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午後2時46分。

東日本大震災。


被災地の皆様、被災地以外でも様々な影響を受けている皆様、1日も早く元の生活に向けて復旧しますようお祈り申し上げます。多くの犠牲者の方々、心よりご冥福をお祈り申し上げます。


今回放置状態だったこちらのブログを一時的にアップしたのは理由があります。


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私の勤務する病院でも災害対策支援医療チームが発足されました。


救命センターの中から私も被災地に行くことになり、16日から23日までの第一陣のチームでそこで見たものや感じたこと、どうにもならないこと、私なりの文章でお伝え出来ればと思います。


決してきれいごとではなくて、どんどん増えていく被害状況や泣いている人を見て自分には「今」何が出来るか、何をすべきかあの地震の日からずっと考えていました。


この仕事をしている以上、きっと何か出来るんじゃないかとずっと思っていて、オファーが来たときは「これだ!」と思いました。


前日に資料を配られ医療チームでの協議に参加。荷造りに必要なものの中に財布やお金は不要と書かれていました。持って行っても使い道はない、食事や睡眠は確保出来ないと思う事、トイレも仮設トイレは被災者優先と。


そして他院のリーダーナースとして指揮をとる方からの挨拶。


『想像以上に現場は壮絶。甘い考えやボランティア精神の人はここでリタイアしてください。


現場ではどんな状況下においても絶対に泣かないこと。私達は同情しに行くんじゃない。看護、医療を提供しに行く。あなたたちが泣きたい気持ちなんかより現地の方々はどんなに泣きたいか。こんなに裕福な東京医療チームの涙なんて現地の人には迷惑や嫌味だからね』


へたれな私はもうこの時点でドヨーンとした思いでした。


ばっちりメイクの先輩も名指しで呼ばれて


『化粧なんてして来ないように』



協議が終わって部屋に帰ってからは不安な気持ちを紛らわせたくて、お友達にメールしたり被災地に行く宣言をすることで自分に気合いを入れていました。


しばらくあったかいものも食べられないと思って、つけ麺も頑張って2玉食べました(´`)



実家も被害を受けていたけど様子を見に行きたくても交通機関が復旧していなくて帰れないし


医療チームとして明日から被災地に行くことを母に電話して背中を押してもらった気持ちになりました。


『実家のみんなはピンピンしてるから困っていたり大変な思いをしている人の力になってきな~』と言われてすごく元気になりました。


もちろん出発前夜は何回も荷物の確認をしたり明日からのことを考えてあんまり眠れず朝を迎えました。


そう、一時的にこちらを再開したのは医療支援に行くからには私が見てきたものや感じたことをみんなに伝えなくてはと考えて、その日その日が終わるたびに携帯メールに日記を残すことを決め、まとめてこちらに載せようと思ったのがきっかけ。


なかなか文章ではあらわせないことばかりに向かい合ってきたので、うまく伝わらないと思いますが


⬇︎続き

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