キャリアカウンセラーひだりです。
熊本地震、千葉の大雨で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い日常の回復と、皆様のご安全を心よりお祈り申し上げます。
私は石川県在住で、2024年の元旦の能登地震を経験しました。
被災した能登の方々にとって、「日常の回復」がいかに大変なことか、
仕事を通して痛感した出来事があります。
「わたしにもここでできる仕事ありますか」
当時私は人材派遣会社で勤めていて、業界団体が運営する
「被災者向け就職相談会」にお手伝いに行ったことが何度かあります。
金沢市内の体育館に設けられた避難所の一角で、
「能登の家の片づけに行く必要があるから、週2日ほどで働きたい」
というご相談がありました。
派遣法では週20時間未満のいわゆる「日雇い派遣」を紹介するには、年齢や年収などの厳しい条件があります。
派遣では何もご紹介できませんでした。
金沢市役所の中で開催したとき(地震から半年が経過していた頃でした)、
おそらく60~70代くらいの女性3名が私の相談ブースに来られました。
能登から金沢に避難してきて、当時は避難所として指定されたアパートで暮らしていました。
「わたしは、震災前は介護の仕事をしとったんですよ」
「わたしは店で働いとったけど、営業再開のめどが立たなくて」
「畑で野菜を作って、売ったりしてたんですよ」
おそらく同じ出身地の、仲良し姉妹のような3人が口々に言います。
「私たちは働いていたんです。ここで私にできる仕事はありますか」
残念ながら、私にその時紹介できる仕事はありませんでした。
「働く」という日常も奪われる
あの女性たちは、おそらく、能登で何十年と生きて、コミュニティの中で長い時間をかけて、
自分の仕事を見つけて、高齢になってもできるサイズにカスタマイズしながら、仕事を続けてこられたのでしょう。
そして、それは「長く続けていたから」「その土地だったから」できていた仕事。
「日常」として培われてきた営みでした。
地震は、家や土地を奪っただけではなく、その人たちの「働く」という日常をも奪ったのです。
若く見えるのですが(年齢を伺って、とても驚いた記憶があります)
もう彼女たちはシニアといわれる年齢。
見知らぬ土地で、スマホでポチっとして、
全く新しい環境で、新しい仕事に就く、ということは
かなり難しいことなのではないだろうか…。
地震によって奪われた「働く」という日常の重みを実感して、
私は言葉を失っていました。
それでも働こう、という気持ちに寄り添いたい
救われたのが、彼女たちがとても明るくパワフルだったこと。
「なんでもいいんですよ、私にできることなら」
柔軟に、状況に適応しようとしている姿にも感銘を受けましたし、
やはり「働く」ということが、誇りや生きがいにつながるんだなぁと実感しました。
危機を乗り越えて、「働こう」と思えるまでの気力を取り戻すまでは、かなりのパワーが必要だったと思います。
その気持ちにしっかり寄り添って、サポートしたいと思いました。
熊本地震から間もなく1か月。
水や食料、寝る場所の確保が落ち着いてきて、次のフェーズとして「働く」ことへの支援が重要になってくる時期です。
現地のハローワークや人材関連業の皆さんをはじめ、「働く」を支援する方々もこれからが正念場だと思います。何か私にできることがないか、考えていきたいと思います。
