最近またSNSにバズり目的でイタズラ動画を載せ、炎上した事件があった。

 

 

 

スシローやはま寿司といった回転寿司チェーンで、人が注文した寿司にわさびを勝手に載せたり、ポテトをつまみ食いしたり、除菌スプレーを吹きかけたりとやりたい放題の客が晒されていた。

 

 

 

 

世間はこれに激怒し、「こんなことするなんて許せない」「よく平気でこんなことできるな」「親はどんな育て方をしたんだ」と正義感を振り翳して怒り狂っている人をSNS上で何人も見た。

 

 

 

悪を許さないヒーローさながらに、ルールを守らない悪に正義の鉄槌を下そうと必死になっていた。

 

 

 

それにとどまらず、芸能人や有名人も「いい人アピール」をしたいのか分からないがSNSでこの件に対して怒りをぶつけていた。

 

 

 

 

 

今回の件に限らず、一般人のSNSでの炎上や迷惑行為、芸能人の不倫その他諸々小さな事件が起こるたびに思うことがある。

 

 

 

 

こんな些細なことで正義感から怒りが湧くのであれば、凶悪犯罪や戦争のニュースを見たら怒りで憤死してしまうのでは?

 

 

 

だが不思議なことに、スシロー事件に怒り狂ってる人は、ロシアのウクライナ侵攻や凶悪犯罪に関してはあまり怒りを抱かないようだ。

 

 

 

 

陳腐な表現だが、それぞれの出来事の「悪さ」の程度で言えば、回転寿司屋でイタズラすることと、他国に侵攻してミサイルぶっ放しまくること、どちらの方が悪いかと言えば100:0で後者だろう。

 

 

 

 

ロシアの件でなくとも、例えば強盗事件や凶悪犯罪が起きても、その犯人に対して正義感から怒っている人を僕は一人も見たことがない。

 

 

 

回転寿司でのイタズラと、凶悪犯罪。

悪さの度合いが高いのは圧倒的に後者。

前者には正義感から怒りが湧き、後者に対しては特に何も思わない。

 

 

 

 

なぜなんだろうか。合理的に考えれば、正義感から怒りが湧く場合、「より悪」なものに対して「より怒り」が湧かなければ筋が通らない。

 

 

 

この点を指摘すると「いや、ロシアや凶悪犯罪は自分には関係のないことだから」と言い逃れするのだが、スシロー事件だって、芸能人の不倫だって言わば当事者以外は関係のないことだ。

 

ここで言う当事者とは、スシロー事件の場合企業、寿司を注文した客、イタズラした本人だ。

芸能人の不倫の場合は不倫をした人、された人、芸能事務所くらいだろう。

 

 

 

 

 

そもそも正義感から怒っている人間が「自分と関係のない悪」に対しては怒りが湧かないと言うのもどうかと思うし、もうここまで読んでくださった方は察しがついていると思うが、彼らは正義感から怒っているわけではない。

 

 

 

 

 

今回の件で怒っている人の言動を拝見した上で僕が一つ見つけたのは、彼らから共通して「羨ましい、ずるい」という感情が滲み出ていること。

 

 

 

何が羨ましいのかというと、イタズラをしても咎められていない状況。

 

 

 

真っ当に育てられた人は子供の頃、イタズラをするたびに親や教師からこっぴどく叱られてきた。

本当はやってみたいと思うことであっても、「こんなことしたら怒られるからやめておこう」と自分を律して、それができる人が「大人」だと教えられてきた。

 

 

 

だから自分は普段の生活でもそれを実践するし、ある意味それを誇りに思うこともあるだろう。

 

 

 

しかし周りを見渡すと、自分がやったら絶対に怒られるであろう、もしくは怒られたことがある行動を平気で実行してる奴がいるではないか。

 

 

 

しかももっと酷いことに、彼らは誰からも咎められていない。警察に逮捕されたわけでもなければ、店の人のこっぴどく叱られたわけでもない。まして親に怒られているわけでもない。

 

 

 

 

「自分はイタズラするたびに人から叱られてきた。なのになんであいつは怒られてないんだ?」

と、自分が知っている現実と目の前の現状の不一致から、脳内でアラートが鳴り始める。

 

 

 

それを是正するために、自分が怒る必要がある。それに、他者にも同調してもらってみんなで圧力をかけてあいつを叱る必要だってある。

 

 

あいつが誰にも捌かれないなら、せめて自分達が鉄槌を食らわせてやる。今まで親や教師にされてきたように。

 

 

 

 

よく子供が「お前そんなことやったら絶対先生に怒られるよ!」と同級生を注意したり、「お前のイタズラ先生に言いつけてやる!」と正義漢ぶって教員にチクる子は多い。

 

 

 

僕の小学校でも、自分だってイタズラ魔なくせに他人がイタズラをしている時は嬉々としてチクリに行く奴を何人も見てきた。

 

 

 

これは子供が「友達の教育のためだ」もしくは「正義感から許せない」などと思っているわけではもちろんなく、自分が同じようなことをやってこっぴどく叱られた、もしくは叱られるだろうと分かっているのに、友達は平気で逃げ仰るという構図が不公平に感じるだけだ。

 

 

 

スシロー事件も原理はこれと全く同じだ。

 

 

 

 

実際、世の中で炎上する事件、つまり正義漢が正義を振り翳して怒り狂う事件というのはどれも、法律で捌けるか微妙なグレーゾーンの事案である場合がほとんど。

 

 

 

これで、正義漢が凶悪犯罪には怒らない理由も説明できる。凶悪犯は警察組織が必ず逮捕に動いてくれるため、自分たちが声を大にしてチクらなくてもいいと判断しているのだろう。

 

 

 

このような視点で今一度SNSを観察すると、いかに多くの人が、羨望から来る怒りを正義にすり替えているのかがよくわかる。