〇〇さん
その節には、母への遠隔ヒーリングをありがとうございました。
お礼とご報告が今となってしまいましたこと、どうぞお許しください。
○○さんのヒーリングでは、必要なこと、最善のことが起きる、と知っていましたが。。
当時のこと、詳しく話していませんでしたのでこちらに記します。
母がドクターヘリで搬送されたと連絡がきて、これほど心配なことはないのに、
弟から帰省を許されずいたため、私は気が気ではありませんでした。
状況もわからぬまま、ただただ無事を祈り信じ続ける日々。
4日目の朝、心配する従姉から
「 お母さんがヘリで運ばれたというのに、まだ東京に居るの~!
着の身着のままでいいがら早ぐ来せっ!
万が一のときは服でもなんでも貸してやっから 」との電話が入り
その言葉に強く背中を押されると、
下着一組だけバッグに入れ、急ぎ電車に飛び乗った私です。
あの日、全員がマスク状態の電車のなか
突然、携帯が鳴り
弟からのオンライン動画が届き。。
「(母が)危篤だから。
東京のあんたは来ても会えないから。これで(母と)面会しせ」と。。
コロナ禍、誰も言葉を発しない静かな電車のなかで、
動画の向こうから
瀕死の母に寄り添う妹の「お姉ちゃんだよっ、お母さんわがっかいっ」との
母に呼びかける泣き声が、響き渡りました。
私は声をかけることもできず、
しばらく凝視しましたが
とても堪えきれなかった。
気が付くとその動画をスクリーンショットして写真を撮り、
電車の中から無我夢中で
〇〇さんあて母のヒーリングをお願いしたい旨のメールを打っていたのでした。。
(あのときは、何かを祈る願うというより、ただた〇〇さんのヒーリングにゆだねたい!という気持ちでした)
2時間半後、幾つもの奇跡が起きました。
本来、東京からの来訪者など、医大へ入館することなど許されないはずが、
入口・玄関・守衛の厳戒態勢の関所を奇跡的にくぐりぬけることができ
なんとICUに入室することまでできたのです。
そして、母の身体にこの手で触れて言葉をかけることも、
何よりまだ温かい母に会うことができました。
間に合ったのです(涙)
もちろん意識はありませんでしたが、
電車のなかで見せられた動画の顔より穏やかになっていて、
顔色もよくなっていました。
長いこと会えぬままいた私を、母は待っていてくれたのでしょうか。
〇〇さんがその幸いを手助けしてくれたのでしょうか。
あとから聞いたことですが、母は心肺停止7分、
手術を2回
その際も心臓が何度も止まったそうです。
そんな状態にあったにも関わらず、私を待っていてくれたこと、
間に合うように導いてくださったこと、緊急事態宣言下に3度も会えたこと、
〇〇さんにはほんとうに感謝しかありません。
この、まるで奇跡のような対面を果たし、
3度目の面会をして医大をあとにすると・・・
母はそこから急変し、静かに息を引き取りました。
私は実家からすぐに引き返し、医大へと向かいました。
ICUに通されると
母の病室のモニターには0の数字が映し出され、
音と動きの消えた、ーの波形となっていました。
母の顔色は先ほどと一変。
温かみと血の気がない母の姿がそこにありました。
ドクターヘリで運ばれるほど
運ばれてもなお、
心臓が何度も止まり。
意識不明のまま、2度も身体を切り刻まれ
どれほど苦しんだことでしょう。。
搬送される前日
母は電話の最後に
弱弱しく「あんたが送ってくれた赤い布団があったがくて、いいね」
「もう切っがらない」と言うと、私との電話を切りました。
思えばそれが、母との最後の会話となりました。
布団の交換にさえ、行ってあげられなかった。
もう夏だけど、私が送った冬布団が暖かいと思うほど
身体は冷たくなっていたんだね。。
とにかく
母を助けてあげられなかったこと
無念で、無念でなりませんでした。
代わる代わる家族でお別れをしたあと、
弟と私の2人で、
ドクターと一緒に母の死亡確認をしました。
これが母の人生の終焉でした。
〇〇さん、母の最期に間に合わせてくださり、
私を母にあわせてくれて、母を楽にしてくれて
ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。
大変遅くなりましたが、お礼方々メッセージさせていただきました。
