宝塚はとにかく華やかでゆめゆめしい世界。

でもそれは、「つくられたもの」だってみんな知ってる。


少なくとも人間の世界で15年か20年くらい生きた頃には、裏も表も100%「清く正しく美しく」なんてことはありえないということに気づく。

好きな果物はイチゴ、好きな花はかすみ草、そしてトイレには行かない。
…みたいに神格化されていた昔のアイドルと同じで、「清く正しく美しく」なんてみんな「そんなわけない」とわかっていても「そうでいてほしい」と思ってはいるし、タカラジェンヌもその期待に応える「フェアリー」を演じる。


宝塚は非現実の世界だから、観客を現実に引き戻してはいけない。
すみれコードってものもありますし。


コロナ騒動の始めの頃は、公演が中止になってもトップさんが挨拶で「新型コロナ」「感染症対策」みたいな言葉を発することはなくて、わかってはいてもなんだか不自然だなぁって感じた記憶があります。


とにかく現実的な言葉、ネガティブな言葉は言ってはいけない。

その姿勢が昨年の事件への対応にも悪い意味で表れていて、劇団は人が1人亡くなったことに対していつまでたっても他人事のようなコメントしか出さず、他組のトップさんも当たり障りないご挨拶しかせず(できず)、渦中の宙組生も何も発言しなかった(できなかった)。

まぁ…もし初日や千秋楽に他組のトップさんがあの事件に触れた発言をしたとしても、こちらもどういう反応をして良いのかわからないし、やっぱり触れずにいることしかできなかったかな…とは思う…





でも咲ちゃんはカテコご挨拶でギリッギリの発言をしてくれたと思っている。
オデッセイの時も、ドイルの時も。
かなり贔屓目。

宝塚としての夢の世界はギリギリ壊さない、でもタカラジェンヌとて現実を生きる1人の人間だということを、慎重に慎重に言葉を選んで訴えていたと思う。


そういう咲ちゃんの思いが、今回のコンサートのために作られた曲にも表れているような。

歌詞の中に、「心の中まで土足で踏まれた」「仕打ちの雨」という言葉があります。

平時のタカラヅカならこんなワードは出てこないと思ったし、野口先生(作詞)の手にかかればオブラートに包んだ何か別の言葉にすることもできたと思うのだけど、そこは咲ちゃんの思いをくみとった野口先生があえてこの言葉にしたのかな、なんて勝手に思いを巡らせています。
それでも無難というか、生々しい言葉をギリギリで避けた印象を私は受けましたが。



咲ちゃんはいつも、地に足がついてるなぁと私は感じます。

彩風咲奈という人の、ほんの一面を知ってるだけなんですけどねあせる





芸事の世界は生易しいものではない、常に努力し続けることが大事といえども、長くその世界にいて経験値が増えれば良くも悪くも力の抜きどころもわかるだろうし、昔ほど必死にならなくてもある程度のレベルに到達するスキルも身につくでしょう。
むしろそうでなければいけない。

そこからさらに自分を高めるために努力ができるかどうか…

10代の頃から夢の世界の住人を演じ続け、ファンも増え、黄色い声援が飛んでファンも下級生もみんな自分の前にひれ伏してくれる。
そんな浮世離れした世界でチヤホヤされる中、自分や自分の立場を客観視できる人ってどのくらいいるだろう。

ちなみに私は全く自信がありません真顔
お前のことは聞いてない。

チヤホヤされてなくてもダメ人間なのに、チヤホヤされたらますますダメ人間街道まっしぐらです滝汗

一生チヤホヤされる人生ならそれでも構わないのかもしれないけど滝汗