「もし“本当の自分”なんて存在しないとしたら、

わたしは何を探しているんだろう?」







みなさんなら
この問いになんて答えますか?













自己探究を進めてみて
感じることは、



"もしかしたら
人生にゴールなんてないのでは?"





ということ。











今までずっと

目的地」を目指して生きてきた。







これを達成すれば…
あの人のようになれたら…
あれを手に入れれば…
あの夢を叶えるために…








そうやって
次の目的地を設定して生きてきた。



なぜなら
そうしないと
不安でたまらなかったから。





けれど自己との問いを繰り返してみて
気づいたのは、



「目的地を設定することによって生まれる
不安や恐怖もあるのでは?」

ということ。









決めた場所に行けなければ
その過程は全て失敗になる。



そんなの変だ。

わたしたちは結果を追い求める生き方しか
できないのか?








そして辿り着いたのが、



目的地を設定しない生き方」。














二年前に私を襲った虚無

じつはわたしは薄々と
気づいていたのだ。

「人生にはゴールはないのかもしれない」
ということに。







新しい生き方を知ったところで、
新しい地図の歩き方を知らない私は

「いや、どこかに答えはあるはず!」

と、もがきまくっていた。




ゴールは無かったという事実を受け入れられず
拒みまくった。





そしたら
ポカンと暗闇に放り出されて
虚無が訪れた。








虚無の正体は、
「今までの生き方を手放せない執着」
だったのかもしれない。


それを手放してしまうと
私の全て(過去)が無意味だったんだと
受け入れなければならないようで、
怖かったのかもしれない。










虚無から脱出できたのは、
自己対話を繰り返し
「生き方」をアップデートしたから。






私の過去は無意味なんかじゃなく、
もっと軽やかに生きるための
道しるべだったんだと受容できたとき

わたしは、自分の「存在」まるごとを
抱きしめられた。














「もし“本当の自分”なんて存在しないとしたら、

わたしは何を探しているんだろう?」










私はこう答える。




「"本当の自分"は不確かなもの。
けれどわたしが一瞬一瞬感じる
"感情や体感"は確実にそこにあるもの。
わたしはそれを探している。」と。










映画を観るのも
人と出会うのも
家族と話すのも


感情や体感を採集するため。









人生に目的地なんて
初めから必要なかった。






わたしにとっての人生の豊かさとは、

人よりたくさんのものを手に入れること

ではなく、





ひとつの出来事から、

人よりたくさんの感情を受け取れること


なのかもしれない✨。
















同じ映画を観ても、

同じ会話をしても、


わたしの心には何層もの波紋が広がる。






それは時々疲れることもあるけれど

わたしにとってこれ以上
豊かなことはない。








セッションも趣味も全て、
「わたし」を探究するためのツールなのだ。










「わたしは何を手に入れたいのか?」ではなく、
「今日はどんな感情に出会っただろう?」


これがわたしの人生の密度を濃くする。










わたしの人生には
目的地がない代わりに

どこに着いても失敗にならない旅

に変化した。











ゴールがなくなったから
世界がより広く自由に感じられるようになった。











お茶を淹れること。
流れる雲をぼーっと眺めること。
お散歩すること。








何気ない日常が輝き出し
むしろ豊かさとは
「人生のイベント」ではなく、
当たり前の日常にあったのだと気付かされた。













自己対話は
新しい世界を見せてくれる。







最近のわたしは、
自己対話をするために「悩み」を生み出している
と言っても過言ではない(笑)













今日もわたしの
自己探究は続く…照れ