3連休。
すごく悩んで、名古屋に帰ることにした。

余震が続いていて、会社にいても、船の中にいるみたい。
何をしていても、揺れにびくびくする。
原発はこれからどうなってしまうのか。

「ここにいたくない」という気持ちがどんどん大きくなって、コントロールできなくなってしまった。


夫はずっと、帰れるなら帰った方がいいと言ってくれていた。

でも、帰ると決めたら決めたで、
名古屋に帰れば落ち着くのか、
今の生活とのギャップに戸惑うだけなんじゃないか、
夫だって怖い思いをしてる、
不安は同じなのに、自分だけ逃げてもいいのか、
そんな気持ちで胸がいっぱいになって、
しばらく夫を抱きしめた。

冷静になろう。

いつにもまして帰省の準備は進まなかった。
頭が働かない。


東京に向かうバスに乗る。
高速道路は比較的空いていた。
バスの乗客は皆大荷物で、明らかに「避難」の様子だった。

東京駅でもリュックをしょって、「避難」だろうという人を何人も見かけた。

すぐに新幹線のチケットをとった。


名古屋駅に着く直前、新幹線の中から名古屋の街並みを見て、
ここであの地震が起こったら・・・そんなことを考えた。
容易に想像できてしまう自分がいて、少し怖くなった。

想像していたように、名古屋は何の変化もないように感じた。
おしゃれをした女の子たちが笑って話をしている光景が、
私にとっては非日常的だった。


地元の駅にお母さんが迎えに来てくれた。
笑ってもいいのかな、泣いてハグかな・・・


帰ってきて何をするわけでもない。
何ができるわけでもない。
少し冷静になれればいいなと思う。
朝起きて、ニュースを見た。

福島原発で爆発が起こったというニュース。

ふと、「このままここにいていいのか」という不安でいっぱいになった。

名古屋に帰った方がいいんじゃないか。

会社に行く直前まで迷ったけど、判断ができずにいた。
出社する研修生もいる。
帰るにしても交通手段があるのかわからない。
いったん会社に行こう。

会社に行くと、上司の態度は地震が起きる前と変わらなかった。
少し冷たいと感じてしまうくらい。

平静を保とうとしているのだろうか。

余震が続くオフィスで淡々と仕事の話を進める。

危機管理に不安を感じる。

仕事だからしょうがないのかな?

テレビもない、ラジオもない、情報に取り残されたオフィス。
ときおりPCや携帯のワンセグで情報を得ているだけ。

原発の放射能漏れで、那珂市に屋内退避のアナウンスがあったと研修生から連絡が入った。

上司は相変わらずだった。
「大丈夫、大丈夫」
根拠のない「大丈夫」は心に響かないどころか、不安を増幅させた。

ニュースでも大丈夫って言ってるけど、
「逃げてください」なんて言われてから逃げて間に合うのだろうか。
何を信じて行動したらいいのだろう。


夜、会社に夫を迎えに行った。

駐車場でガソリン節約のためにエンジンを切って待った。

ふと、隣の車が目に入った。
人の乗っていない車。
人気のない静かな駐車場。

一瞬の出来事だった。

自分の車の隣でバウンドしている車の映像が蘇った。
これがフラッシュバックなのかな。

涙が出てきた。

自分でもびっくりした。

地震の翌日からも車に乗って移動したし、車に乗ることに何の抵抗もなかった。
こんなところで、恐怖を感じるとは思わなかった。


視覚、聴覚、体感覚・・・体で感じるいろんな情報が、整理できずにいる。
自分の中の感情も。
8時に会社に出社した。
バスが運行しているという情報はあったけど、
本数がわからなかったので自転車で行った。

当たり前だけど、エレベーターはとまっている。
階段も、壁にひびが入っているし、塗装がはがれて床に落ちている。

事務所に入ると、キャビネットが倒れて物が散乱していた。

期間限定の事業だから、一般的なオフィスに比べて物が少ない。
片付けは午前中で終わった。

久しぶりに仲間と話す。

みんな落ち着かない。

アドレナリンが大放出されている感じ。
頭はやたら覚醒していて、普通じゃないって自分でもわかる。

昨日に引き続き研修生の安否確認と企業さんへ連絡をする。
自分の担当している研修生・ご家族はみな無事だった。

これから、何をしたらいいんだろう。

地震が起こる前と、何も変わらず仕事をすることが不自然でならなかった。
朝起きて、今日やることを確認する。

いつまでこの状況が続くのか。
検討がつかない。
物資は足りるのか。
何をどの位備えておけばいいのか。
計画停電があるのか。


今日もスーパーの列に並ぶ。
まだ建物の中には入れない。
外で、物を購入するために順番を待つ。
前に並んでいたおばあちゃんと話す。

妊婦さん。赤ちゃんや小さな子供のいる家族。ご老人。病気をかかえてる人。

いろんな人がいる。
それぞれの大変さを想像する。


帰る場所があるというだけで、とても幸せなことなんだ。


会社の上司と連絡がとれるようになった。

明日から出社とのことだった。

会社が入ってる建物は安全なのか?
いろんな不安はあったけど、今自分にできることがわからなくて、
とりあえず出社しようと思った。


今日も余震は続いている。

揺れには少し慣れてきてしまったけど、
からだは反応する。
緊急地震速報が流れる度に、ぎゅっと手に力が入る。

もう揺れないで。
朝起きて、一応電気のボタンを押してみた。
まだつかないよね・・・

「今日も仕事に行かないといけないから」夫にそう言われた。

私は何をしたらいい?

とりあえず、食料と水を確保しないと。生きていかないと。

たまたま前日に買って残っていたパンを食べて、近くのスーパーに自転車で向かった。
うちの近くの一軒屋のお母さんが、3歳くらいのお子さんを傍らに家の片付けをしていた。
「地震大丈夫でしたか?」と声を掛けた。
避難所のこと、食料のこと、どうしますか?という話をした。

こんなときだから、人と話すことはとても意味がある。
話すことで、ほっとする。
1人じゃないんだ。
情報交換もできるし、何より力を分け合える気がする。

スーパーでは配給が始まっていた。
よくわからなかったけど、ひとまず列に並んだ。
後ろにいたギャルの女の子が話し掛けて来てくれた。
「大丈夫でしたか?」
こんな状態でも、私たちはまず人の心配からするんだね。

列に並んでいる間ずっと話していたから、時間を長く感じなくてすんだ。
2人で協力して、野菜や果物、お茶、少し解凍されてしまったお魚まで無料で手に入れることができた。

残念ながらそこで水を手に入れることはできなかった。
「近くの小学校の水道が使えるみたい」
並んでいる間にそんな情報が入ってきた。
家にある、ありとあらゆる空きペットボトルをもって学校に向かった。
水道には何人か人が並んでいたけど、すぐに水を汲むことができた。

一旦家に帰って、お昼ごはんにさっき配給でもらったバナナと家にあったお菓子を食べた。

家に居ても落ち着かなくて、再度ペットボトルの水や食料を探しに外出した。
3時間くらい並んで、買えたのはカップラーメン3つ。
それもガスか電気が回復しないと食べられない。
それでも、ないよりは・・・と購入した。
列の途中でお店の厚意で配られた1人1本のウィンナーがめちゃくちゃおいしかった。

公衆電話が無料で使えるということなので、
自分の家と、夫の家、会社の上司に電話した。

「知らない土地で1人でよくがんばったね。」
お母さんはそう言って、声が聞けてようやくほっとできたと、電話の向こうで泣いていた。
私もお母さんの声を聞いて、自分の状況を再認識した。
懐かしくて温かい声を聞いて、張り詰めていたものが溢れ出た。
でもね、私は1人だって感じてはいなかったよ。

電気がないから、テレビは見えないし、ラジオの情報が全て。
もっと被害の大きい地域があるんだとわかってはいたけど、実感がなかった。
映像を目の当りにしたお母さんやお父さんの心配は、計り知れなかったと今は思う。
もっと早く電話してあげればよかったな。

信号のない道路。
歩行者が横断歩道でたっていると、車は自然にとまって、道を譲ってくれる。
信号がない方が、人は優しくいられるのかな。

文明は、人に便利をもたらしたかわりに、思いやりを忘れさせてしまったのかな。

電気があることが当たり前の世界。
電気がないと何もできない世界。

何かが違うって、感じた。


自転車で街の中を走った。
道路は陥没しているし、建物も窓ガラスが割れたり、壁が崩れたりしていた。
会社も、エントランスのガラスが割れていて、この状態でみんなが避難したんだと思うと、
誰にもケガがなかったことの方が不思議だった。


夕方になって、
ガスと電気が復旧した。
家に明かりがつく。
それだけで、すごくほっとする。

ようやく携帯が充電できた。

みんなからの膨大な量の心配メールを見て、
胸がいっぱいになった。

本当に本当にありがとう。