18日夜
避難所の体育館に時間制限はありますが電気が復旧しました!!
電気がついた瞬間拍手喝采で嬉しくてみんなで泣きました。
全国で節電したから予定より早く復旧したそうで本当に本当に嬉しかったです。優しさが伝わりました。
被災地に到着した日は雪が降り積もっていて現地の人が「こんなときに雪が降って神も仏もいなくなったな」とつぶやいていたけど
神も仏もいない今、優しい気持ちの生きてる人間がたくさんいるよ!!とちょっと胸をはれたような気がします。
でも本当に大変なのはこれからです。これからも全国の優しい気持ちが広がることを願います。
ガスや灯油が届かなくて寒いのは変わらなかったけど、夜に電気が灯っているだけでなんだかあったかくなった気分でした。
18日午後、震災が起きた時間14:46には手を止めて黙祷をしました。サイレンが鳴り響いて、現地の人たちの涙を見て、1週間経過した時間に対して早く感じました。
1週間経過したことでメンタル的サポートも必要になってきたようにも思う光景も増えてくる。
相変わらず救急搬送患者や入院が必要な被災者が増えていく一方、救急車の燃料切れや、受け入れ先病院を探してもどこも満床、少なくなっていく医療物品、新たな問題も山積みになり何度も立ち尽くしてしまいました。
そういう問題にぶつかるたびに弱気になったけど気持ちは常に強く。
救急患者対応だけでなく、避難所の血圧測定と健康相談、現地ナースに休んでもらうために入院病棟の患者の処置や巡視、エレベーターが止まったままなので食事の配膳時には5階建て階段の往復、時間が少しでもあいたら火をおこしてお湯を沸かす、1日が24時間では足りないくらいでした。
寝る時間が2時間でも横になりながらこの時間も何か有効につかえないか考えていました。
こうして記録して現状を報告することしか思いつきませんでした。
電気がついただけなのに全国で節電をしたみんなのことを思うと絆で結んだ電気に思えてすごく明るくあったかく電球が見えました。
頑張りがこうして形になって見えると俄然自分ももっと頑張らなくてはと背中を押された気持ちになります。
寝泊まりをした体育館でたった三日間でかわいいお友達が出来ました。
血圧測定や点滴に走り回る私のあとを小走りについてくる人懐っこい6歳のかわいい女の子、瑠奈チャン。
マスクが大嫌いな子だったので、マスクに全然似てないキティちゃんを書いてあげたら気に入ってくれたのがきっかけだったのかな。
夜の体育館は本当に寒いので頼るのは薄い毛布と人肌。私の医療チームは男ばっかりだから人肌に頼ることも出来ず毎日入り口付近ですきま風と戦っていました。
電気が復旧していなかった広い体育館は例えるなら洞窟みたいでした。
ストーブも消され冷えきった真っ暗な空間。
頻繁な余震。
1人だったらどんなに怖くて心細いか。たくさんの避難されているかたが集まっているからこんな暗闇でも朝を待つ気力に変えられるのだろうと心底思いました。
真っ暗な夜中の体育館の寝息の中にもちろんすすり泣きの声も聞こえています。
不安なのかな、家族や友達と会えていないのかな、考え出すときりがないし、私は1週間程度だけど、ここにいるみんなはこれがいつまで続くんだろうと思うと暗闇の体育館は洞窟どころか、出口の見えないトンネルのようにも思えました。
寒くて眠れないけど、そろそろ寝ないと不眠不休で倒れてしまいそう。ここで倒れて足手まといになったら来た意味がないと寝返りをうっていたら、瑠奈チャンが「お姉ちゃん!」とどこからか毛布を持ってやってきてぴったり横にくっついてきました。
「瑠奈チャンも眠れないの?」と聞いたら元気よく頷いていたので、抱き寄せるとめちゃめちゃあったかい瑠奈チャン。
「お姉ちゃん、好きな人いる?」と瑠奈チャンに聞かれたので「いるよ!」と言ったら
「どんな人?」って(´`)
「おヒゲがはえてる人だよ(笑)」と分かりやすいように教えてあげたら
「サンタさん??」と。
かわいいなぁと思いながら「そうだね、サンタさんみたいな人だね」と頭をなでなでしながら話すと
「また冬になったらサンタさん来てくれるかな?」とニコニコした笑顔。
やっと笑顔が見れて嬉しくなって「瑠奈チャンいい子だからまたサンタさん来てくれるよ!」と言ってしまった私。
でも「瑠奈チャンね、おうちなくなっちゃったけどサンタさん、瑠奈チャンちがないからプレゼント持って帰ってしまわないようにお姉ちゃんから言っておいて」と言われて、ごめんねって思いながらぎゅっと抱き締めてしまいました…。
「瑠奈チャン、なにが欲しい?」の私の質問に
「おうちとママ」
いつも一緒にいるのが母親かと思っていたけど、次の日、それは叔母さんということが分かりました。
瑠奈チャンのお母さんも被災され、あんなにかわいい瑠奈チャンを残して瓦礫の下から変わり果てた姿で見つかったそうです。
瑠奈チャンは幼稚園にいて救出されたけど、お母さんは瑠奈チャンが大事にしていたお人形や絵本の入ったリュックを抱えて亡くなっていたそうです。
まだまだ小さな瑠奈チャンはお母さんが恋しくていつも私にくっついて寝ていたのかな。
別の避難所と救護所に移動のためにいつも寝ていた体育館を去るとき、瑠奈チャンが私と別れることに対して声をあげて泣いていました。
お母さんと悲しい別れをしたばかりなのに、傷は癒えてないのに、また別の形だけど人と別れる悲しみを味わせてしまった…
また会おうって言っても、お手紙を書きたくても、もう瑠奈チャンには住所がない
でも、きっとまた復興したら必ず会いに行く約束をして体育館を離れました。
この震災を忘れずに強くて優しい女性になってほしい。どうかこれから進む道が明るくて幸せであるように。
リーダーナースとの泣かない約束はあっけなく破られ手を振る瑠奈チャンを見ながら、車の中でずっと泣いていました。
なんでこんなことになったんだろうと悔しさをどこにぶつけていいか分からず次の支援施設、救急病院へ向かいました。
みんなに笑顔と元気を届けに来たのに、瑠奈チャンを泣かせてしまって。
私のここにいる意味は何だろうとも思っていました。
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