「マスゴミ」
「メディアは信用できない」
「ニュースは悲観的なことばかりで見る気にならない」
など、メディアに対してあまり好印象を抱いていない人は多い。
あからさまな印象操作や偏った報道ばかりするメディアを好きになる方が難しいが、僕がメディアに対していつも感じることは、
なぜ一度報道したニュースが「その後どうなったか」を後日報道しないのかということだ。
例えば2021年12月頃、じゃがいも不足によりマクドナルドのポテトがSサイズしか提供されておらず、さらにスーパーのじゃがいもの値段が倍近くに跳ね上がり・・・といった報道をどのテレビ局も連日行っていた。
1ヶ月も経てばメディアは別のニュースに興味が移っていたが、そのタイミングでいつも感じるのは、「え、結局ポテトはどうなったの?」という疑問。
調べてみると、2022年1月にもまたじゃがいも不足が再来したが、2月以降は元に戻っていたらしい。
メディアは基本的に、散々視聴者をビビらせておきながらその結末は一切報道しない。
このように自分で結末を調べないままでいると、メディアの悲観的な報道内容ばかりが頭に蓄積され、「世界は混沌としていてヤバイことが次々起こり、それがずっと持続している。なんでこうも世の中は悪いニュースばかりで溢れかえっているのだろう」と思考がどんどん悲観的になっていく。
その原因は、メディアがニュースの「その後」を世に報道することをサボっているからだ。だから、じゃがいも不足はとうに解決しているにも関わらず、じゃがいもが不足しているという古い情報だけが頭の片隅に残り続ける。
さらに2022年5月、今度は玉ねぎが高騰しそれをメディアが報道し始めると、「給料は変わっていないのに食料がどんどん高騰していく・・自分の生活はどうなってしまうのか」と絶望に浸ることになる。
だが忘れないでいただきたいのは、じゃがいもの値段はこの頃とっくに元の水準に戻っていたということだ。
実際玉ねぎの価格も6月中旬以降にはすっかり元に戻っていたが、案の定メディアはそれを報道しない。
今度はガソリン価格について騒ぎ立てていた。
皆さんの中にも、「ちょっと前にメディアが騒いでたあの話題、結局どうなったの??」と思うことは多々あるだろう。
もちろん、ニュースの内容を全て覚えている人はいない。時間が経てばどのような内容だったかは忘れるかもしれないが、それが解決したことを知らないと、漠然とした不安感だけがずーーーっと頭に残る。
「どんなニュースだったかは忘れたが、何か良くないことが起こっていたことは覚えている・・」
メディアというのは、ニュースを世の中に届けることではなく、人の恐怖本能を刺激してお金儲けをすることを目的としている。
なぜそんな悪魔みたいなことをしているのか?
それは結局、スポンサー企業の商品を買わせるためだ。
キャスター「世の中の情報格差が広がっています。情報を持つ者と持たざる者とでは、生涯収入に決定的な差が出ます」
数秒後
CM「〇〇ニュースアプリをダウンロードするだけで、世界の情報が手のひらの中に!!デキる大人は使ってる、〇〇ニュース!!」
数秒前までメディアの悲観的なニュースを頭にぶち込まれていた視聴者は、その後すぐに映ったニュースアプリのCMを見て、速攻ダウンロードする。
メディアとスポンサー企業の素晴らしいコンビネーションにより、視聴者はまんまと策にはめられる。
「あのテレビ局に広告を出せば売り上げが伸びる」と企業の間で噂が広まれば、テレビ局はもうウハウハだ。
だからメディアは、一度報道したニュースの結末(特にハッピーエンドパターン)には一切興味を示さない。
そんなニュースばかり報道していたら視聴者の恐怖本能を刺激できず、スポンサー企業の商品の売り上げに貢献できないからだ。
悪いニュースは報道して、それが改善したことは報道しないというように、世界のありのままの姿を伝えようとせず報道する情報を選別している時点で、少なくともメディアに「情報を世の中に伝えたい」という思いはほぼないことは明白だ。
『FACT FULNESS』というベストセラーの著書にも書いてあったように、人々は世界が以前と比べてより良くなっていることを認識していない。
著書の中には、その原因はメディアにある「かも」しれないとメディアを直接批判するような記述は避けていたが、僕に言わせれば、悪いことが起きても後日事態が改善したことは一切報道しないメディアに責任があるように思えてならない。