『こどもこそミライ』を観た後、劇場1階のロビーへ下りる。mixiのマイミク・紅藤マイトさんに買っておいた『東京ナイト』のチケットを渡す。ロビー奥にいたSNSのお友達・象限さんに久々にご挨拶。近ごろ仕事が忙しそうだ。


暫くしてから、mixiのマイミク・酒盛ススムさんがやって来た。和泉雅子さんからサインを戴く為の色紙を買いに行かれていたそう。


午後1時から上映開始。当然ながら、補助席が出るほどの大入り。



『東京ナイト』(1967/日活/80分)

京都の舞妓・小はな(和泉雅子)は、実家である祇園の「菊の家」を継ぐのが嫌で、運送トラックに秘かに乗り込んで家出してしまう。

やがて東京に着いた小はなは、運送会社の若旦那で大学生の健(山内賢)が、自分のバンドの歌手である美知子が交通事故で入院し、テレビで次週開催されるバンド対抗戦のために歌手を探しているのを知り、自らそれを買って出た。

そんな小はなだが、実は東京へ来たのには目的があった。それは、自分と同じように水商売の家を継ぐのを嫌って、駆落ちして上京した姉の雪枝を探すことだった…。

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とにかく和泉雅子さんが可愛い!映画のタイトルにもなっている主題歌『東京ナイト』は名曲です!!

和泉雅子&山内賢『東京ナイト』

酒盛さん、劇中でこの曲が流れる度ノリノリで聴き入っていたよ。



終映後、和泉雅子さんによるトークショーを拝聴。聞き手はお馴染み娯楽映画研究家の佐藤利明さん


佐藤「私と和泉さんは今、劇場の出入口の外にいたんですが、和泉さん聞きました?映画が終わった瞬間に拍手が起こりましたよ!」

和泉「本当?気付かなかった。こんなオバサンが出てきて皆さんごめんなさいね、夢壊して!(笑)」

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和泉さんは勉強がとにかく苦手だったそうで、成績表には1と2が並んで「行進」と呼ばれる始末。役者になれば学校を休めると考え、劇団若草に入団したのが最初。

14歳の時にスカウトされて日活へ入社したのだが、最初は上層部からNGが出たそうである(日活は女優の採用は16歳からと決まっている為)。ところが内緒で映画に出演、あとで完成した作品を見た上層部から「あれは誰だ?すぐに契約しろ!」と言われたそうだ。

当時は新人だったにもかかわらず、蔵原惟繕監督や中平康監督を相手に大きな態度で物怖じしなかったという和泉さん。叩かれた時「痛ェな!」と殴り返したそう(笑)

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佐藤「そういえばこの前、吉永小百合さんとご一緒した時に和泉さんのことを伺ったら「弟みたい」と仰っておられましたよ!(笑)」

和泉「そう、弟よ。だって私、小百合ちゃんの為に切手を買ってあげてたんだもん。当時はそんなにお小遣い持ってなかったのに、銀座の切手屋さんで小百合ちゃんの分まで買ってあげたんだから。」


江戸っ子の和泉さん、会話の節々で単語の「し」が「ひ」になってしまい、その度佐藤さんが訂正。

とにかく和泉さんのトークは面白く、そしてパワフルでした!そりゃ北極点に行っちゃうハズだよ。

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トークショー終了後、ロビーで和泉さんからサインを戴きました!

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ちなみにロビーで、約半年ぶりにmixiのマイミクO.K.KEN?さんに遭遇。おけけんさんは和泉さんとツーショットを撮ってました。相変わらずちゃっかりしてるぜ!(笑)


和泉雅子さん&佐藤利明さん、楽しいトークショーをありがとうございました!次回はトークのみで2時間イベントをお願いします!

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