「私は目にみえるもの以外は信じません」

「スピリチュアル的なものは信じない」

「占いなんて当たらない」

「科学が全て」

 

 

 

このようなポリシーで日常生活を送っている人は多い。

 

 

 

 

僕も別にスピリチュアル信者ではないが、👻とかは割と信じている方だ。

 

 

 

 

 

というかむしろ、こういうものを全く信じないと豪語している人(以降非スピ)に聞いてみたいのだが、非スピさん達は初詣や神社でのお参りの際に一体何を考えているのかということ。

 

 

 

 

 

そもそも目に見えないものや神様的なものを信じていないのであればお参りなんかに行く意味は全くない。なぜゴツい木像建築物の前で手を合わせるだけの行為に10円も取られなくてはいけないのか。

 

 

 

 

 

また、非スピにとってはお葬式や墓参りも何の意味もないものだ。死んだらそれで終わり、遺体なんてのはただの死んだ有機物の塊でしかないのだから、その辺に転がしておいて自然に腐らせ、見るも無惨な姿にしても別に構わないはずだ。

それでは街の景観が台無しになると言うなら、燃えるゴミにでも入れて出せばいい。

なんで死んだ人のために何十万も使って葬式を執り行う必要があるのか。もう「意識」というものがないのだから、葬式を取り行ったところで誰のためにもならない。

その人が生前大事にしていたものを棺桶に入れる意味なんてない。メルカリにでも出品した方がよっぽどマシだ。

住職の長ったらしい話なんてあくびが出るし、そもそも言っていることは全て嘘だ。

 

 

 

 

墓参りなんてのは愚の骨頂であり、過去に死んだ人間の遺骨に手を合わせたところで何の意味もないし、そのためにわざわざお金を払って花を買う意味もないはずだ。

存在しない人間に対してお金を使うマヌケがどこにいるというのか。

 

 

 

 

 

 

逆に、非スピでありかつ上記のことを実践している人(以降ガチ非スピ)には、僕はむしろ尊敬の念を抱く。

 

 

 

 

 

なぜなら自分の信念に対して行動がしっかり伴っているからであり、ガチ非スピの行動と言動には微塵の矛盾もない。

 

 

 

 

 

しかしながら、非スピであるにも関わらず神社に行けば当然のようにお参りをするような人は、めちゃくちゃな自己矛盾を抱えていながらそれに全く気づいていないという観点で見ると相当なアホなのだろう。

 

 

 

 

 

先にも書いたが、お参り中目を瞑って手を合わせているときに一体何を考えているのか割とマジで気になる。

まさかとは思うが、「今年も健康に過ごせますように」などと祈っているわけではあるまい。神様なんていないのだから、ただ頭の中で独り言を言ったくらいで何が変わるのか。というか10円返せ。

 

 

 

 

 

そもそも目に見えるものしか信じないのであれば赤外線や紫外線も信じていないのかという揚げ足取りもできそうだが、まあこれらはやろうと思えば可視化できるためこれ以上は触れない。

 

 

 

 

 

 

このように日本人の行動を観察してみると、本当に「目に見えないものは信じない」ガチ非スピなんてのは多分存在しない。口ではそう言っておきながら、結局のところお参りだってするし、手を合わせているときには頭の中で神様にお願いしているはずだ。

 

 

 

 

 

 

そもそも日本中ガチ非スピだらけだったら神社や葬儀屋はとうに経営破綻している。

 

 

 

 

 

もちろん巷の占いには胡散臭いものだってたくさんあるし、意味不明な陰謀論じみたことを平気で信じている人だっている。それはそれでどうかと思うが、非スピであるにも関わらず平気でお参りに行くのもまたどうかと思う。