しく時には厳しく叱る愛情のこもった言葉
- 身施(しんせ) 自分の身体を使い奉仕すること
- 心施(しんせ) 心配り・気配り、思いやりの心を持ち、相手の立場になってみること
- 床座施(しょうざせ) 座席や場所、地位を譲ること
- 房舎施(ぼうしゃせ) 家や部屋を提供すること
また、こんな解説もみつけました。
一、眼施(慈眼施)
慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接することである。
二、和顔施(和顔悦色施)(わがんえつしきせ)
いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対することである。
三、愛語施(言辞施)
ものやさしい言葉を使うことである。しかし叱るときは厳しく、愛情こもった厳しさが必要である。思いやりのこもった態度と言葉を使うことを言うのである。
四、身施(捨身施)
自分の体で奉仕すること。模範的な行動を、身をもって実践することである。
人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行することである。
五、心施(心慮施)(しんりょせ)
自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、ともに悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみとして感じとれるようになることである。
六、壮座施(そうざせ)
わかり易く云えば、座席を譲(ゆず)ることである。疲れていても、電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。さらには、自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられること等。
七、房舎施(ぼうしゃせ)
雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨のかからないようにしてやること、思いやりの心を持ってすべての行動をすることである。
今日は、「和顔施」意識してみよう!