世の中には、「お金儲けは悪いこと」という考えを持っている人間が一定数いる。

 

 

 

 

「悪いこと」とまではいかなくても、お金をたくさん儲けている人や団体に対して文句を言う人は結構多いが、僕は逆にこういった「お金儲け批判」の考えを持っている人こそが悪人なのでは?と思うことがある。

 

 

 

 

 

正当な方法でお金儲けをした場合、そこには必ず喜んでくれている誰かが存在する。

 

 

 

 

 

例えば何かモノを作って売り大金を儲けた場合、そこには「こんな便利なものを手に入れられて嬉しい!」「こういうのが欲しかったんだよ!」と、それを作って売ったことに対して感謝の念を抱いている人がいる。

 

 

 

 

 

YouTuberでも、彼らが作った動画で元気になっている人、楽しい気分になっている人が大勢いる。そんなクリエイターの動画に広告を出すことで、企業は商品を買ってもらえる。従ってYouTuberが得るお金は、広告主が「広告をつけさせてくれてありがとう」といった感謝に対する対価だ。

 

 

 

 

 

ディズニーランドはテーマパークのサービスを提供することで「こんな楽しい時間を過ごさせてもらってありがとう」とお客が喜ぶ。

 

 

 

 

 

金融業だって、お金を借りて事業を起こしたいと思っている人にお金を貸すことで、借り手は「お金を貸してくれたおかげで事業ができる!ありがとう!」と思っている。

 

 

 

 

 

Amazonがあれだけの資本を持った大企業になれたのは、Amazonの便利なサービスに対して喜んでいる人が大勢いるということだ。

 

 

 

 

 

 

つまりお金とは、誰かを喜ばせた対価として得られるものであり、お金儲けとは誰かを喜ばせることだ。

 

 

 

 

誰かが喜べば喜ぶほど、その人には対価としてお金がたくさん入ってくる。

 

 

 

 

 

「お金儲け=誰かが喜んでいる」という式を頭に入れた上でお金儲け批判論者の主張を考えてみよう。

お金儲けを批判するということは、「お前はこれ以上誰かを喜ばせるな!」と言っているのとなんら変わらない。

 

 

 

 

 

 

誰かを喜ばせた対価としてお金を得ている人と、そんな人を見て「人を喜ばせることは悪だ」と怒鳴る人。

 

客観的に見れば、一体どちらが本当の悪人なのかは一目瞭然だ。

 

 

 

 

 

お金儲け批判論者は、お金儲け=誰かの喜びという感覚が完全に抜け落ちている。

お金儲け=嫌なことを1ヶ月我慢したら褒美としてもらえるものとでも思っているから、沢山お金儲けをしている人を見ると何か不正をしているという感覚になるのだろう。

 

 

 

 

もちろん、詐欺をして誰かからお金を騙し取っている場合は話は別だ。

もしくは法律違反を犯してお金儲けをした場合はれっきとしたズルであるため、それは批判されてもしょうがないし、むしろ批判すべきだろう。

 

 

 

だが正当な方法でお金儲けをしている場合は必ずその分だけ誰かが喜んでいる。

だからお金儲けを妨げようとする人は「人を喜ばせたくない、人の喜びが見たくない」と極悪人の資質を持ったヤバい奴というレッテルを貼られても仕方ないと思う。