息子とてんかん主治医の受診に行ってきました。
8月に受けたオンラインセカンドオピニオンで東北大学病院の中里先生から「これからは息子くん本人が自分のてんかんという病気と向き合い、主治医と方針を決めていくことが大切」と言われていたので、今回から私は一歩引き息子と主治医メインの対話となりました。
そこで思ったこと。
なぜ私はもっと早くこうしなかったのか?という反省です。
息子が小学生の時にてんかんを発症し、なんとか良くなる方向をめざして今までやってきました。
しかし今思えば息子はそこに座って主治医に聞かれたときだけ返答するのみ。
薬の増減は私と主治医で決めてきました。
中学に入り息子の意見が出てきましたが、なんだかんだと私がそこに口出しをすることが多かった。
「息子をよくしたい」「少しでも発作を減らしたい」
そういう一念で「ね?息子もそうだよね?」と誘導すらしていたように思います。
「息子のために」と言いながら実は「自分が安心したかった」のだと今気づきました。
ガビーン。。。
これ不登校にも繋がっていて息子は必ずしも「高校行きたい!」と切望していたわけではありません。
中学時代に不登校だった同級生で今は通えている子たちは「自分で決めた学校」へ行っています。
私は息子が先天性弱視やてんかんの持病があり、これでは将来どうなる?せめて高校は卒業しとかないと大変だ!と「自分の心配」をあたかも息子の心配にすり替えていたのです。
「あなたが一番勉強しやすい環境にあるのは盲学校ですよ」と「私」が調べて行動して息子に決め「させた」のではないか?
息子が自分で「ここがいい!」という自己決定の前に私が親心という名の強制で指示してしまったのではないか?
そう考えると今、現在息子が不登校になっていることも納得できます。
今回の受診、息子は主治医と話し合っていました。
発作の現状と今後の治療方針について。
息子は今のところ外科的手術はしたくない、ということ。
ビデオ脳波検査やMRI検査ももうちょっと待ってほしい、ということ。
薬剤調整で様子をみたい、ということ。
私個人は「発作時のビデオ脳波で少しでも息子のてんかんの焦点がわかれば!」と思ってましたがどうやらまだその時期ではない様子。
結果、同じような働きをするテグレトールとビムパットを増減することになりました。
そうか
なぜ気づかなかったんだろう
息子は自分の人生を自分で決めて生きていく
「自立」が一番大切だと思いながら、その「自立」を阻害していたのは私じゃないか。
自分が握りしめていたものを開放しよう
てんかん治療も
高校生活も
息子が決めていけばいい。
なんて達観したことをいっているますが「いややっぱり、ちょっとよく考えようよ!」と口出ししたくなる私がいる笑
息子が今年で16歳
私もお母さん歴16歳
まだまだやな~。。