当たり前だが今年もこの日が来た…ふと去年の投稿を読み返してみる。毎年、必ず感傷的になる日。


今日は戦友の誕生日。

…生きていてくれたならば、47回目の。

中々の暴れん坊だった彼に、俺も別の御仁に以前、そうしてもらった様に、礼節や博愛や押忍の精神を身を以て示し、背中で語った。

『力有る者が傍若無人に振舞ってたら、それは強者じゃなく只の荒くれ者だよ』

時と共に互いを理解し合い、慕ってくれ、いつしか同志になった。

警察沙汰になる程の怪物ストーカー相手に、共通の知人女性が絡まれた時、二人で防波堤になった。

「仲間は絶対に守る❗️」彼の意気込みだった。

知ってる人も多いと思うが、当時、ジムの経営難による移籍や怪我に翻弄されつつも、俺は打撃格闘技に勤しんでいた。身に余る程の期待もされていたし、その道に賭けていた。

だが、同期の試合での事故を巡り、移籍先の会長と確執が生じた。到底許せなかった…周囲の説得にも耳を傾けられない程の決定的な深さの溝だった。

その状況下、かなり紛糾した俺の引退にも彼だけは理解を示してくれた。俺は皆と共に築き上げたモノを彼に託した。

今から数年前、離婚して日頃は会えないと語ってた愛娘の成人式を楽しみにしていた夏の在りし日に、照りつける灼熱の太陽の下で……彼は突然この世から消えて無くなった…。

遺された愛娘からの便りで彼の訃報を知った日、俺は任された地下の店舗で、酔客の後始末をしつつ、無常の切なさを痛い程感じていた…。

その少し前、俺自身も随分追い込まれてた時期に、生前の彼からの甘えた依頼を「それくらい、自分でやってくれ」と無下に断ってしまった際、年長の彼には珍しく駄々を捏ねる素振りをした事があった。

今思えば、自らの命の限りを知っていたが故の我儘だったのだろう…。

正に後悔先に立たずだ…今でも偶にもう一踏ん張りして応えてやれば良かったと思う。

あの日、深夜に雑巾で酔客の汚物を拭きながら、彼との思い出に想いを馳せつつ「こんな日に俺は一体何をやってんだろう…?」と、やりきれない気持ちが次から次へと込み上げてきたのを、今も尚、鮮明に覚えている。

帰宅後、俺は少し涙を滲ませながら、好きでもないのに、コンビニで買った酒を呑んだ。

無類の酒好きだった彼に献杯する為に。

そして今、彼の享年を超え、自らも死線を彷徨った胸に去来する想いは…

“徒然なるままでも、生きていてこそ”だ。

まだまだ答えを導き出すには苦労が足りない若輩者な気もするが…多分、正解だと思う。

-R.I.P なずやん、そして誕生日おめでとう-

JUJU『やさしさで溢れるように』
https://youtu.be/jIl8_jMMULs


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